April 28, 2006

明日から休みか・・・ぼぉ〜

明日からゴールデンウィーク。予定はない。

すでに夏休みの旅行の予約を済まし、ビンタン島へのフェリーをサイトから予約したけれども、予約番号を忘れてしまい、しかもネットなのでかなり不安な部分がある。というのは、やり直しの指示があったのでやり直したのだけれども、どうもうまくいかない。そのくせ、再び予約しようとすると、わたしの名前はすでに予約者のリストに載っているらしく、確かめるにも予約番号がわからない。こんなんで本当に大丈夫なのだろうか・・・

まあ、何とかなるだろう。そう思わなければ旅行なんてできない。

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テレビで、北朝鮮の拉致被害者の家族とブッシュ大統領との会談の日時が決まったと言っていた。イラクが終わったら次は北朝鮮。どうやって考えても、アメリカの次のターゲットは北朝鮮で、しかも今回は日本が当事者でもある。拉致被害者は日本人だけではなく、周辺諸国にまで及んでおり、彼らの救出こそが次の戦争の目的。あまりにもわかりやすくて、サミットや国連のゆくえが気になるところ。できれば外交により、無事に解決できることを祈るしかない。

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なんか、こう、退廃的な気分。でも、憂鬱というわけではない。

いささかこれがノーマルなんだろうと思いつつ、まめに出歩いたり、たまに電車に乗ったりすると、楽しくもあるが疲れてしまい、それでいて鬱蒼とした生活臭というものから逃れるかのように華美に走りたくなってしまう気持ちが伝染する。

それが普通なんだろうと思いつつ、ずっと家の中にいると、毎日のルーティンが続くだけでぼ〜っとしているうちに一日が終わり、子どもの送迎などをしているうちに時間だけが過ぎて行く。でも、そういう何もしない時間というのが自分にとっては癒しであり、だからこそたまに人の多いところへ行ったりすると疲れるのだろう。

投稿者 Blue Wind : 06:18 PM | コメント (0) | トラックバック

オークション

パソコンを変えたら、Yahoo!のツールバーが付いている。機能を確かめるようにクリックしていたら、オークションのページが開いた。そこで美術品をクリックすると、なつかしのローランサンの版画が売られており、いくつか眺めているうちに、日本の画家の版画のお気に入りを見つけたので、ためしに入札してみた。

が、しかし・・・
オークションというものを知らないので、妙に安いと感心しているうちに忘れてしまい、気が付いたら終わっていた。案外気に入っていたので、少しがっかり。

そこで、今日はアクセサリーのセールに目が行く。ダイヤモンドがこんなに安くて大丈夫なのだろうかといささか不安になったが、落札者の評価を眺めていると大丈夫そうなので参加。本当にこの価格で、この商品が買えるのならば、正直、ショップで買うのはいささか馬鹿げている気がするほどだ。

前回、知らないうちに終わってしまっていたので、今回は用心深く、似たような商品をいくつピックアップした。終了時間をカウントしながら、家族で画面を眺める。

ダンナが横でわたしよりも熱くなっている。
なんでだろう・・・
お酒が入っているせいもあるが、市価の1割以下で買えるとなれば誰でも熱くなるのではないだろうか。横で、本当に欲しいのならば、倍の値段で入札しろとうるさい。
わたしは、これは女の戦いだから、せこくてかまわないのだと諭す。
いや・・・それよりも全部落札してしまったらどうしようかと、そちらのほうを心配している。
オークションというのは、勝ってもうれしいが、なぜか負けてもほっとする。
つまり、生きるに必要のない世界。

それでも似たような商品なので、どういうわけか娘とも相談し、価格の上がっていくものはあきらめた。それでも終了間際3分をきった商品をゲットしてしまい、ごめんなさい、という感じ。

本命の商品は同じ商品が出ているので明日にしようかと思ったが、どうせ間際になれば同じことだと思い、落札した。それよりも同じものを買わなければならなくなったらどうしようかと思ったが、そのときはそのときで考えよう・・・と、姑さんの顔が浮かんだ。

