美容院へ行き、髪を黒く染めたら、マイケル・ジャクソンに似ているとダンナに言われた。娘にもダメだしされ、これから夏になるのに暗く染めてどうするんだと言われた。
わたし的には、茶色に退色した髪と伸びてきた地色の髪との境界線が病人臭いようでやけに気になり、いっそのこと髪を黒くして短く切ろうかと思っただけだ。が、しかし、加齢とともに、このところ毛先が軽くパーマをかけたみたいにくせが出てきたため、美容師に止められた。不思議なことに後ろの毛先だけがウェーブしている。放っておいても今風なので、もったいないか・・・ パーマと違って、天然なので切っても切ってもカールしてしまう。「短くしたほうが大変ですよ」と言われた。
うまく説明できないけど、マイケルが死んで、急に今の時代が嫌になってしまった。茶髪にもうんざりだし、やたらとカーリーなヘアスタイルにもうんざりだし、前髪も伸びてきたので、大昔、ワンレングスとかボブといった時代遅れなシロモノが、妙になつかしくなっただけなのかも。一種のノスタルジーだろうか・・・
昔のババアはもっと威厳があったような気がする。うちの母親は流行などおかまいなしに、いつもショートカットの同じヘアスタイルだった。化粧品も服もいつも似たようなものだった。香水もバッグもいつも同じようなもの。自分のスタイルや好みがはっきりしていて、自分にはこれしか似合わない、という信念があったような気がする。
わたし?
わたしは案外のらくらしていて、気分屋・・・ 毎年、趣味が変わる。美容師にボブにしてくださいと言っても、大変ですよと言われただけで、めんどーだからおまかせしてしまう。昔、ボブは一番楽なヘアスタイルと言われたものだが、若い人たちにとっては逆にややこしシロモノなのかも。髪型をやたらとこねくりまわす人に向いているらしい。
しかも気分屋で飽きっぽいから、すぐに飽きてしまう。それでいて飽きてもそのままだったりする。そのくせ流行なんてどうでもいい。それでいて流行に左右されやすい。
要するに、自分がぼーっとしているうちに、あまりにもくるくる世の中が変化していくので、ついていけない。バブルがはじけ、不景気になり、そのうち回復するだろうと思っているうちに今が大不況だと言われ、「あ、そう・・」という感じなのかも。
なんか、ついていけない。
(イザヤ 48. 14-15)
病気になっても次から次へと仕事は溜まっていくし、やらなければならないことも発生するし、それでいてフラフラするものだから少しも片付かない。ちょっと動くと疲れるし・・・入梅も手伝って、倦怠感が続いている。
ルナンの『パウロ』を読み終える。わたしが生まれる100年くらい前に書かれた本とは思えないほど面白かった。翻訳本なので読みやすいのかもしれないけど。
この本は、かなり物議をかもした人物によって書かれたものらしい。大学でヘブライ語を教えていた頃、イエズスを「比類なき人間」と言ったため停職になっている。フランス育ちのケルト人で、自らも聖職を志したこともあるのだから本当は信仰心の篤い人なのだろうけど、カトリックについてはボロカスに言っている。でも、面白い。
カトリックの教育を受けて一番役に立っているのは、何を言われても柔和にしていられることかも。これは仕事をする上で役に立つ。いろいろクレームがあったとしても柔和にしていることにより、自然と和らぐことが多い。それでは本当は怒っていないかといえばそういうわけではないらしく、たまにスコールのように爆発するが、あまり長続きしない。
初期のキリスト教の律法についての確執はあまりにも幼稚な気がする。そういうことで暴動になったり殺し合いになったりするのだと思うと、恐ろしくはなるが、親が子どもに決まりごとを言うのは当たり前のことだ。あーしなさい、こーしなさい、あれをやっちゃいけない、とか。何のためにかと言えば、子どもを危険から守るため。それと同時に、子どもの公園デビューを考えると、モノの取り合い、ケンカ、じゃれあい、年中騒動が絶えないし、どんな立派な人になろうとも、誰でも子どもの頃はそんなものだ。
そうやって考えると、16世紀の宗教改革などはまさしく思春期の反抗期の若者という感じ。人類も少しは成長したのかもしれない。
