ひさびさの休みという気がする。
大学受験の娘の送迎が週5回、台風とともにやってきた姑さんからの呼び出しの嵐、900グラムの赤ちゃんを産んだ職員の代わりの仕事量の増加、その他諸々・・・・
運転していても眠くなるほど、きつい。
来年になれば、と、近頃よく思う。
来年になれば、娘の受験も終わり、おばあちゃんも落ち着き、新しい職員も仕事を覚え、またぐうたらな主婦業に戻れるのではないかと想像する。
この前、久しぶりに近所の高齢者宅に呼ばれたら、朝から晩まで韓流ドラマを観て、その合間に家事をするという生活。あんなに朝から晩まで放送されているのかと今更ながら驚いたが、買い物すらドラマの合間にしなければならないほどで、1日があっという間に終わってしまうという言葉に嘘はなかった。忙しいわたしのことを心配して、帰りに夕飯のおかずまで用意してくれて、実家を思い出す。わたしにはすでにそうやっておかずを持たせてくれる親はいないので、懐かしい気がした。
***
夏に姑さんが来て以来、毎日のように呼び出され、呼び出しを無視すると仕事先まで電話やファックスが入る。妊娠中の職員がお昼休みに昼寝をしていると、ずっと電話が鳴りっぱなしだったと言っていた。夜は夜で、娘の送迎がある。合間に買い物をして、夕飯は毎日遅い。このところは10時過ぎというのも珍しくはない。
午前中、家にいたら、妊娠中の職員が出血したので、千葉県の病院まで送っていけとダンナから電話があった。急いで迎えに行ったら、元気そうなのであまり心配していなかったが、そのまま緊急入院になり、そこでは低体重児の出産はできないとのことで、転院先を探すことになった。わたしも妊娠中に同じようなことがあり、大したことはなかったので大げさに考えていなかったが、彼女の場合は、出血が止まらないので、結局、900グラムの赤ちゃんを出産することになってしまった。
実家が千葉県なので、千葉の病院で産むことにしたそうだが、出血しているのにタクシー代を惜しんでバスと電車で行くつもりだったらしい。それで仕方なく、わたしが呼び出されたのだが、後になって聞かされた話によると、トコトコトコトコ鳴るお腹の中の子どもの心音を聴き、元気な彼女を見届けてわたしが帰った後、家族が駆け付けたときには子どもが衰弱し始め、もし、バスや電車でのんびり行っていたら流産していたと医師に告げられたらしい。
入院のため、彼女とはしばらく連絡が取れなかったので、そういう話は後から知ったことだが、わたしはもっとのんきで、彼女のおかげで仕事からもおばあちゃんから久しぶりに解放され、せっかく千葉県まで行ったので、帰りに東京芸大の取手キャンパスを見学し、しょぼいキャンパスにがっかりしながら、教会へ行き、彼女のことがなければ教会へも行けない生活を考えながら、また仕事に戻った。
たまに届く教会からの連絡メールだけが唯一のつながりのような生活だが、誰もいない教会で、彼女と赤ちゃんの無事を祈る時間を過ごす。ほんの数分のことだが、わたしが教会を見捨てても、神さまはわたしを見捨てていないのだと感じた。
見捨てる・・・・・
いやな響きだが、皆が一生懸命に活動をする中、それを知りながら何もしない。御ミサにも行かない。無理をすれば行ける気もするのだが、無理をしないと行けないので、無理はしない。
高速道路の渋滞中、おばあちゃんから電話があり、「今、高速道路だから」と言って電話を切っても、また電話。(わたしを殺す気か?)
それでもお誕生日のお祝いをしたら、近頃、あまりおばあちゃんから電話がかかってこなくなった・・・
***
来年になれば、のんびりできるかな・・・・
(マラキ書、最後のページ)
娘にパソコンを壊されて以来、仕事用のパソコンでネットに接続している。このパソコンを必要以上に起動する気には、とてもじゃないけど、ならない。
気がつけば、娘は受験生だし、おばあちゃんはとうとうこちらへやってくることになったし、わたしにとっては放射能より憂鬱かも。
教会へも、しばらく行っていない。日曜日にも娘のデッサンの送迎があるせいもあるが、御ミサと掃除以外にもサークルやボランティア、勉強会などなど、危険信号だ。ずっと行っていると、いるのが当たり前になってしまい、負担が増える。
***
同窓会は、楽しかったな。
不思議なことに、昔よりも皆と一緒にいて楽しい。普段はまったく会うこともなくなった代わりに、昔よりも友達という意識が強くなった。
卒業して以来、一人も友達ができなかったという友達がいる。職場の人間関係は最悪だったし、ママ友をつくっている暇がなかったし、「私は友達がいないの。家族がいれば充分だったから」とあっさり言う。
結局、今にして思うと、わたしたちは卒業後、似たような気持ちを共有しながら過ごしていたのだ。厳しいけれども、あの悪を排除したような特殊な環境の中で人間関係を築くことに慣れてしまったがゆえに、なかなか一般社会(?)に馴染めなかったのかもしれない。
一つ解ったのは、彼女のような厳格なカトリックの家庭に育つと、友情もまた信仰上の相互理解がなければ成り立たないということ。親切で親しくはあるが、信仰上の相互理解がなければ、友情というものを感じることができないのかも。公園で一緒に子どもを遊ばせているだけでは、単なる親しい知り合いになるのがせいぜいで、友達にはなれないのだろう。
極端だけど、仕方がない。感じ方は人それぞれ。九州出身だからかも。いまだに用心深いのかもしれない。
***
夏休みは、タヒチ。
飛行機は満席。ハネムーンのカップルが多いかと思いきや、それほどでもなく、逆に落ち着いたカップルが多い。年齢層が高いのかも。ほかのリゾートよりも旅費がかかるため、若い人たちには無理かも。夏休みのせいか、家族旅行の人たちも多かった。
水上コテージでなければ、ほかのポリネシアの島々と変わらない気もするが、エイやサメと一緒に泳げるところはすごい。泳いで海中のエイを眺めていたら、サメがわたしの真下を泳いでいった・・・
水コテの海へのはしごを上っていると、黒い小さなチョウチョウウオみたいなヤツが突いてくる。痛かったので噛まれたかと思ったが、単に突いてくるだけらしい。魚だったら逃げるのが普通じゃないか?