投稿者 Blue Wind : 02:23 AM | コメント (0) | トラックバック

April 26, 2006

【今日の短歌】 夕暮れは夕飯時と思いやる飲み屋の並ぶ秋葉原去り

我の強い人たちがみな我が強く生きてしまえばしあわせも星
小さな葉つけて咲いてるチューリップ いつ植えたのか忘れ球根

自由ってすこし寂しいものなのか時のままにぞ流されてゆく
夕暮れは夕飯時と思いやる飲み屋の並ぶ秋葉原去り
ここからが1時間だと思っては暇つぶし居るバーガーショップ

他愛なく子は育ちゆきまどろみの通勤電車ながき旅路に

投稿者 Blue Wind : 01:02 AM | コメント (0) | トラックバック

April 25, 2006

同窓会

日曜日、同窓会へ行く、娘を連れて。子連れで来ていたのはわたしだけだ・・・(当たり前か・・) わたしだって子連れで出席したのは初めて。

はがきが着ても、ずっと忘れていて、間際になり電話がかかってきた。銀座で食事をするというので、娘が一緒に行きたいと言い出し、幹事に訊いたら大丈夫だというので連れて行った。TXにも乗ったことがなかったし・・・ 

それにしてもあの値段であの程度の粗食で、ショッピングをするにしても大して見所がない、というのも銀座という感じ。TXも常磐線の雰囲気をたたえ、パンフでは車内でパソコンまで打てる雰囲気だったが、実際に乗ってみると単なる通勤電車で、シートは地下鉄のほうがふかふかだったし、唯一の利点はターミナルからターミナルまで乗車するので、ずっと座っていけたことくらいかも。

それにしても、東京ってあんなにごみごみしたしょぼい街だったっけ?
昔はそんな風に感じたことはあまりなかったけれども、つくばの街並みに慣れてしまったせいか、狭い歩道を人を避けながら歩いていたりすると、どこかみすぼらしくもあり、どうやらその手の感覚はわたしだけではないようで、少し安心した。

それにしても公衆電話の数がめっきり減り、たまに外出したりするとケータイがないと不便だということを知る。日頃は必要性を感じないけれども、同窓会みたいにあちこちに集団で移動するときなどは不可欠かもしれない。

娘が一緒だったので、わたしは2次会で帰ることになったけれども、まだまだ3次会4次会、さらに5次会まで続いていくことを考えると、最後には独身・子なし組しか残らないだろうけど、案外その数も多く、子どもが大学へ行くような年頃になってしまった人たちはもっと暇そうなので、今まではオリンピック・イヤーだったのが、これからは毎年やるそう。

まいったな。それにしても、みんな昔とまるで変わっていない。一番変わっていないのは担任の先生で、先生を招待したのは今回が初めてだけど、あまりにも変わっていないので驚きの声がいっせいにあがったほどだった。

先生に旧姓で呼ばれたりすると、おとなげない。めずらしく記念写真を撮ることになり、先生を中心に並んだら、例のごとく、誰が何をするわけでもないのに、ほとんどの人たちが自分の定位置にいる。なんでだろう・・・いつも背の順だったせいか、気がつくと記念写真のメンバーはいつも同じ場所に写っているような気がする。しかも、あまりにもがやがやうるさいので、お店の人に注意されてしまった。

いかんなー、40歳をすぎてもまるで成長していない。近頃、娘が、「お母さんは昔どんな感じだったの?」と訊きたがるのだけど、どんな感じだったも何も「こんな感じ」としか答えられそうにない。娘が、おばさんたちは話が長いと怒っていたが、別におばさんになる以前からそうだったわけで、そこのところを誤解している。

その娘は・・・というと、スクールバスを待っている間、友達と一緒に食堂で話していたら、バスに乗り遅れたと電話があり、びびった。近くだからいいようなものの、遠かったら大変なことになる。それでいて、一緒に乗り遅れた子のお母さんに家まで乗せてきてもらった。ローカル。

それにしても、なんで喉が枯れるほど話すことがあるのだろう・・・不思議だ。

投稿者 Blue Wind : 02:26 PM | コメント (0) | トラックバック

April 19, 2006

娘が幼稚園の頃のよう

デスクトップに向かうのは何年ぶりだろう。インターネットを始めて以来ずっとノートを使用していたので、どうもキーボードの感覚が違うために、自分で打っていながらかちゃかちゃうるさく感じられる。家を建てたばかりの頃に買った小さな液晶テレビが寿命で壊れたため、パソコンをテレビとして使うという話は以前からあったのだが、無線LANにするのも面倒なのでインターネットの回線はわたしのパソコンが独占していた。

そういう時期だったのかもしれないな。自室にパソコンやテレビを置くことは学校で禁じられているため、居間にその手の代物をセッティングしなければならない。わたしはテレビは観ないけど、どうしてもダンナと娘のチャンネル権争いがあり、テレビが2台というのも避けられない。常に現実を考えなければ。

