いつものように、すっきりとトルコ旅行をまとめられないのは、かなり精神的にショックを感じているのかもしれない。
トルコ人は、フレンドリーだし、親切だし、トルコという国が嫌いなわけではない。日本人としての私は、トルコが好きなのかもしれない。
でも、クリスチャンとしては、心の中にさわさわとした思いが広がり、遺跡として、あるいは博物館扱いされている教会をみると、複雑な思いに駆られてしまう。
それは一つの過ぎ去った歴史だと思っていた。この場合の、”それ”という言葉の中には、アヤソフィアも含まれてはいるが、あのように観光地化されてしまっていると、特に何かを感じるわけではない。
でも、夕方にもかかわらず、マリア様の家にシャトルを出してくれるという宿の厚意に甘えて、車に乗り込み、セルチュクからエフェスの裏のブルブル山へ向かったが、セルチュクから7キロ、エフェスの遺跡から4キロといった近距離にもかかわらず、何もない山の中をぐるぐると山頂をめざして登っているのに気がついたとき、実際には2倍の距離に感じられた。
本当に、何もないのである。ただひたすら山を登っていく。
そろそろ山頂かと思った頃、車が止まり、運転手に、「トウェルブ・フィフティ」と訛りの酷い英語で言われ、意味がわからないので、言葉が通じないと思った運転手が何度も繰り返す。
気がつけば駐車場の入口におり、そこで駐車場の料金を払わなければならないのかと思ったら、そうではなく、そこでマリア様の家の”入場料”を支払うようになっているのである。
で、次は、「サーティ・ミニッツ。」
つまり、30分だけ時間をくれるという約束。確かに狭いので、30分もあれば十分に見学できてしまう。でも、牢屋に面会に行くかのように制限時間を決められ、入口にはトルコ兵が3人。
が、8月の13日の夕方である。シスターの後ろについて家というか教会の中に入ると、神父様が入ってきて、御ミサが始まってしまった。私は、ロウソクを持ったまま、燭台を探してマリア様の前にいたのだが、ほかの人たちと一緒に床に座り、あの狭い家の中で御ミサにあずかることになった。
マリア様の祈りの後、大聖人の復唱になった頃、わたしは手に持っていて柔らかくなってしまったロウソクを持ち、出口へ向かった。
マリア様の家は、日本で言ったら、玄関と6畳くらいの大きさの部屋しかない。入口から出口までは一方通行になっており、燭台は出口の外に置かれていた。しかも、実際の土台をもとに建てられているらしいが、天井は高くされたらしい。ってことは、窒息しそうな狭さ。
外には、泉の跡地らしきものがあるが、今は水が枯れてしまっていた。
私は、聖ヨハネ教会の近くに宿をとったので、聖ヨハネ教会の前からシャトルバスに乗り込み、マリア様の家に向かったことになる。宿の近くは、静かなところで、眺めはよい。でも、入口で入場料を払い、聖ヨハネ教会の中に入ると、そこはもはや遺跡と化している。そして、聖ヨハネのお墓があるのだが、本物だろうかと思うくらい、放置されている。
聖ヨハネの家からかなり離れて、エフェスの都の裏山の山頂に、マリア様の家があるのは、かなり不自然だ。それって、今で言うところの軟禁状態に置かれていたという意味ではないだろうか。どこかに、神様の母親ということで当時の人たちが困って、ブルブル山にマリア様の家を建てたと書かれていたが、あまり歓迎されているふうには感じられなかった。
でも、山を下って行くと、綺麗なエーゲ海が見え、当時は海だったという湾まで想像すると、とても美しい光景が広がっている。軟禁状態に腹を立てるよりも、そういう窮屈さがあるほうがマリア様の家という気もして、遠くから見るエーゲ海に見とれているうちに、車の窓からはエフェスの遺跡の土産物屋が見えてきた。
コリント一 10. 28-31
今、消費税を値上げしたら、また生活保護の人たちが増えるだけのような気がする。しかも、税収だって将来的には減収だろう。手取り所得が減って、買い物を増やす人がいたら、経済破綻者としか言いようがない。
デフレが続いているので、税金が増えても、モノの価格が高くなった気がしないということは、売上が減少しているということで、そうなればボーナスカットやリストラにつながる。どこもかしこも不景気で、しかも自然災害のオンパレード。地震はおさまらないし、逆に首都圏の大地震の予報すら流れている。
国会中継がなされ、首相の覚悟が固ければ固いほど、消費税が値上がりし、社会保険料が値上がりし、電気料金が値上がりし、ますます生活が苦しくなった時に備えて、ますます財布の紐が堅くなる。
教会だって同じ。
毎回、何がしかの寄付やチャリティの話ばかりで、これ以上は勘弁してほしいという空気。教会行くと、財布がカラになるねと話す。わたしは会計のことは知らないけれども、深刻そうな顔で、財政難と言われる。節約のために、トイレのゴミまで信者の誰かが持ち帰る。
某チャリティのとき、単位が千円。
なるべく教会の外で寄付をもらってくれと言われたが、教会の資金のために、信徒以外の人の誰に1000円の寄付を頼めるだろう・・・こんな時代に。次いで、司祭館の建設?