へんな魚。
津波がきたら、一発で流されてしまいそうな環境だが、地形的に津波は来ないらしい。震災の前にホテルを事前購入予約してしまったがゆえにキャンセルできず、なんとなく気のりしないまま行ったが、素朴でのんびりできた。が、現地の日本人スタッフは、慇懃ではあるが、意地悪なお局的な性格丸出しの女性ばかり。毎日、新婚カップルばかり相手にしているのが原因か?
(ルカ 22. 39-46、 ヨブ 5. 1)
なんだか変な時代だと思う。韓国の大統領と中国の国家主席が一緒に日本の被災地をお見舞いに来てくれることに大しては違和感はないのだけれども、その間に北朝鮮の代表が中国を訪問しているというのは変な話だ。首相の外遊中に、他国のトップが来日するなどということは、日本では考えられない。複雑なアジア情勢といったところだろうか。
なんだかんだ言っても今年は入梅し、なんだかんだ言っても21世紀なのだろう。なんだかんだ言っても、ユン・ソクホ監督の韓流ドラマを観てはボロボロ泣かされ、娘にはババア扱いされている。個人的には、『冬のソナタ』よりも『春のワルツ』や『夏の香り』のほうが好きなのだが、一番泣かされたのは『秋の童話』。
ってことは、春夏秋冬シリーズを全部観たことになる?
TSUTAYAでも、絶好のポジションを韓流ドラマが占めている。が、しかし、さすがに飽きてきたので、今度は名探偵ポアロシリーズを借りてきた。
夜中にワインを飲みながら、DVDを観て泣いている・・・というのはなぁ・・・
結構、ストレスが溜まっているか、現実逃避に走っているのかも。
今頃になってメルトダウンの隠蔽の話が出てきたり、増税やら復興やら不況やら就職難やら放射能やらネガティブな話題ばかりが続き、もしかすると、海外のメディアが語っていたことが、つまり、60年前の日本の状況とよく似た状況が訪れているのに、実際問題、不安を刺激しない程度に情報がコントロールされているだけなのだろうかという疑惑が頭を過ぎる。
いや、そんなことはどうでもいい。それよりもショックを受けたのは、YOU TUBEの画像か何かで、高い堤防の横を走っている車が、すぐ隣まで津波が迫っているのに気がつかない、というシーンだ。危険がすぐそこまで来ているのに、まるで気がつかない。そして山ほどの高さの津波。
わたしのような想像力のたくましい人間は、並木道を走っていても、並木よりも高い堤防の向こうに津波が迫っている図が脳裏に過ぎってしまい、自分で勝手に想像しているにもかかわらず、その想像に怯えたりする。それでいて麗らかな日々。そのギャップに疲れて、何かをしようという気力が萎える。
福島の原発の事故に関しても、アメリカからの情報のほうが正確で、連日発表されたあれらの報道に何の意味があったのかと感じてしまう。もしかすると、知らないのはわたしたちだけ?
わたしは被災地には直接行ったことはないが、行った人の話によると、荒涼としたパノラマを観てしまうと急にリアリティが増し、何も出来なくなってしまったという話を聞く。報道では、悲しい場面はあまり報道されず、生き残った人たちの姿や、復興に向けての動きなどを主に取り上げている。それくらい悲惨なのだろうか。
この、違和感は、何なのだろう?
うまく言葉にはならない。
被災地へ慰問に行った落語家が、わんわん泣いていたけれども、その理由は報道されない。それほど悲惨ということか?