それにしても主婦はつおい。
結局、飾り棚のついた窓際を自分の趣味のスペースに改造してしまった。どうやって考えても、キッチンの近くから離れられない。もっと快適なスペースがあるはずなのに、われながらバカみたい。飾り棚に設置したためにキーボードを打つ場所がないため、小さなドレッサーもどきを買ってきて、それをキーボード置き場にしてしまった。机はどんなに小さいものでも案外大きいので、かさばりすぎる。

それにしても、サイトを一つ開くたびにダウンロードが必要な気がするほどソフトが違う。大抵のパスワードはパソコンに記憶させていたため、いちいち打ち込まなければならない上に、すでに忘れているパスワードも多い。秘密の質問の答えすら忘れていたし・・・セキュリティよりもぼけたことを考えて設定しないとそのうち何もできなくなりそう。

それにしても、何でも検索で調べるクセがついてしまっているため、ネットが使えないというのが相当ダメージ。電車やバスの時刻表やお店の検索、あるいは旅行の予約にしてもすべてネット。おりしも今は夏休みの航空券を確保するために競争の時期。今を逃すと間際で代理店が抑えているものを使うしかない。オフ・シーズンに旅行に行けた頃が懐かしい。

***

とにもかくにも、あわただしくしているうちに娘も学校に慣れ始め、最初の頃は鼻歌が止まらない。学校が楽しいそう。幼稚園の頃の同級生が後ろの席。わたしは覚えているけど、彼女たちは覚えていないそう。

そうやって言われると、わたしだって幼稚園の頃の先生の名前も友達の名前も覚えていない。同じクラスに誰がいたかなんて皆無に近い記憶。最低でも記憶に残っているのは、近所で一緒に遊んだ友達とか、小学校でも高学年になってからの友達で、札幌時代の記憶はそれこそそれ以外は皆無。

世間は狭く、大学時代に偶然同じ幼稚園へ通っていたという人に遭遇したことがある。苗字が変わっていたので、あちらのお母さんがわたしのことを覚えていたそう。単なるおさななじみに遭遇したこともあるし、小学校の同級生とかね・・・高学年になると面影があるため、どこかで見たことがあるなー、という程度の認識はできる。

が、しかし、幼稚園の頃では無理だ。

そんなこんなを思い巡らしながら、毎朝のバス停には同じ小学校だった子たちが集い、学校が違ってもバス停は同じというつくばの狭さを感じる。

というわけで、娘はうきうきしながら楽しく通学している。時間になればバスで帰ってくるなんて幼稚園の頃を思い出してしまう。わたしもようやく塾や学校への送迎から開放され、こうやってあまり時間を気にせずぱちぱち打っていられるなんて何年ぶりだろう。(夜中を別として・・・)

投稿者 Blue Wind : 05:24 PM | コメント (0) | トラックバック

April 11, 2006

老化の自覚

カレンダーを眺めて、なんだ勘違いかと、この前書いた記事を読む。
そそっかしいのは昔から。

日曜日に娘の入学式を終え、演台の横に飾ってあった立派な盆栽を眺め、それが軽トラの荷台に載せられて校門を出て行くところを目撃し、いまどきお祝いに盆栽を飾る学校に面食らう。

昨日は代休。市役所に行き、住民票を取る。中学へ提出するため。
一体何に使うのだろうと思いつつ、住民票への記載事項をどうしてよいのか迷い、担任に質問しても知らないと言われ、そういうアバウトさが中学なんだなーと意味不明な感慨を覚えた。

どこの中学でも同じらしいけど、今日は学力検査、明日は知能検査があり、その翌日から平常授業が始まる。

はあ〜、疲れる。
娘は無事にバスに乗れただろうか。
小学校のときより家を出るのが30分遅いため、朝、時間をもてあます。

ようやく古紙の日を迎え、近所に古本屋がオープンしたのを気にしながら、それでもどっさり捨てた。リサイクル用に紙紐を使ったら紐が切れた。ダンボールやら古雑誌やら新聞やら、ゴミを捨てるのも肉体労働だ。歩いては無理なので、クルマに積み、捨てに行く。

捨てたら買いたくなるのが人情で、このところ電気街を歩いている。物によっては学生時代から使っているものもあるし、壊れたままになっていたのもあるし、電気コンロやヘルスメーター、ドライヤーやひげそりまで新しくなった。

ソファのクッションがそろそろダメになってきているので、この前から買い替えを考えている。それでいて気に入っているので捨てられない。それでいて、マッサージ・チェア・・・とうとう買ってしまった。最新式。医療機器メーカーが出しているもので、今までイメージしていたものとはまったく違う。わたしは持病があるため、かなりリハビリで痛い思いをしてきたが、座ったとたん数十年前の記憶が甦るくらい、違う。

