February 21, 2011

「仏教では・・・」

それはいつから始まったのだろう?

おそらくは、クリスマス・イブの前日、つまり天皇誕生日に伯父が亡くなったという知らせを受け、クリスマスとお葬式が重なったらどうしようと、かなりまじめに不安に思ったところから始まったような気がする。知らせが早かったので、伯父はまだ病院の霊安室にいた。

落ち着いてからと思ったが、気になったので、わたしは知らせを受けてすぐに病院に向かった。わたしが伯母と一緒に座っていると葬儀屋さんが来て、斎場が混み合っていて、お葬式は早くて一週間後になると言っていたので、実は内心ではホッとしていたのである。

伯父に別れを告げて家に戻ると、義姉から電話があり、姑さんがしばらくこちらに入院することになったとダンナに言われた。

それからは無茶苦茶。クリスマスがあって、日曜日のミサがあって、姑さんを迎えて行って入院させ、娘のデッサンの冬期講習の送迎はあるし、姑さんにはこき使われるし、年末年始以降、仕事はたまりにたまり、それにようやくめどがついた頃、法事・・・

その間に、カトリックの共同墓地まで見に行ってしまった。

今は姑さんが生きているからいいけれども、墓が四国の寺に5つくらいあって、そのほかに神戸に墓があって、現在は大阪の寺の檀家になっているそうなので、お寺2つと墓6基、お金だけ送金しているのが現状らしい。それをどうするんかと言われても、困る。一人娘なので、いずれは後継者が無くなる。しかも、弟には子どもがいないので、実家の墓のことまで含めると、お墓って本当に扱いの困る代物だということがわかる。しかもわたしはクリスチャンだし、娘も受洗すると言っているし、そうなるとお寺とのお付き合いなどはどうなるのだろう?

考えると面倒なので、カトリックの共同墓地を見に行ったのである。お墓のことを考えるとめんどーだから、ダンナも弟もカトリックになろうかと言っている。半分本気だから困る。

ちゃんと勉強しないと洗礼は受けられないんだよ、としか言えない。カトリックの信者になるのだったら、教会へ行って、勉強して、それからでないと受洗できない。

教会で、自称姉のわたしの代母に相談したら、彼女は家族がクリスチャンではないので、お寺を二つ持っていると言う。

偉いわ・・・

さすが。

毎日のように御ミサに与っているうえに、お寺の付き合いまで引き受けているのだ。

しばし考え込む。

わたしはお数珠を持たない代わりに、ロザリオを持って行くのだが、代母はお数珠を持って行くらしい。まあ、考えようによっては、形だけ守っていれば実際のところ何も言われないのだろう。わたしみたいにロザリオを持っていくから、坊さんから説教されてしまう。

説教はともかくとして、「仏教では」という言葉から始まるから困る。神父さんとお坊さんではまるで言うことが違うため、永遠のいのちとか復活を信じているわたしは、お坊さんが、「人は亡くなると49日目に生まれ変わるので法要が大事」と言っても、その瞬間、わたしは心の中で、「お言葉のとおりなりますように」とつぶやいている。

どちらが正しいということは論じても無意味だ。どちらを信じるかと言われても無意味。むしろ、わたしはいつもごく自然に、「お言葉のとおりなりますように」と心の中で呟いている。前世での行いによって良く生まれ変わったり、悪く生まれ変わったりするから功徳が大事と言われても、特に矛盾は感じない。キリスト教では良い行いをすると永遠のいのちを得るし、生きているうちに罪のゆるしを受けるために教会へ行く。死んでから供養してもらうより、生きているうちに罪をゆるしてもらったほうがよいではないか。・・・・の違いかな。(大雑把には)

でも、そういうことではなくて、わたしがよく訊かれるのは、「キリスト教ではお葬式はどうするんですか?」とか、そういうこと。わたしに訊かれても困るけど、カトリックだとお葬式もミサだし、毎年死者の日にもミサがあって、合同でするので法要とかはありませんと言うと、たいていの人は、「そういうのいいですね」と言うだけ。おそらくは、自分が行っても行かなくてもかまわない、自分が死んで誰も来てくれなくても誰かがやってくれるというのは気楽ということが言いたいのかも。

形式的なことかもしれないけど、死んだらカトリックの共同墓地に入りますときっぱり言って整理しないと、娘は大変かもしれない。封建時代の名残かな。

(使徒 20. 17-38)

投稿者 Blue Wind : February 21, 2011 04:42 AM | トラックバック
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