知らないことには泣けない。
韓流ドラマを観て泣いていると気分がすっきりするというのは、今のわたしにとってはごく自然な成り行きという気がする。
(コリント 二 8. 8-15)
どんなことにも慣れがある、というか、近頃ではすっかり地震に慣れてきてしまい、地震がきたときの反応が人それぞれなのに気づく。
姑さんのことがあって、老人ホームの受付で話していたときにも震度4強くらいの横揺れの地震があり、ちょうどよいところに手すりがあったので、さすが老人用の施設だと思って感心した。
が、しかし、周りの反応を見てみると、ほとんどの人たちが無反応。
わたしの隣に立っていたおじいさんは、地震があったのにも気づいていない。その人は受付に挨拶をすると、ゆっくり振り返り、エレベーターのボタンを押した。地震のために非常停止になっているので、ボタンの電気が点くはずもなく、皆が地震があったからと言っても、首をかしげている。他の高齢者も似たような感じで、結構揺れたのに、あのまったりとした雰囲気は不思議だ。
かと思えば、美術教室にいるときにも何度か地震があり、高3なので、先生との面談中にも震度5強の地震がきた。
一言で言えば、なんだあの騒音は・・・・
という感じ。
ドアや窓がカタカタこすれあって、ものすごい騒音。食器が落ちるかと思って心配したが、それほどでもなかった。
ねこ先生の話によると、地震がくると小学生や幼児のクラスは、皆、きゃーきゃー言って、駐車場に避難するらしい。
高校生はと言えば、地震がきたので、わたしが教室に入ると、娘は石膏像が落ちないように押さえていた。わたし的には、地震なんだから石膏像から離れてほしいと思ったが、震災のときに石膏像が割れてしまい、何とか残ったものだけを落ちないようにヒモで固定している。モチーフがこれ以上減ると困るけれども、それよりも安全のほうが大事だと娘に言った。
ねこ先生はのんきで、「これ、結構大きくなりますよ」と言ったら、本当に揺れてきたので、わたしは天井を見上げ、ねこ先生は水槽を押さえていた。落ちるのが困るのならあんなところに置かなければよいのに、と思うのだが、カウンターや机の上に、巨大化した金魚やら、タニシやらが入っている水槽が3つ置いてある。震災のときに水が零れて、後片付けが大変だったらしい。
津波の映像を見てしまったせいか、自分が被災しているという自覚がまるで欠如しているが、よく考えたら、橋が落ちていたり、天井が落ちていたり、道路が通行止めだったり、茨城県は被災地なのだ。あちこちで補修工事が行われている。家が半壊しているところが多いせいか、今頃になって、近所に仮設住宅が建設されている。(遅すぎないか?)
***
この前、大学や専門学校の進路相談会があり、わたしも娘と一緒に行った。自粛している大学も多かったが、逆に、去年よりも生徒の集まりがよく、盛況だった。
わたしは何をしていたかと言うと、大学の被災状況を訊いていた。理由は、大学の雰囲気がわかるから。
ある大学では、入試の後片付けをしていたときだったので、キャンバスが落ちないように押さえていたとか、ある大学では、被災時には生徒にカレーの炊き出しをしていたとか、本当に答えが違う。まったく被害がなかったという大学に、石膏像が割れたりしなかったかどうか訊いたら、石膏像はありませんと言われた。美大なのに石膏像がないというのには、逆に驚かされた。
***
他人のことばかり考えていて、自分はどうなのだろうとふと思ったら、わたしの場合、地震がくると、まず天井を見て、落ちてきそうなものがなければ、そのままその地震の震度などを考えていることが多い。地震速報と照らし合わせて、当たったら嬉しい。
近頃、地鳴りのする地震が多くなった。おそらくは震源地が近いか、真下くらいのときに地鳴りがするのだと思うが、今のところ、地鳴りが大きいときには、さほど揺れない。
逆に音のないときのほうがよく揺れる。横揺れの地震が多い。震源地が海のときの地震だ。
でも、この2週間ほどはかなり減り、地震速報があってもこちらは揺れていないことが多くなった。
自宅にいるときに地震がきたら、とりあえずソファのほうに避難している。大きな揺れだと2階に寝ていた犬も降りてきて、わたしのそばに座る。といったことがしばらく続いていたが、このところ地震があっても、降りてこなくなった・・・ 犬も地震に慣れたか?
(エレミヤ 50. 6-8)
イースター、おめでとうございます☆
これで、休暇だったら、なおうれしいのですが・・・
聖木曜日からずっと御ミサというのは、さすがに疲れた。
復活徹夜祭は好きなので、毎年出ていたが、今年は聖歌隊なので4日間。聖木曜日と聖金曜日は初めて。特に、聖金曜日は、伴奏がないうえに、ずっと歌い続ける。簡単に歌う箇所を教えられただけで、後は自分で音取りするしかない。考えてみれば、初めて参加するというのはわたしだけなので、教えてくれただけでも親切だったのかもしれない。
娘はデッサンの都合で、土曜日にしか御ミサに与れない。でも、聖歌隊の席はガチなので嫌だと言う。(ガチというのは、若者用語で、真面目とか真剣という意味らしい。) かといって、一人で他の信者さんの間に座るのも気が引けるので、行かないと言い出し、とりあえず、代母に娘のことを頼んだが、雨が降ったので代母は遅刻。結局、聖歌隊の目立たない席に座らせた。
わたしが聖歌隊の席に座ってしまうと、娘が教会に行きたがらない、というのが今後の課題か?