もう、ババアなんだよね・・・近頃、老眼が始まり、クルマを運転しているときに目がしょぼしょぼするので怖い。運転できないほどではないが、いわゆるかすみ目というやつなんだろうか。めったに薬は買わないが、ドラッグストアで目薬を買ってしまうほど、近頃目が気になる。老眼は病気ではないので仕方がない。

老眼とか代謝異常とか、どうも病気のようで病気でないような代物が一番困る気がする。まあ、対処療法で目薬を差したり、マッサージチェアで血行を促進したり、食事を考えたり、そうやって自分と付き合っていくしかない年頃になってしまったのだと自覚。

もう、世代交代。
少し前ならわたしのほうが重い荷物を持っていたが、近頃では娘が重いほうを持つ。夜中にダンボールの整理をしていたら娘が起きてきたので結局捨てに行くまで手伝ってもらった。彼女も緊張しているせいか、少し動いて疲れたほうが眠れるからと言う。

テンはついこの前200グラムだったのに、今は2.1キロくらいある。母犬のマリが3.3キロ。父犬は4.7キロ。すっかり犬3匹状態になり、2匹と3匹では違うなーと思いながら、彼らは自然と群れをなすようになり、まるで親離れをした子のように自立してきた。

それなりに節目の時期なんだろうな。
今までは何となく娘の赤ちゃんの頃のものでも捨てられなかったけれども、子どもはあっという間に育ってしまうし、靴ですらすぐに履けなくなる。いまだにベビーチェアが置いてあるというのも不自然。ダンナの荷物置き場になってしまっている・・・そうやって古くなって不自然なものが多くなっているのに住人は気づかない。

投稿者 Blue Wind : 03:48 PM | コメント (0) | トラックバック

April 08, 2006

Good Fridayに『パッション』?

偶然というものを信じない人に何を語っても無意味だと思える瞬間がある。それでもそれがわたしの潜在意識の中に存在する何かにより突き動かされたものであるならば、それはそれで喜ぼう。

メル・ギブソンの『パッション』を観始めたとき、まさか・・・と思ったら、そのまさかだった。つまり、まさにイエズスの受難のシーンから復活までの短い出来事を映画にしている。かなり前から観ようと思いつつ、お子さまは禁止の映画のため、わたしは避けていた。

あるのは、暴力。聖書に忠実に磔刑のシーンを再現すると、ああいう残酷な画面が広がるのかと思うと、それなりに避けたい気分になっても無理はないのでは・・・

夜に観たので、娘は途中で眠ってしまった。最初のうちはいろいろ質問していたのだけれど、最後に、「三日後に復活するんでしょ?」と言い、わたしが「どうして知っているの?」と問うと、図書室で調べたと言っていた。そういえば、国語の教科書の中に、マザー・テレサのお話やアンネ・フランクの薔薇のお話が載っており、クリスマスにはお祝いをする国なので、キリスト教について知りたければ図書室には資料があるのだろう。

わたしは家で聖書を読んではいるが、特にそれを娘に強要するつもりはない。というのは、子どもの感性のほうがわたしの錆び付いた感性よりもずっとマシだからとしか言えない。たとえば、子どもに何かを伝えようとするなら、『パッション』よりも『チャーリーとチョコレート工場』のほうがいい。映画には5人の子どもたちが登場し、ファンタジーの中にメッセージがある。夢があり、家族の愛があり、とても貧しいチャーリーの家族がハッピーになるお話。

神の奇蹟、か。

そう・・・すべてはそれに尽きる。

投稿者 Blue Wind : 03:15 AM | コメント (0) | トラックバック

小学校を卒業したばかりの女の子たち

偶然なんでしょうが、『パッション』を観た。
偶然、というより、無意識に、と言ったほうが正確かもしれない。

今ちょうど入学式のシーズンで、始業式は済ませた学校は多いものの卒業生たちはヒマにしている。そのため、このところ連日して娘の友達が遊びに来ている。それもひとりっこばかり・・・正確には一人娘ばかり・・・?