日曜日に駐車させてもらっていたホテルが潰れた。次回からどこに車を停めたらよいのだろう。
秋にはバザー。バザーのくせに、料金が高い。値札付けの手伝いに行ったら、安すぎると叱られた。幼稚園のバザーだと、新品の鍋でも500円くらいで売っているのに、教会だと中古の鍋が2000円だったかな・・・
売れたんだろうか。
聖歌隊の席には座らない。居心地が悪いから。歌ってはいるけどね。
娘も嫌がり、友達はもっと嫌がり、やっぱりわたしだけではないのだと、近頃、素直に認められるようになった。わたしが嫌なのは、わたしのわがままかもしれないと思っていたが、あるいは、そのうち慣れたら変わるだろうかと思っていたが、手話サークルの仲間と後ろの席で、御ミサの手話の練習をしているほうが楽しいことに気がついた。
今の教会に慣れるに従い、次第に教会へ行く回数が減っている。勉強会も行かなくなったら、聖書の集いと名称が変わっていた。出席者もやることも同じなのに、名前だけ変えても意味がないと思うのだが、突然、行かなくなったので、深読みされているのだろうか。
突然、教会へ行かなくなったのは、主には姑さんが原因だったのだが、メンタル面では、タヒチ旅行について、ちょこっとイヤミを言われたのが原因だったのかもしれない。旅行など興味のない人にはわからないかもしれないが、生活費を削ってまで旅行に行きたいんだよね、昔から。それを誰かに理解してもらおうとは思わないが、それを切り崩してまで、教会の財政難を救いたいとは思えない。
そういう金銭的なことが原因で、信仰心が薄いと思われるなら、それはそれで構わない。ほとほと嫌気。みんなの生活が苦しい時に、司祭館を建設すると言い出すのが当たり前なら、逃げ出してヴァカンスに行くというのも当たり前なのである。(たぶん)
ヨハネ 7. 32−36
天国は遠い・・・
今年は、マリア様の家に行く。
場所は、エフェスの遺跡の近く。トルコのエーゲ海側の山の中。ガイドブックで見つけた。
聖書の中には出てこないが、イエス様の磔刑の後、マリア様は聖ヨハネとともにエフェスへ。聖ヨハネ教会は、セルチュクというエフェスの遺跡から4キロくらいのところにあり、そこからマリア様の家まで7キロくらい。聖ヨハネはエフェス(セルチュク)に住み、聖書の中の福音は、そこで書かれたらしい。
マリア様の家も聖ヨハネ教会も、ガイドブックにはほとんど記載がない。日本のガイドブックにあるのは、エフェスの遺跡のことばかりで、中の地図まで載っている。一つわかったのは、マリア様の家に行くには公共の乗り物がないので、タクシーを使うしかないということ。毎年15日には御ミサがあるらしいが、カッパドキアにも行ってみたいので、諦めた。
トルコの地図を眺めていると、聖書の中に出てくる地名が名前を変えて存在していることに気づく。今では当時の痕跡はまるでないらしいが、一度は行ってみたい国だ。
が、しかし、結構、不安になっている。
理由は、シリア情勢。東部へ行かなければ大丈夫だとは思うが、最近、トルコへ行ってきたばかりの人が、タクシーで強盗に会い、財布を盗まれたという話を聞かされた。この他にも、絨毯詐欺とか、日本人を狙った事件が多発。そういう意味では、かなり警戒感がある国。
第2の不安因子は、エアチャイナ。
トルコ航空の航空券があまりにも高額なので、北京経由でチケットを取った。すると、昨日のニュースで、北京の豪雨のことが報じられており、8万人が北京空港で足止めされたらしい。来月には落ち着いているかもしれないが、なんせ中国である。何があるかわからない。中国人と一緒に旅行するのは気が進まないが、経費の節約にはなるので、我慢するところは我慢しようと思う。
初めてバリ島へ行った時も、行く前はものすごく不安だったが、行ったらすごく良いところだったので、行けば何とかなるだろうと楽観的に考えることにした。