それにしても、聖歌隊だというのに、ソプラノのパート以外は一人でやっているようなものだ。最初は気づかなかったが、それでも構わないというタフな人でないとやっていられないのかも。ソプラノはたくさんいるけど・・・
はっきり言うけど、それではコーラスにならない。
というわけで、1年間悩んだ結果、アルトを歌うことにした。
悩むというと、おおげさな気もするが、実際、あの席に座るのが嫌で、聖歌隊に参加しない人もいるくらいなのである。娘の表現を借りると、ガチ、な席なんだろうし、ある人に言わせると、偉そう、とかね。実際のところ、偉いのだけど。
献金のカゴがまわってくると、ほとんどがお札。教会の行事にはほとんど出席。しかも、リーダーシップ。まさしく、ガチな人たちである。そんなところに、自分のようなちゃらんぽらんな人間が座ってよいのか・・・・と感じざるをえない。
しかも、あんな下手なコーラスを、わたしは知らない・・・
一人ひとりが下手なのではなく、バランスが悪いのだ。バカにされながらも、ガチにがんばる・・・
というわけで、姉に一人でアルトを歌わせておくのは忍びないので、ガチにやることにしたのである。まるで、マルタとマリアだと思いつつ、そのうちラザロも現れるかもしれない。
(エレミヤ 49. 36-39)
やっと普通にガソリンが入れられるようになったせいか、いつもよりも道路も店も人が多い。うれしい。
普通だったら、道路が混んでいたりするとイライラするが、大通りですら皆、制限速度以下で走っているし、わたしも同じ気持ちなので(つまりエコドライブ)、のんびり〜♪
大店舗型のショッピングセンターを除いて、今はどこも普通に営業している。あちこち寄り道しながら、ホコリだらけのクルマを洗車し、平日なのにまるで休日のようだ。
****
自転車を使ったのは、教会までの一度きり。大通りを走ったので、信号ごとに止まり、勉強会に遅刻。気分はすっかりサマリアの女で、お祈りが終わったとたん、教会で水を飲む。放射能のことが頭をよぎったが、35分間寒いのを我慢して自転車をこぎ、喉は乾ききっている。寒さで耳が痛くなった。
日曜日、いつもぎっしりクルマで埋まっているはずの教会の駐車場も余裕。
日曜日は、ミサ後があわただしい。本来だったら叔母の法事で出られないはずだったが、今回のことで法事が中止になり、ほとんど手ぶらで教会へ行った。イースターのための歌の練習と手話講座。楽譜もテキストも忘れている。
手話講座は、なかば無理やり参加させられているのだが、いつもメンバーが違う。先生は信者ではないので、今までは普通のサークルのノリでやっていたらしいが、突然、先生がイグナチオ教会の手話講座に行き、なぜか燃えている。10年以上続けていても皆があまり上達しないので、悩んだのがきっかけか?
先生の目標は、ミサの手話通訳を皆がやれるくらいまで。たしかに、先生が勉強会に参加したくても、誰も手話が話せないので、聾唖者は参加できないと言って嘆いている。
先生が、アメリカ人の神父さんに挨拶。例のごとく流暢な日本語で話しているのに、先生には神父さんの言葉はまるで通じない。耳で聞く分には、つまりわたしたちにはわかるけど、先生の場合、口の動きを見ても何を言っているのまるでわからないみたいだった。
****
近頃、乳幼児を見かけなくなった。疎開しているらしい。春休みだから帰省している子たちも多い。
娘は、そんなことはおかまいなしに、新しい自転車に乗って、デッサンへ通っている。放射能なんかには興味はないらしい。強い・・・
放射能にも津波にも甲子園にも興味がなく、地震にも慣れたらしい。ほかに夢中になれるものがあるって、強い・・・
というか、今回は、一応はわたしたちは被災者の末端で、しかもいまだに放射能の被曝の危険に晒されている。でも、30年後に癌が発症したとして、必ずしも放射能の被曝が原因かどうかなんてわからない。細胞分裂が活発な年じゃないし・・・ 今さら心配したって意味がない。第一、その年まで生きているかどうかもわからないのに。
それでも、娘が赤ちゃんだったら、間違いなくわたしも疎開すると思う。赤ちゃんじゃないから、受験の心配か?
それにしても用事があって家電ショップへ行ったら、薄暗くて、まるで倉庫のようだった。それでも開いているだけでもホッとした。
(ルカ 24. 50-53)
自転車を買った。
爽快。
なのに、今日は雨。
そんなものかも・・・
自転車に乗って、あちこちに行きたい。
なのに、放射線を浴びる?
100キロ以上、離れているから、大丈夫だと思うけど。
ほうれん草が破棄?
ポパイだったらどうするのかと、ちらっと思った。
友達からメール。
こちらは大丈夫かと。
大丈夫だと思って生きているのだけど・・・
もしかして、被災者なのか?
ライフラインが止まっただけで、ほとんど被害はないです。
それなのに、茨城県は被災地なので、計画停電はないらしい。
何か必要なものはないかと言われても、ガソリンくらいしか思いつかない。
節電中なので、鍋と焼肉は罪悪感。
でも、スーパーには並んでいる。
誘惑に負けて、今日はしゃぶしゃぶ。
もっと普通に暮らしたい。
普通でしょ?