小さい頃とは違って、親がいると何となく気を使う年頃。DVDを何本か借りてきたので、それを皆で観ることにしたり、プリクラを撮りたいというので送って行ったり・・・どんな映画がよいのかわからないけど、結構子ども向けの映画も出ているので借りてみた。

娘が選んだのは『チャーリーとチョコレート工場』。わたしは、ついでに『王の帰還』を続編だとは気づかずに選び、『パッション』を同時に借りた。娘は『チャーリーとチョコレート工場』をすごく気に入り、その翌日に友達がやってくる、という具合。期間を長く借りたので、皆で観ないとソン。しかも、リビングを占領されてしまったので、その間、わたしは美容院に追い出された。

その翌日、皆でプリクラを撮影したいと言い出した子がいて、てっきりその子の親が連れて行ってくれるのかと思ったら、違った。あちらの親がわたしが連れて行くと思い、わたしはあちらの親が連れて行くと思い込んでいることに気づく。うっかり子どもだけでなんてとんでもないと思いつつ、今時の子どもたちはまるで平気。もっと小さければ案外無頓着かもしれないが、子どもだけでゲーセンに行かれたら、今度は補導されかねない。

そこでいろいろ打ち合わせをして、子どもたちがプリクラを撮っている間、わたしは銀行へ行き、もし誰かに何かを尋ねられたらケータイから親に連絡に取ること(わたしはケータイは持っていないが・・)、待ち合わせ時間と行ってもよい場所をあらかじめ決めて、ゲーセンには入らないこと、など、ずさんではあるが細かいチェックをして、とにかくお出かけすることにした。

でも、女の子ばかりでわいわいしていると、それなりに楽しい。ちょうど、友達といて一番楽しい年頃だもの。まだ素直な年頃だから、してはいけないと注意すればしないし・・・

おっそろしいほどプリクラを撮って、それを皆で分けたそう。撮影しては鋏で切って分けて、あっちのプリクラ、こっちのプリクラ、という具合にはしごしているうちにあっという間に1時間が経過し、わたしが到着すると、おそろしい勢いでファンシーショップでお菓子を買っていた。

一人、ピアノのレッスンがあるので、急がなければならない。ジュースを買って、クルマの中で飲みながら、家路を急ぐ。家に着いたら、約束どおり、家で『太鼓の達人』。ゲーセンでやったら1回200円取られるというので、家でやるというお約束。

まだ小学校を卒業したばかりの女の子たちは、映画館の代わりに居間でDVD、ゲーセンの代わりにプレステ。皆でやればどこでやっても楽しい。ショッピングも100均やファンシーショップ。

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April 03, 2006

春休みの日常

娘が春休みに入り、すっかりネットをしているヒマがなくなった。今日は、友達と一緒にお花見に出かけたので、久しぶりにひとりでのんびりしている。

ちょうど中学へ進級するというのは一つの節目で、いつまでもおもちゃと服と絵の道具と勉強道具で散乱している娘の部屋をそれなりに整頓しようということになり、そこから派生して家中を大掃除する破目になってしまった。

時間と体力があれば、いまだにおむつの果てまで残っている屋根裏部屋もやりたいけど、どうもそこまではできそうにない。ただ、気分の問題というか、何となく捨てられないものを別にしても、あっという間に成長してしまった娘の服がおそろしいほどたまっており、そのうち誰かに・・・なんてことを考えていたら、今の時代は少しも片付かないことに気づく。

それと、幼稚園時代からの絵本。これがバカにならないほどたまっている。開業するならわざわざ買いなおすのももったいないので、綺麗なものはとっておこうとは思うものの、それにしても想像していた以上に数が多い。

それと、気がつけば、犬用のグッズが無視できないほどたまっている。しかも彼らは見事に羽根布団を破いてくれたので細かい羽が部屋の至るところに散乱し、これが絨毯の上だからなかなか片付かない。うっかり洗濯したものにも飛んでしまうし、あれにこれにと洗濯をやり直しているうちに衣替えの季節。

いちいち書いていたらキリがない。片付けの合間に、家事がある。2日間は娘に食事をつくってもらった。肉を焼いたり、サラダをトッピングしたりするような家庭料理なら、すでに娘でも充分だということを知る。

中学の指導方針で、娘にも何か家事を分担することになっているのだけど、悩んでいたらトイレ掃除をしてくれた。ついでに二階のトイレも掃除してくれないかと思ったけど、ほとんど父親しか使わないので、父親が自分でやるべきだと譲らない・・・(汗

オトのマーキングには泣かされているので、それを何とかしてほしいと思ったが、それも嫌らしい。

まあ、いいや。こちらがやってほしいと思うことは誰でもやるのが嫌なことなのだろうし、無理にやらせるつもりはない。そこを無理にやらせようとするのが父親で、そうなるといちいち反抗している。どうせやるのなら素直にやったほうが・・・と思っても必ず悶着してからやる。

それもバランスなんだろうな。
「父親に言われる⇒やりたくない⇒母親がやる」
という流れがあるから、父親には反抗し、母親には素直に従う。

なんかね・・・
息子でもいたら違ったのかもしれないが、どうも娘が男の子みたいだと感じる所以はこういう家庭環境にあるのかもしれん。

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