それにしてもトルコは広い国だ。地味に広い。ツアーだとバスで移動するらしいが、個人でバスを使うと、ほとんど観光する暇がなくなると思う。交通が不便なので、移動の途中に観光するツアーの日程のようにはいかないだろう。というわけで、国内の移動には飛行機を予約したのだが、正直、少しもったいない気もしている。エフェスからコンヤまでバスで移動してみたかったが、夜行バスだとどうせ何も見えないし、楽をすることにした。
ルカ 12. 4−7
タイトル、通り。
私大が両方とも補欠のくせに、芸大はどうにか一次試験を合格。
受験勉強をする暇を与えられず、朝から夜まで一日中絵を描いていた。これが芸大受験なのだと思い知る。これで二次試験を落ちて私立へ行くことになっても、芸大二次落ちなら値打ちがある。
一次試験が終わって、娘もぐったりしていたが、わたしも疲れた。私立を受験したときとは、何かどこかが違う。本気度が違うのかもしれないし、目標があくまでも芸大だったからなのかもしれないし、浪人したくないから受けただけの私立と、1年間、目標にしてやってきた芸大とは、心的エネルギーの消耗具合が違ったとしても仕方がない気がする。
とにかく疲れた。
これにより、まだ受験は続く。また荷造りして出発。家から通えなくもないが、あの重い絵具入りのトランクをころがして上野まで行くのはしんどい。しかも平日ラッシュアワー。無理。
1か月以上、受験のために費やしている。美大の試験は長すぎ。しかも、正確にはいまだにどこも合格しているわけではない。芸大だって一次を通っただけ。
それでも、二次試験を落ちて、補欠の電話もかかってこず、結局浪人するはめになったとしても、芸大の一次を通っているのと通っていないのとでは雲泥の差。気持ちが違う。一次を通るようになって、ようやく記念受験とは言われなくなる。
まあ、いいや。買ってから一度も使っていないレンブラントの絵具が使えるだけでも喜ぼう。版画科へ行ったら必要ないが、私大の試験が終わってから、せめて紫系はレンブラントを使えと言われて購入。私大の入試では要らなかったのでしょうか・・・・最初から。あの先生の考えていることが、たまにわからなくなる、が、最初から考えていることが違うのかも。
この微妙な立ち位置がいやだ。
タマビまで補欠。前回のムサビの結果と違うところは、補欠の順位がセンター、一般とも一ケタということくらいなもので、また版画に引っかかった。合計3枚の補欠通知書が届いたことになる。
若干の違いはあるものの、ムサタマと一言で括られる理由がわかるほど、よく似た大学。元々は一つの大学だったのが、校舎の移転の賛否の違いによって分離しただけなのだそう。よく似た兄弟でも性格が違うように、大学の雰囲気は違うが、かなり似たような遺伝子を持つ大学なのだろう。
***
今年の芸大の試験問題は、「校内にあるものを描きなさい」というような問題で、娘は床を描いたらしい。それを聞いただけで、今年はもうダメだなと思った。
何が狙いかわからないけれども、例年よりも試験時間が短縮され、携帯電話は使えないように袋に入れて保管し、しかも試験開始の40分は外出禁止。外は雨だし、会場は7階だし、娘の性格から言って、取材は辞めて、足元を描いたのだろう。
完成度は低くても、雨の中、校外で取材した作品のほうが高評価を得られるような気もするが、そのほとんどが、階段やらトイレやら、換気扇、床、人物など、どれも面白味のない作品が並ぶ。試験終了後、教授の数秒の観察の後、合否が決定する、というのが芸大の一次試験。
今年の課題は、アイデアや着眼点などを評価するような試験だという気がするが、実際のところはわからない。でも、試験の後で、そのことを指摘すると、娘がべそをかいていたので、思い当たることがあったのだろう。
あれほど意表をつく作品でないと、数秒の審査では通らない可能性が高いと事前に考えながら、試験の当日となると、雰囲気にのまれて、そんなことなど忘れてしまうのかもしれない。ひたすら描けばよい、となってしまうのだろうか。