普通だ。
水が出るから喜んで、電気がつくからお鍋を囲む。
晴れたら、自転車に乗って買い物に行こう。
重い荷物は売っていない。
トイレットペーパーも売っていない。
牛乳も売り切れ。
自転車は、爽快だ。
(ルカ 5. 17-19)
どこも同じだと思うけど、ライフラインが復旧しないうちから仕事が始まる。いつから診療できるようになるのか・・・
土曜日、家にいても電気も水道も止まっていたので職場へ行った。大きなビルなので水道も出るし、電気も通っている。ざっと観たところ、外観による破損もないため、計画停電時間以外なら診療ができるということになった。
そこに薬剤師が、状況を会社に報告するために来た。電車が止まっているのでタクシーをチャーターしたらしい。地震の被害よりも、職員が出勤できないのが悩みらしい。彼女自身もとうとうつくば市の水道が復旧したのを受けて、ビジネスホテルを利用して出勤。案の定、午前中は忙しい。
わたしは、確定申告の書類を締切1時間前に提出。提出に行った市役所の中は人が多く、被災状況を調査するためか、申告相談をしているためか、あわただしい雰囲気。
診療所のほうにも福島から避難してきた人たちの来院も多く、中には本人が高齢で来れないので、代わりの人が薬だけもらいに来るという人もいる。薬の名前だけで本人もいないし、普通なら断るのだが、とりあえず少なめに処方して向こうで量を確認してもらうしかない。
そういうこともあって、避難所に差し入れを持って、状況を見に行った。避難所となっている国際会議場は広く、子どもたちが玄関で遊んでいたり、医師が健康相談だけしていたり、個人物資の受け付けもしているので、案外、明るいムードだった。浪江町に友達がいるので念のため名簿で探したが、ほとんどがいわき市の人たちだった。受け入れは、全部で205人。公園の中の公民館にも90人ほどいるらしい。
わたしが行ったとき、DV被害で家から逃げてきたと言っている精神病の兄妹が避難所にいて、職員が困って精神科に連絡していた。こういう時期なのに、往診に来てくれるわけがないので、しばらくわたしが話を聞くことになったが、別室に入れられたとたんに兄が逃げ出し、妹がわめきだす。態度が豹変し、職員が取り押さえようとするが暴れて、無関係の人にいちゃもんをつけて殴ったので警察に連絡。
「殴ってやる」とか「殺してやる」とか兄妹で叫んでいるので、無事に警察に保護してもらった。警察が到着するまで、20メーターくらい離れたところで背中を向けて付き添って(?)いたが、パトカーに乗るとおとなしくなり、罵詈雑言とともに去って行った。
クリニックに戻ると、今度は天皇が京都に避難したから、自分も今から京都へ行くと言う患者さん。彼女の話だと名古屋まで危険だと言う。うちでは内科の処方をしているだけだが、精神科の患者さんでもある。あーあ。
薬剤師が怒っているくらいはまだましだ。何も、今の時期に来なくてもいい花粉症の患者さんも多い。薬が無くなったら不安だから来る。家が半壊したといって泣いている患者さんもいる。
こういう時期なのに健診も多い。検査会社も被災しているので、血液検査の結果がいる出るかわからない。問屋さんの職員も出勤できない人も多いらしいし、製薬会社が被災していて、薬が手元がない場合にはあちこちで在庫を探さなければならない。
レントゲンが不調なので修理に来てもらったら、結局、現像液と固定液が地震のせいで混ざり合っているのが原因と言われた。ちなみに、同じようなトラブルがあちこちで発生していて、水戸へ行ったら屋根瓦が目の前に落ちてきたとか。そろそろガソリンが無くなるので、そのうち修理には行けなくなるとも言っていた。
皆、元気なのだけど、かなり疲れている。
明日のことは、明日考えよう。修学旅行先の韓国にいる娘から電話。先生が全員に電話させているらしい。北のほうはかなり被害もあったようなので、明日の帰国を踏まえてのことなのだろう。いまだに常磐線は動いていないし、TXの本数も少ない。帰宅困難な生徒も多い。
(ルカ 10. 38-42)
やっと電気が使えるようになった。まだ、断水しているけど。
震度6強?
地震が来て以来、電気が止まり、電話は通じないし、テレビどころか、懐中電灯で灯りをとり、月明かりがある分、家の外のほうが明るいくらいだ。
幸い、最初の地震が来た時には日中だったのでパニックにはならなかったけど、いざとなったら3台あるはずのラジオのうち2台が旧すぎて壊れていて、残りも、電池を取り替えて、ふたを外して、電池をくるくる回したら、何とか使えるようになった。電気や電話が使えないので、かろうじて真っ暗な中でラジオを聴きながら寝た。
懐中電灯も、ずっと点けていると、2時間くらいで消えてしまう。電池があっという間になくなっていく。水道も使えないし、かろうじて数件開いていたコンビニに人が群がり、カップ麺とチーズとお菓子と水と缶コーヒーなどを1時間以上並んで買った。
車の中でテレビを観ていたが、ガソリンが無くなると困るので、ラジオから得る情報だけが頼り。正直、ライフラインがいつ復旧するかが一番の関心事だった。
***
11日には開いていたコンビニも12日にはシャッターが降りており、とりあえず震災のときには車でどこかへ行けば普通に開いているところにたどり着くのではないかと思って、昼間、家を出た。ところが、渋滞。
電気が止まっているのに、ガソリンスタンドが開いていたので、何時間も皆並んでいるのだ。かなり動揺したとき、中華料理屋の前でジュースとお弁当の販売をしているのが目に入ったので、お昼はそれで済ませ、夕飯は明るいうちにカップ麺とサラダ。
とうとう2日目の夜が来て、今日も真っ暗かと諦めていたら、10時半頃、電気が点いた。
そのとたん、テレビを点けたら、恐ろしいニュース。こんなに酷いことになっているとは知らなかった。津波のこともニュースでは知っていたが、ほとんで情報がないに等しい生活。ライフラインの復旧情報とか、避難所の情報とか、地元のラジオはそういうことがメイン。
携帯も繋がるようにはなったが、充電が切れたら終わり。なんとか娘の高校に、修学旅行がどうなるのか問い合わせたら、いまだにライフラインも復旧していないのに、スクールバスが出るのでそれに乗ってくれと言う返事。13日から班に分かれて順次出発する。電車がストップしているのに、学校に残っていた子たちはどうなったのか、あるいは、どうするのか?