本を読んでいると、やたらと神学という言葉が出てくるけれども、もともとそういうことに興味があったわけではないし、何世紀に誰が何を言おうと、今の時代に誰が何を言おうと、それはその人の勝手。所詮はイマジネーションの産物という気がしてしまう。
わがジーザスが神か人か・・・
死んで神になったと考えるほうが仏教的な発想かも。正確には、神の右に座した、と言うべきか。そして、聖霊となりわたしたちと共にいる。
わたしは仏教の家庭に育ったせいか、すんなりそういうことを抵抗なく受け入れてしまう。逆に、復活してからだを持ち、魚を食べていたというほうが理解しにくい。
パウロが生前どんな人だったのかはともかく亡くなったら聖パウロとなり、神の啓示を受けて布教したという話も、アシジの聖フランチェスコの出家した修行僧のような生活も、東洋ではめずらしくも何ともないような気がする。
日本でも、高僧という人たちがいて、それぞれに始祖となり宗派がある。元は一つなんでしょうけど、ローマ・カトリックみたいに統一した教会組織はない。それでも何も困っていないみたいだけど・・・
どうでもいいんだよね・・・くま先生は若い頃にキリストの教えに感銘を受けて、聖公会で受洗したらしいけど、わたしはパウロの手紙を読んで、あまりにも古臭くてグワッとなった記憶がある。実際、古いんだけど・・・ 要するに、教えに感銘を受けて信仰心を持つ、というわけでもなさそうだ、少なくてもわたしの場合。いまだに教義を理解していないような気もするし・・・
終わりの日がいつ来るかもわからないのに煉獄でどれくらい待つんだろうとこの前のお婆さんに言われて以来、救いのことも考えないようにしているし・・・
要するに、愛と言うからわかりにくいわけで、パウロの手紙の愛という言葉をイエズス・キリストに置き換えたらわかりやすいかも。愛=イエズス・キリスト。だから、ほかの宗教には愛はない。イエスがいないから。どんな善いことをしても愛がないければ無に等しい。というのは、イエスがいなければ無に等しい、という気持ちかもしれない。どんなに素晴らしい教えでも、イエスがいなかったらつまらない。それが本音に近い。(いや、それがホンネだ。)
(マタイ 23. 1-22)
今日、検査をした。
片耳ずつ水を入れる。正常ならば水を入れた側に眩暈が生じる。わたしの場合は、右は正常だが、左が異常。つまり、耳の中に水を入れても眩暈が生じないというのは、神経が壊れているらしい。
というわけで、全然うれしくはなかったが、わたしの病気は前庭神経炎と確定。いわゆるストレスや自律神経系の眩暈と違い、風邪などのウイルスなどが原因ではないかと言われているが、あまりよくわかっていない病気らしい。
しかも、治らない。
その代わり、このふわふわとした状態に1〜2ヶ月すると慣れるらしく、日常生活には支障がなくなる。
何も触っていないと妙に不安定。ハンドルでも壁でも何かに触ると、急に落ち着く。手のひらで方向を感じ取っているかのよう。目は見えてはいるが、まるで暗闇の中のように手が頼り。
『パウロ』を読みながら、通常、右手と左手は別々の行動をとっていることを思い出す。わたしのように片側がやられると平衡感覚を失い、酷いと目も開けていられなくなる。
というわけで、右手と左手は別々に動き、ときに協調しあい、そして祈るときには合わせられる。
それにしても、しばらくは不自由な生活が続きそう。かなり回復したけど、それは治っているからではなく、単に新しい感覚に慣れていっているからにすぎない。
(マタイ 22. 34-40)
まっすぐに歩けないだけで、元気。
それでも平均台の上を歩いているような足取りから、坂道を登っているような感覚まで回復した。座っている分には何でもないので、やたらと読書をしている時間が延びている。視線がフラフラしている分、読むのが速くなったような気がする。
車を買った。
最初、プリウスにする予定だったが納車が車検に間に合わないのでインサイトにした。そして、その日、契約後、どしゃぶりだったので娘を迎えに図書館へ行った。探したけど、いない。仕方がないのでそのまま家に帰り、途中で雨の中、傘も差さずに自転車をこいでいる女の子がいて、若者は雨でも大丈夫なのかな、と話しながら家に戻る。
すると、しばらくして娘が帰ってきた。
絶句。あの雨の中を自転車に乗ってこいでいたのは、娘だった。
