御マリアのこぼれんばかり月のなか聖夜の声の何処浚わる
遠まわり空まわりして冬の風消防団の鐘の音響く
広げれば転がりゆかんふゆじたく正月という境界線へ
キリストが見えるんですと言われてぞ気づくブロンズ窓ごしイエス
教会の重き扉の向こうにぞ十字架は在る、と思ってた
窓の外ゆきかう視線浴びせては微笑みさえも十字架の色
何気なく在り何気なく去る背中にはぎこちなさ在りきまじめさゆえ
賛美とは悲しみのゆえ木霊する冬枯れの枝立ち尽くす春
(ルカ 6. 9-11)
スーパーのバーゲン政治蝉の声暑き誘い熱き氷河は
片足をひきずり歩くあの人と派遣会社の三つ移転す
職安の駐車場にて番をする赤毛の女そわそわと笑む
600円以前のツケを握りしめ満面で笑み今日もまたツケ
売り渋る問屋のマスク買い貯めてこの冬を待ち、夏のインフル
ひっそりと広がりゆかばインフルもプールのアデノ子らまみれゆく
(コリント一 2. 6-8)
常勝のあたりまえの夏、白鷺は青田のうえに舞い落ちる、一瞬(とき)
スポ・クラの子らは元気に前をゆく。残されて夏、うつむくノート。
朝7時水道橋に集合す子らの夏などおしゃべりカラス
ふっつりと積み重ねられデッサンは上達もせし退屈もせし
***
手作業でアスファルト掘るやわらかさ割れるまで打つ無情の待ち路
尾根に沿いへばりつきたる両崖の宙に浮きたる家々の屋根
湖は、ごく自然にぞ始まって、舟浮かびたる青陸の水
ちびバナナしっかり握る黒い手と渡さないぞとちび猿の目と
にわとりは朝な夕なに鳴くなくに篭より庭のプール掃除
退屈にお咎めはなしガムランの誰がおしえたかチューリップ鳴る
陽を浴びて雨浴びて人寝ていればトタンの屋根の路上見物
雑貨屋のウインドウなど眺めれば上目遣いにノート数冊
海岸のメインロードに店建てりゃ隣の店の壁もわが壁
夕焼けは眼下に沈む海の上遠い世界のオレンジの川
今日もまた明日も昨日もひねもすのミントの味に醤油思いぬ
(コリント一 10. 23-31)
ぽっかりと浮かんだ月を眺めつつ御ミサへゆかむ、とぞ思う土曜日
満月はくっきりとしたパンの色浮かべつ空のみつめるままに
わからずやとおからずして月のいろ移ろわば吾みこころを食む
(ローマ 2. 9-16)
蒲公英の咲かぬと想(も)えば蒲公英のくき短きは一頃の春
憤怒とは来ないだろうと赤い櫛引き出しの中残したるゴム
不幸とは不幸のうえにあぐらかき人騙す春、聖護りの下
マリア像たたずめばそこ開けたればなお激しきは余韻のごとく
憤怒とはいずこともなくやってきて雨風の音聞こえぬ小声
暗がりに家族待ちたる旅人は郷里の名さえ戻れぬことば
中指のバンドエイドのキティさえ気に留める者なく春の下
煉獄でいつまで待つと夕まぐれ問われるほどに日が延びゆかば
(ルカ 5. 27-32)
十字架に笑みいだきたるこの人を不思議みつめり百合のかほりは
聖霊はいるのかなあと壁ひとつむこうのみちにバイクが走る
神さまとくるまの音を聞いている。今はどうして今なのだろう。
わたしには、ニヒルな笑みにみえるのです。草踏めば草痛がるだろか。
青闇に満月をみし今宵には桜ひっそりぱらりぱらりと
(ルカ 14. 15-24)
湖は、青緑色。雨の中、深緑色。夜は、見えない。
円い部屋、出るも入るも迷子道。時計のようにただ進むだけ。
指先は文字なぞれども凹凸の文字失いつ異物並びぬ
蟻の目で花みあげれば空のいろ群青の葉のゆられるままに
富弘の、時はまあるく止まりつつ進みつつ日の暮れる美術館
(コリント一 6.. 12-20)
塩まかれ、なお咲きつくす水仙の自惚れが好き、寄り添う光
空白を埋めるように春休み 墓→教会→美術館→墓