気になったが、そこまでは、先生も忙しそうで訊けなかった。
(ルカ 13. 1-5)
神父さんの話は、ときどきよくわからないことがある。このところ勉強会を欠席し、品川の幼稚園へ行っていると誰かが言っていたので、今日の話はちんぷんかんぷんなところから始まった。
要するに、品川と航空券が買えないということとどういうつながりがあるのかと思ったら、幼稚園ではなく、不法就労で捕まった信者さんに面会しに入管へ行ったというのが正解だった。
--- 大洗の人はこちらへ来たばかりで帰りの切符が買えない。
・・・・・・・?
大洗に修道院や教会があったかな、と考えたが、大洗というのは人の名前かもしれないとか、神父さんでも航空券が買えないということがあるのだろうか、とか、いろいろ迷いながら聴いていた。訊くと、答えてくれるのだが、次第に、フィリピンとかインドネシアという言葉が出てきたので、なんとなくわかった。
大洗に住んでいたフィリピン人の信者が不法就労で捕まり、品川の入管いる。しかも、彼は来たばかりでお金がないから、強制送還で帰国したくても切符も買えないし、知り合いもいない。10年いれば難民と認定してくれると言っていたが、10年も何もしないで収容されて暮らして行くのだろうか?
この前、日本で生まれた子が、父親だけが本国に強制送還となり話題になっていたが、さっき法務省のホームページを確認したら、そういう場合には特別に在留許可が認められるようになっていた。子どもには罪がないのに、気の毒な話である。
が、しかし、観光ビザか何かで入国し、そのまま就労している人に対しては、日本は厳しい。わたしとしても、不法入国というのは許されないのではないかと思い、なんとなく不愉快だった。ましてや大人だし、不法だと知りながら来たわけだから、自業自得ではないだろうか?
話は変わるが、そういうときに限って、普段は手ぶらで行くくせに、お茶菓子用にフィリピン産のドライマンゴーを偶然持って行っていた。世界一美味しいと書かれていたので買ってみたのだが、後味がすっきりしていて美味しい。最初は美味しくないと思ってがっかりしたが、なんとなくまた食べたくなる。
こんなに美味しいマンゴーがある国なのに、どうしてフィリピン人は1000万人以上の人たちが海外へ移住してしまうのだろう?
それがすでに国民生活になっているのかもしれないが、働き盛りの人たちがそんなに海外へ行ってしまっていたら、国内の経済はめちゃくちゃになるよね。そんなことはわかっていながら移住したくなるのは、海外で働いたら年収が何倍にもなるからだ。でも、悪循環じゃない?
それにしても、強制送還になることがわかっていて、困ると教会を頼るというのはどうなんだろう。そうやって海外へ出て働き、本国の家族に仕送りをするというのが普通の生活なのだろうか。政府が悪いから、こういうことになっているのか、そういう国民性なのか、わたしには理解できない。
とは思いつつ、家でフィリピンまでの片道航空券の最安値を調べる。一つわかったのは、往復航空券のほうが片道よりも安いということ。ヘンな話だけど、これに違反すると、正規の航空券との差額を請求されるらしい。それでも中国のエアラインを使えば、かなり安くマニラまで行けるので、そのページを印刷し、お金を持って再び教会へ。
こちらはバカンスの計画をしているのに、このままだと永久に入管に留まっている人のことを考えると心苦しい。それならば、こちらの予算を削って・・・
ついでに、ドライマンゴーの残りの袋を渡して来たのだが、早く帰ってくれと言わんばかりだったかと、鬱々する。
でも、それが本音なのかもしれない。
普通の日本人なら、1000万人以上の人が国を捨てて、移住してしまうなどということは考えないだろう。それが出来るくらいならだれも苦労しない。日本だって、戦後の非常に貧乏なところから頑張ってきたのだし、今はほかのアジアの国も経済的に頑張っているし、フィリピンだってこんなに移住者がいなければ、もっと裕福なのではないかと思ってしまう。