高校生になり、行動半径が広がり、自転車であちこち行ってしまう。男の子ならともかく、明るいうちに戻るようには言っているが、この前、学校から友達を乗せて帰ってきたら、彼女の親は毎日のように夜、学校へ彼女を迎えに行っているそう。図書館で9時まで勉強しているという。さすが・・・
娘の場合は、塾に行かせることにした。家では勉強する気にならないと言うので。甘いかな・・・ それでも苦手だった数学の成績が劇的に上がったので、こんなことならもっと早く行かせるべきだったかも。デッサンのほうも、学校行事とぶつかると2週間間が開いてしまうので、本当は週2回通わせたい。スケジュールがいっぱい。
夏休みの予定もめいっぱい。しかも、休み中は学校以外は送迎が必要。インサイトでは自転車は乗らない。
迷っていたら、駐車場で父さんの車がぶつけられた。買い換える予定だったのでどうでもいいと思ったが、相手の人が修理に保険を使うというので、うちの車の分も出るという。何となく運命だと思って、わたしもケイちゃんを諦めて、新しい車を買うことにした。自転車ごと乗るので、役に立つだろう。娘の夏休みに合わせたような納車の予定。
もったいないと思ってしばらくケイに乗ろうと思ったけど、この2年間は、あるいは3年間は娘にとっては大事。塾でも図書館でも自転車で行けるが、夜は危険だ。ただでさえ事故も多い。後悔してからでは遅い。雨が降ることもある。自転車ごと乗せられる車は必要。
この不景気な時代に、2台もまとめて買う人なんてめったにいない。でも、今なら減税もあるし、補助金も出るし、ダメ押しのように事故にまで遭い、背中を押されている。
***
今度は、『パウロ』を読み始めた。
なるべく教会へは行くようにしているが、こんな有様なので毎週は無理。結局、家で本を読んでいる。
が、しかし、教会がなかったら、わたしが信者になることもなかったわけで、さいたま教区では12万人のうち日本人は2万人しかいないとリーフに書いてあった。比率から言えば、つくばはまだ多いほうなのかも。
『パウロ』を読んでいると、教会によってぜんぜん雰囲気が違うことがわかる。今でもそうなんだろうか。英語ミサと日本語ミサでは何となく雰囲気が違うし、そういうものなのかもしれない。
イベントはまめにあるけど、こういう有様なので、気乗りしない。
わたしは教会で何を学んでいるのだろう?
(ネヘミヤ 5. 10-13)
水曜日に退院したものの、今度は酷い立ちくらみが始まった。
先週の日曜日、我慢できずに病院へ行った。土曜日の朝以来、ずっと眩暈が続き、いつまで経っても治らないどころか眩暈のために吐き気がして何も食べられない。仕方なくそのまま入院。火曜日頃には起きられるようになり、水曜日には退院してきた。
昨日、耳鼻科の外来を受診し、「眩暈は治まっているが、ずっと長い間眩暈が続いていたせいで、今度は体が平衡感覚を取り戻そうとしてしばらくはクラクラしますよ。」と医者に言われた。
脳の検査をして何でもないので、精神的なものかもしれないと言われたが、それにしては長すぎるので耳鼻科を受診したら、前庭神経炎ではないかと言われた。ウイルスが原因ではないかと言われているらしいが、はっきりしたことはわかっていない病気らしい。
ビーズアクセサリーを作り始めたのが原因だろうか・・・
わたし的にはそれくらいしか思いあたらなかった。目が弱くなっている。昔のように無理はきかないようだ。
それにしても、一度眩暈に順応してしまった脳が、今度は普通の平衡感覚を取り戻すまで、この不愉快な状態が続くと思ったら、なおさらクラクラする。来週、また検査のために耳鼻科を受診することになった。わたしは治れば何が原因だろうとかまわない。でも、病名がはっきりしたほうがすっきりはするかも。
なんせ、眩暈が続くと言ったら、みんなストレスが原因だと言う。でも、心あたりはないし・・・ あるとすれば仕事のことかもしれないが、はっきりしているのはストレス性の眩暈症にしては症状が長すぎるらしく、残るは神経の炎症くらいしか考えられない。
精神的なことがストレスなら何がストレスなのか原因がわかりそうなものだけど、なお悪いことに何が原因なのか自分ではわからない。耳鼻科の疾患でなかったら、今度は神経科だろうか。いずれにせよ、疲れているのは確かなのだろう。そのくせ、血圧まで正常になってしまい、はっきりしているのは度の強い眼鏡をかけてクラクラするときのような感覚が続いているにすぎないということ。こんなんで、来週から職場に復帰できるだろうか。