そういうことを鬱々と考えている娘は、私立の結果のことなどどうでもよいことらしく、ひたすら食事もしないで落ち込んでいた。試験の結果よりも、娘に鬱々されるほうがよっぽど憂鬱。それに、娘が出来たと思ったところから落ちていき、逆に興味のないところが補欠に引っかかる、美大の受験のそういうところがつらい。
合格発表の前から、この調子。仮に一次試験が通っていたとすると、2次試験の試験中に繰り上がり合格の電話がかかてきたらどうなるのだろう。かなり、不安。卒業式のことなど、話題にも上らない・・・
ギャンブルのよう・・・
何が起こるかわからない。
まだムサビの結果しかわからないけど、意味不明。結果としては、補欠、なわけだが、一般試験では落ちてるくせにセンター方式で補欠。ありえない。センターこそ英語ができなかったので、娘などセンター方式の結果など見もしなかったくらいだ。
敗因を予測すると、一般試験の学科の成績が悪かったから落ちた?
美大のくせに、学科で落とすとは・・・・
両方落ちていれば、力及ばず・・・と諦めがつくところを、センターで引っかけている。ありえない。
逆に考えると、この不景気で、美大進学者が減り、娘の周囲でも、ムサビや筑波大を落ちたら一般大学へ行くという受験生が多い。彼らは実技はあまりやらず、普通の受験生のように学科をメインにしているが、筑波大やムサビは学科の比重が高いので、芸大やタマビなどは受けず、美大も学科で勝負してくる・・・らしい。
実技が普通にできたとしても、あるいは仮に満点だったとしても、学科でかなり高得点を取らないと合格にはならない。つまり、合格最低点が高い。
そういう噂は聞いてはいたが、娘の試験結果を眺めると、本当だったのだと実感した。
ということは、ほかの噂も本当なのかもしれない。芸大はほとんど学科を見ないとか、タマビは足切りはあるが、下駄をはかせるために小論文を出しているとか。あるいは、キャンバスに香水をかけただけで芸大に通ったとか、過去の参考作品を真似して描いた現役が芸大に通ったとか、その手のありえないような話も結構本当なのかもしれない。
そのような傾向を予備校に読まれているがゆえに、このところ石膏や人物(ヌードだ、しかも!)を入試問題に出しているという噂も本当なのかも。
石膏像や人物だったら地方のアトリエや高校でもやっているからというのが理由らしい。東京の大手の予備校だと、若手の作家や参考作品をせっせと模写させ、しかも、似たような作品は通らないので、クラスごとに作風を工夫させているとか。
そういう大手の予備校を嫌っていたとしても、結果を見ると、ほとんどの学生がその手の予備校の出身者なので、そういう予備校へ行かないと合格しないとまで思われている。
いたちごっこなので、合格は運に左右されると思っている人も多いし、実際のところ、技術のある人が結構多浪していて、技術のない現役がひょいっと受かったり。
学校なら絵の技術などを褒めてくれるのかもしれないが、美大受験となると描けて当たり前なので、意表をつくところを狙わないと合格しない? 案外、普通の作品が通るとも言われているが、「案外」って何さと逆に訊きたい。
もしかすると、何かの賞を取るまで、ずっとこの調子が続くのだろうか。フランスの美術大学は10年間で、卒業はなく、何かの賞を取ったら、卒業というのをどこかで読んだけど、芸大や美大も似たようなものなのだろうか。
ムサビのほうが社会的、・・・・という言葉も実感が湧かない。
美術の世界って、ギャンブルに強い人が勝ち残っていくかのようだ。
芸大は受からないほうが普通なので、ムサビを学科で落とされて、娘は逆に開き直っている。浪人するのだったら、芸大は思い切り遊びたいらしく、あれこれ作戦を練っている。あ〜、こうやって、あのヘンな浪人生の団体に紛れていくのかも。
でも、そうなるよね・・・ こんな試験だと。普通の受験みたいにまじめに勉強するだけでは落とされるだけだし、試験とは落とすためにある。
受験の結果を待つだけというのは、つらいよね・・・
生殺し状態が続いている。