考え方の違いなのかもしれないけど、フィリピンと言えば、麻薬とか売春などのイメージが強くて、フィリピンのビーチは美しいから一度行ってみたいとは思っているが、口コミサイトの投稿写真を見ると、どうやって見ても白人男性とフィリピン女性のカップルの写真ばかりで、なんとなく胡散臭い。若王子さんの事件とか、現地妻とか、本当に印象が悪い。なんとなくあの事件以来、フィリピンへ行く人が激減したような気がする。
わたしは移民の受け入れには特に反対はしないけど、日本も不景気だし、それでいて不法と知りながら来るという感性は受け入れられない。来るなら合法的に来てほしい。・・・・・にしても、後口の悪い話である。
(エレミヤ 50. 6-7)
寒い。
寒いとは思いながらも、すでに夏のバカンスの準備を始めている。わたしは中東には行ったことがないので、本当は、エルサレムを観光しながら死海でリゾートというような旅行に憧れている。今年こそ、と思ってガイドブックを買ってきたとたんにエジプトで暴動が起こり、その話は2日でぽしゃってしまった。
ならば、北朝鮮を避けて南半球にでもと思っていたら、おりしもニュージーランドで地震があり、多くの日本人の子たちが被害に遭い、来年の娘の学校の修学旅行はどうなるのだろうと気になる。
娘の学校では、中学はニュージーランド、高校では韓国へ修学旅行へ行く。今月、娘は韓国へ修学旅行に行く予定だが、日程表を見ただけでもなんとなくつならなそうな旅行なので、行きたくないと言っている子が多いらしい。現地の学校との交流が必ずカリキュラムに入っているので、なんとなくヘンな行程なのだ。ホームステイをさせてもらったニュージのほうが楽しそうだし、楽しかったらしい。
ちなみに、韓国の高校生はみな同じ髪型をしているという噂。交流先の高校がたまたまそうなのかもしれないが、一様に、自分たちのほうがましかもしれないという感想を子どもたちに持たせるのが狙いか?
娘もいよいよ高校3年生になる。受験・・・・
今のところ、まったく受験生というイメージはない。本人は油絵をやりたいと言っているし、美大を受験するとなると、受けるところは皆一緒。父さんが2浪までゆるすと言っているので、受かるまで東京芸大を狙うか、あきらめて私立へ行くかは本人の自由。
そんなふうに簡単に考えてしまうと、受験は楽だ。こういうときにはビーチでも行って、のんびりするのが一番かも。今まで費用の点と、ハネムーンの人たちの多さで敬遠していたタヒチとか?
(ルカ 24. 13-27)
それはいつから始まったのだろう?
おそらくは、クリスマス・イブの前日、つまり天皇誕生日に伯父が亡くなったという知らせを受け、クリスマスとお葬式が重なったらどうしようと、かなりまじめに不安に思ったところから始まったような気がする。知らせが早かったので、伯父はまだ病院の霊安室にいた。
落ち着いてからと思ったが、気になったので、わたしは知らせを受けてすぐに病院に向かった。わたしが伯母と一緒に座っていると葬儀屋さんが来て、斎場が混み合っていて、お葬式は早くて一週間後になると言っていたので、実は内心ではホッとしていたのである。
伯父に別れを告げて家に戻ると、義姉から電話があり、姑さんがしばらくこちらに入院することになったとダンナに言われた。
それからは無茶苦茶。クリスマスがあって、日曜日のミサがあって、姑さんを迎えて行って入院させ、娘のデッサンの冬期講習の送迎はあるし、姑さんにはこき使われるし、年末年始以降、仕事はたまりにたまり、それにようやくめどがついた頃、法事・・・
その間に、カトリックの共同墓地まで見に行ってしまった。
今は姑さんが生きているからいいけれども、墓が四国の寺に5つくらいあって、そのほかに神戸に墓があって、現在は大阪の寺の檀家になっているそうなので、お寺2つと墓6基、お金だけ送金しているのが現状らしい。それをどうするんかと言われても、困る。一人娘なので、いずれは後継者が無くなる。しかも、弟には子どもがいないので、実家の墓のことまで含めると、お墓って本当に扱いの困る代物だということがわかる。しかもわたしはクリスチャンだし、娘も受洗すると言っているし、そうなるとお寺とのお付き合いなどはどうなるのだろう?