もしかすると、Mさんが辞めたことと関係があるのだろうか。心配は心配だよね・・・ ご主人が失業し、常勤で働ける職場を見つけたということで急に辞めたけど、派遣なのでまたすぐに失業してしまうかもしれない。それにしても、こんなことになるなら無理してでもあと1ヶ月いてもらったほうがよかっただろうか。
まあ、世の中は自分の都合どおりにはいかない。
黙って回復を待つしかないか・・・
受洗してからだな・・・何となく神経が休まらないのは。これは言葉にはならないほどの沈黙の圧力だ。
文字通り、平衡感覚を失っている。日常生活と信仰生活とのバランスが取れない。日常生活と信仰とが分離していれば、それは切り替えスイッチを押すようなもので互いに干渉しあうことはない。
そのうち自然とバランスが保てるようになるかもしれない。今は何かどこかがバランスを失い、そうやって抑えてきたものが、病気になって表出しているだけなのかも。原因不明の病気というのは厄介。来週、検査だけは受けよう。それでも原因がわからなければ、放っておくしかない。
でも、良性眩暈症の次に、前庭神経炎というのは多い病気らしい・・・
(ルカ 6. 6-11)
6月6〜11日 眩暈発症から退院までだ・・・ こういう符合って、ある。偶然の一致。
聖霊降臨の主日・・・・教会の誕生日。
なぜかすごく感動した。
入信のときも、受洗のときも、ぼーっとしていただけだが、神父さんに、「今日は教会のお誕生日です」と言われたとき、なぜかすごく感動した。聖霊がやってきたとき、教会が生まれた。教会が生まれたということに感動したのだろうか。あるいは、教会とは生まれるものなのだ、ということを知り、もはやあることが当たり前だと思っていたことが、実は、祖父母や親にも子どもの頃があったのだということを子どもの頃に初めて知ったときのような感動を覚えたのかもしれない。
プロテスタント系の書籍を途中で読むのをやめて、今、ベネディクト16世の「ナザレのイエス」を読んでいる。これもすごく面白い本。
ややこしいことは抜きにして、ものすごくわかりやすい。山上の説教や主の祈りなど、何回読んでも言っても、本当の意味はわたしにはわからない。わからないけれども、教えられて、そのまま覚えている。でも、考えてみれば、わたしのような無知な人が尋ねるのならともかく、イエズスの弟子たちが、イエズスに、どうやって祈ってよいのか尋ねるのは不思議なこと。ユダヤ人は子どもの頃から会堂へ行き、宗教どっぷりの生活をしているのだから、今さら尋ねるのは不思議なのである。
聖書を解釈を読みながらやっと読み終えて、この本を読み、実は何もわかっていないことに気づかされる。
ほかにイエズスについて書かれた本はたくさんあるけれども、どれもあまり共感しない。ただ、知識として、ユダヤのことについて少し知る、というだけのことで、それがわかったからといって聖書がわかるわけでもないことを知る。そしてあらためてこの本を読み、わたしたちはイエズスについて実は何もわからない、ということを前提に、イエズスのことを考えると、イエズスの神秘と単純さに驚かされる。
単純さに驚かされる・・・
イエズスは少しも嘘を言っていない。
「父から聞いたことをそのまま言っている」のであって、自分のことを話しているわけではない。
そうすると、無理なんだな・・・
行ったこともない、見たこともないところを誰かに訊いても、わたしがそれを理解するのは不可能だし、逆に、日本のことを知らない人たちに日本のことを説明しようとしても不可能。だから、わたしがみことばを理解できないとしても当たり前だというのは言いすぎだろうか。
でも、面白いから・・・
ガラス越しでは、何が言いたいのか聞こえない。
おそらくは、わたしはガラス越しでイエズスの話を聞いているのであり、そのガラスはわたし自身の心の壁なのかもしれない。
現存する神・・・
つまり、神さまは生きている。
でも、神さまが生きていることを認めてしまうと、なんだか自分が死んでいるような気がしてしまう。ややこしい壁。
(イザヤ 36. 17)