かたちだけ観てくれるなとうんちくの楽しい母にしかめつら吾子
数学が大切だよとうんちくの楽しい吾子は学校の顔
すぐそこに希望と夢が服を着て歩いているよな青き人らは
陽光の味わいは葉のいろ淡く透かす春木のまるい葉のひら
(雅歌 8. 14)
風ともに雨雲みつむ風のなか光の甍背に照らされつ
代母の手あたたかきしは母の手のぬくもりを想うイエズスのもと
イエズスは微笑まおしき十字架の小船のうちに嵐吹く春
ベトナムと韓国と吾らアメリカの司祭のもとに祝福をうく
風は吹き風つよき日は雨雲も今このときだに揺れて浮かびぬ
(エゼキエル 24. 15-27)
今日の日はしあわせだった。今日の日は同じ時刻に時を刻みし。
水仙は暗がりのなかひっそりと背中まるめてこそこそと咲く
あらくさが春が来たかとまちかまえ、猶予がほしい庭の秒読み
何もせず何かをやつて、気がつけば一日(ひとひ)が終わる春景色かな
うすぺらなページの栞動かせどじっとしたまま先は動かず
(ルカ 5. 27-38)
雨痕に春は悲しき灰色の空をかぶりてひねもすは往く
祈り空、あくびの声に起こされる。神父の声がBGM
葬式を待っているよな顔つきに春はなき笑み忘れ声響く
明るさを置き去りにして曇り空おとなしく春待つここちする
(ルカ 8. 1-3)
まどろみにしずみゆきたるみちしるべ、ろうそくは今日、灯されているが。
教会がまたひとつ建ち教会の人等すくなに、子等教壇の椅子
まどろみは襲い、祈りへとしずむ吾のここちにぞ波まどろみに消ゆ
鬱蒼と陽もささぬ道くぐもれば人は寄せ合いまた消えいそぐ
(エレミヤ 31. 35-37)
梅風のすぎてゆかんや山里は蕎麦打つ人と蕎麦待つ人ら
アヴェマリア歌詞まちがえて今さらに昔からだと思いおこしぬ
隣人の白きベールに救われし祈りの花は梅の色にぞ
ぐったりと鞭すえてゆく教会は告解のすすめにぞあふ雀かな
(ルカ23. 44-49)
少しずつ国なくなりつ春風は枯れたあらくさゆらしすぎゆく
くっきりと大きな夕陽沈みゆくビルの向こうに赤道ありか
古にわすれものしたまどろみは今日もあしたもゆうべとらせぬ
怒るにも、弱体化した菊の花さがしたりともあらくさゆるる
(エレミヤ28. 10-11)
アクティフがどんなことかと考えて雨の音さえ憂鬱に響く
弟子の足洗うイエスの脳裏には死を待つここち別れをぞ思(も)う
語らずはそのときがきてそのときがガルバリのみちゆくがみちなり
祈りの書、簡単にして朗読はまる暗記するここち、忘却。
信仰は死の谷の淵ゆるゆるとすぎゆく風のほむらのごとく
アクティフは死の淵をまつ葬式の飾り花薫る祭壇のよう
花添えて祝うがごとく十字架は朽ち果てた色またず花咲く
受洗まで苛苛とする吾がこころ赤い岩にぞ閉す谷のごと
(エゼキエル4、4)
ぱさっとな悪さする鳥やってきて洗車のゲート初めてくぐる
ぱさっとな悪ふざけして飛び立てば気づかぬうちに驚きの闇
糞まみれさわりたくもないクルマ、コイン洗車の列に従う
厨房の狭き扉を潜りぬけレンジローバー助手席に乗る
飛びぬけの初老の笑顔少年のおもちゃの自慢手にとってみる
ケイ10年、迷い迷いつ悩みつつ、迷いはつづく楽しき時間
ケイ10年、不景気だよと世の中は迷い迷いつエコは悲しき
タイタニック沈んでいくよな世の中に放り出されて四駆は走る
わが城は山林をぬけ街をぬけ風吹きぬけて空闇のケイ
カフェの前、ずらり並んだ高級車、なんとなくケイわがもの顔で
レクサスの四駆の値段問い合わせマスターだけが日本の元気
未来って老後のことか、若者のやるせなき日々仕事なき様
60代、元気なんだよアンタより、やりくり上手は30歳以下