考えると面倒なので、カトリックの共同墓地を見に行ったのである。お墓のことを考えるとめんどーだから、ダンナも弟もカトリックになろうかと言っている。半分本気だから困る。
ちゃんと勉強しないと洗礼は受けられないんだよ、としか言えない。カトリックの信者になるのだったら、教会へ行って、勉強して、それからでないと受洗できない。
教会で、自称姉のわたしの代母に相談したら、彼女は家族がクリスチャンではないので、お寺を二つ持っていると言う。
偉いわ・・・
さすが。
毎日のように御ミサに与っているうえに、お寺の付き合いまで引き受けているのだ。
しばし考え込む。
わたしはお数珠を持たない代わりに、ロザリオを持って行くのだが、代母はお数珠を持って行くらしい。まあ、考えようによっては、形だけ守っていれば実際のところ何も言われないのだろう。わたしみたいにロザリオを持っていくから、坊さんから説教されてしまう。
説教はともかくとして、「仏教では」という言葉から始まるから困る。神父さんとお坊さんではまるで言うことが違うため、永遠のいのちとか復活を信じているわたしは、お坊さんが、「人は亡くなると49日目に生まれ変わるので法要が大事」と言っても、その瞬間、わたしは心の中で、「お言葉のとおりなりますように」とつぶやいている。
どちらが正しいということは論じても無意味だ。どちらを信じるかと言われても無意味。むしろ、わたしはいつもごく自然に、「お言葉のとおりなりますように」と心の中で呟いている。前世での行いによって良く生まれ変わったり、悪く生まれ変わったりするから功徳が大事と言われても、特に矛盾は感じない。キリスト教では良い行いをすると永遠のいのちを得るし、生きているうちに罪のゆるしを受けるために教会へ行く。死んでから供養してもらうより、生きているうちに罪をゆるしてもらったほうがよいではないか。・・・・の違いかな。(大雑把には)
でも、そういうことではなくて、わたしがよく訊かれるのは、「キリスト教ではお葬式はどうするんですか?」とか、そういうこと。わたしに訊かれても困るけど、カトリックだとお葬式もミサだし、毎年死者の日にもミサがあって、合同でするので法要とかはありませんと言うと、たいていの人は、「そういうのいいですね」と言うだけ。おそらくは、自分が行っても行かなくてもかまわない、自分が死んで誰も来てくれなくても誰かがやってくれるというのは気楽ということが言いたいのかも。
形式的なことかもしれないけど、死んだらカトリックの共同墓地に入りますときっぱり言って整理しないと、娘は大変かもしれない。封建時代の名残かな。
(使徒 20. 17-38)
高齢者の介護は大変だと思う。寝たきりとか認知症などに限らず、精神的な面での負担が大きい。
年末に姑さんが突然入院するというので、こちらにやってきた。2年前のことが脳裏に過ぎったので心配していたが、実際問題、飛行機を降りるなり非常に元気になり、なかったはずの食欲も、ある。
2年前は、食事が食べられなくなり、点滴のために一泊入院を繰り返し、あげく腸閉塞にまでなってしまった。半年くらいこちらにいて、その後神戸へ戻りたいと言うので、上の義姉の近くの老人ホームに入居した。すでに高齢者用のマンションに一人で住んでいたが、そこでは無理だと思ったので、介護付きのところへ引っ越したのである。
ところが、今度はそこが気に入らないので、他へ移るか、いまだに売れないケアマンションに戻りたいと言っている。が、しかし、下の義姉はすでに義母の世話はしたくないらしく、誰の世話にもならず、一人で暮らすのは義母の性格からして無理。病院や施設のように、24時間いつも誰かがいてくれるようなところでないと安心できずに、病気が悪化してしまう。
今回も年末年始に入院のために来たが、理由は病院にいると本人が安心するかららしい。一応は検査のための入院ということになっていたので一通り検査をしたが、2年前とあまり変わらず、かといって入院の適用があるわけでもなく、前回と違って元気なので、退院後、近所の老人ホームの体験入居を申し込んだ。
入院していても、孫の手がほしいとか、風邪薬をもってこいとか(入院しているにもかかわらず市販薬も服用しているのである)、電気毛布を買ってきてとか、一日に何度も行かなければならない。退院して老人ホームにいても、眼科へ連れて行ったり、風邪でもないのに喉が痛いというので医者に連れて行ったり、美容院へ連れて行ったり、毎日呼び出される。携帯電話の着信記録を見たら、一日14回電話がかかってきていた。
義母に、教会へ行くかと訊いたら、行くと言うので、雪の日に娘と3人で御ミサに与る。雪の日には来られない人たちが多いので、いつもよりも空いていたが、御ミサの後、義母に話しかけてくれる人たちが多く、義母も喜んでいた。
3年以上治らなかった角膜炎もほとんど良くなり、義母曰く、それだけでも今回こちらへ来た価値があったそうだ。苦し紛れに体験入所した老人ホームを気に入り、ずっとこちらに居たくなったそうだが、残念ながら満床で今のところ入居できない。
わたし的には、これがずっと続いたら生活がめちゃくちゃになってしまう。義母が喜んでいるのできついことは言えないが、正直言って、満床でよかったと思う。看護師が良い人で、こんなに呼び出されていたら、施設に入れている意味がないと言ってくれた。
***
今回は、義母のためではなく、イエスさまのために頑張ったのである。
仕事もあるし、娘の送迎もあったし、教会へも行っているし、時間的にかなりハード。教会は高齢の人たちも多いけど、義母のように他人に甘えている人はいない。義母と同い年くらいの人にすると、義母は寂しいから甘えているだけなのだそう。そうやって、ずばっと言ってくれると嬉しい。同じような年で、同じような境遇なのに、どうしてあんなに違うのかと思ってしまう。
教会にもボランティア活動などいろいろあるのかもしれないが、教会の清掃当番ですらすったもんだしているのに、教区の問題どころではないし、親の世話もできないで、ボランティアどころではない。
そう思って、義母のわがままに1ヶ月間付き合ってきたが、本当にこちらで暮らすようになったら如何なものかと思ってしまう。
イエスさまのために頑張っているのだが、義母に言ってもわからないだろうな・・・ 義母のことだけではなく、施設のほかの人たちとも顔見知りになり、会話をする。それが大事。
が、しかし、家で一人でいる時間が癒し。
携帯電話は常にオフにすべし。
(使徒 28. 21-27)