ましてや自分の受験ではなく、娘の受験の結果というのはもっと嫌だ。結局、自分で受けたわけではないので、手ごたえがわかるわけでもなく、それでいて気になるし、仕事なんてまるでやる気にならない。
それにしても、美大の入試期間って長すぎでしょう。後から受けた文系の子たちがどんどん結果が出ているというのに、こちらは相変わらず待ち時間が長い。それでいてこういう時代だというのに浪人の比率が相変わらず高いし、この後にまだ国立の受験を控えているので、相変わらずデッサン通いは続く。
推薦組は、すでに下宿を決めたというし、こちらは3月に入るまで何もできない。3月に入ったって、確定申告が終わるまでは何もできそうにない。学生会館の見学もしてきたが、締め切りが3月10日だというので、申し込むのを辞めた。最終発表が13日だから、10日の締め切りでは困る。
***
こういう最中、姑さんが元居た神戸の介護施設に帰った。こちらでは一人で外出させてもらえないし、医者へ行くにも送迎がないと行けないから、とうとう我慢ができなくなって帰った。
元々、こちらへ来たのは、向こうの職員が嫌だからというのが理由だったけど、まさか虐待で逮捕されるくらい酷いとは知らなかった。義姉によると、そういう話は前からあったらしいが、うちの姑さんは虐待に黙っているような性格ではないし、逆に職員や家族にストレスを与えるタイプなので、あまり関係ないとのこと。
骨折してもそのままにしているとか、自殺者が出ても隠しているとか、そういう話は聞いていたが、姑さんが言うことなのであまり深く考えたことはなかった。それよりも安い給料で当直までやり、うちの姑さんのようなわがままな年寄りの世話をしているストレスを考えると、わたし的には案外同情的にこの事件を考えている。
が、やっぱ、虐待はまずいでしょう。
やりすぎ。
それを警察に訴えた家族もすごい。
そういう話は前からあったけど、実際に警察沙汰にする決意というのは、家族のありようなんだと思う。認知症なのに自覚がないおばあちゃんの話を近頃まともに聞かなくなっているが、まるきり嘘ではないのだと反省。
いろいろあるなぁ・・・
受験シーズンの到来。
今年は、娘が大学受験なので、落ち着かない。落ち着かないというより、他のことが手に着かない。
今にして思えば、中学受験は楽だった。小学校のときに、どつぼまでいってしまったので、高望みせず、地元の中学へ。難関校を狙うのと違って、気分的に余裕があった。そして、そのまま高校受験をスルーし、今に至る。
そして、大学受験。
相変わらず、東京芸大が第一志望だが、受験が近づくにつれて、壁の高さを痛感する。松井冬子は6浪して日本画科へ入学したというが、受験生の親としては、ノーリアリティ。親としては、多浪を続けるよりも、どこかすんなり美大に収まってくれることを願う。
となると、ムサタマか?
そうなると、学科が気になる。模試ではなんとかなるくらいの成績は取っていたはずなのに、センター方式では合格ラインに達しない。勉強のほうは学校まかせで、毎日絵ばかり描いていたのに、センターで好成績が取れるほうがどうかしている。
という、美大受験生特有のジレンマが我が家にも押し寄せ、落ち着かない。
アートに学歴は関係ないとか、いろいろ言う人がいるかもしれないが、バカ言ってんじゃない!と言いたい。
アーティストになることを望む親がどれだけいるのか?
親なんて単純だから、シンプルに大学へ入ってくれたら、自分の仕事が終了という気分。無事に卒業したら、幼稚園の卒園式を迎えたのと同じ気分で、肩の荷を少し下ろすのだ。
美大受験の予備校に通わせ、どこかの美大に押し込み、そのあと、造幣局に勤めてくれたほうが親孝行ではないか?
造幣局というのはアレだけど、版画の先生が言っていたのを真に受けた。就職先がないとかいろいろ言われている美大だが、社会的に考えて、そういう人がいないと困る、ということを言ってのけるには解りやすい喩えかもしれない。
というわけで、社会と言う枠組みの中ですんなり生きているほうが普通なので、所詮、親にとっては単なる大学受験。ジレンマは続く。