June 22, 2015

裏切られても・・・

先日、久しぶりに義理の叔母に電話した。以前から外国人の就職活動を支援するボランティアをしていたことを思い出したので。

でも、うちの教会などとはまったく違う。

神戸市が支援している活動で、地元のセレブが集まって、日本で働きたいという神戸大学の留学生の就職斡旋や、ちらし寿司や手巻き寿司などを皆で作ったりするといった感じ。相手にしているのは政府から毎月20万円ずつ奨学金が出ているような学生。オーバーステイで仮釈放になっているような人たちとはまるで状況が違う。

にもかかわらず、叔母が言うには、裏切られてばかり、らしい。

裏切られるというのは、一生懸命に推薦状を書き、やっと就職が決まったのに、遅刻が多いとの理由でクビなったり、相手先の企業からクレームを言われたり、ボランティアなのに責任を背負わされたり。

そのたびに、もう辞めようかと思うらしいけど、一生懸命にやっている方がいて、誘われるままに続けている。でも、その方がご病気になってしまったので、そろそろ潮時かも。

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今日、役員会があって、外国人を含めた生活困窮者の支援についての指針を話し合った。

他の教会で行われた研修会に出席した人たちの話を聞くと、支援をめぐって教会内が2つに分裂している等、暗い話題が多い。結論としては、経済的な支援はやらないほうがよい、ということらしい。

その他にも、厚意で支援してきた家族がようやく国に帰ったと思ったら、国際電話がかかってきて、仕事が見つからないからお金を送ってほしいと言われたとか・・・ 国際電話をかけるお金があるのなら自分で何とかしろ、と思うほうが普通で、その時になって、何やら釈然としないことに気が付いた、とかね。

でも、私、思うのだけど、こういうのって裏切られながら、それでも続けているというか、裏切られるほうが普通のような気がするけど。(私が変なのだろうか・・・)

経済的な支援をするというのはそういうことで、日本だって生活保護者を見れば、自分で働けよ、と思う人たちのほうがずっと多い。外国人といえども、ずっと支援をしてもらっていたら、それが当たり前になってしまい、自分で働こうとしなくなる、というのはごく普通のことのような気がする。それがバカバカしくなって、支援を辞めたいというのであれば、辞めたらよいだけのことであって、教会は役所ではない。

そういう状況でも、自分たちが異国で暮らして苦労しているのに、まだ他人の世話をしている方たちはいるわけで、大変ではないかと訊いたら、神さまへのご奉仕だから、と言われた。

そうなんだよね・・・

神さまへのご奉仕だから、裏切られても騙されても続けていられる。そして、お金が欲しいわけではなく、日ごとの糧が必要なだけ、状況が改善されれば、お祈りください、というだけのこと。

生活困窮者というと、すぐにお金を渡そうとするのは、日本人の良いところでもあるし、悪いところでもある。

でも、こういうことにマニュアルは作れない。私たちは役所ではないし、私たちが決めたからといって法的な効力があるわけでもない。やりたかったらやればよいし、やりたくなければ無視すればよいし、ルールなんてないんだよ、ってね、私は思う。

とは言いながら、教会として信者から寄付を集めたりすることはしないことになった。

つまりは、状況に応じて皆で話し合おう、勝手にやりたいならやれ、というアバウトな結論。

ケースバイケース。

やりたい、と思うことがすでにみこころなので、やりたくなかったらやらんでもよいでしょう。(たぶん)

(ガラテヤ 3. 1-3)

投稿者 Blue Wind : June 22, 2015 12:22 AM | トラックバック
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