July 28, 2006

ホセア書1.4

相変わらず、何のことかさっぱりわからない。
ストーリーがわかったからといって、そのことと自分に何の関係があるのか?

投稿者 Blue Wind : 05:02 AM | コメント (0) | トラックバック

さあ、しっかり遊んでこよう

さあ、今日から旅行に行きます。
これからたいへんになるというのに、われながらのんきだと思う。
来年は行けないかもしれないと思いつつ、それでもどこかへ行く。ほかに楽しみないし・・・それを楽しみに、勤労に励もう。

おばあちゃんのほしいもの。
プラダのリュックとロレックスの時計。
プラダのリュックはすでに流行遅れのような気がするけど、もう何年も前から言っている。関西だったらどこでも売っていそうなので、毎回みやげを頼まれては、そういう旅ではないからと断っていたが、いまだに自分で買うと言いながら買わないので、やはり”みやげ”がほしいのだろう。年寄り同士の付き合いで、おそらくは誰かに自慢されたのかも・・・(深く考えるのはやめよう)

ロレックスの時計は、震災のときに焼けた。買ったばかりだったから酷く心残りがあるようで、これを買ったら震災が終わるのかもしれないと、漠然と感じるものがある。安かったら買うと約束し、旅立つことにする。近頃、わたしも自棄になっているかも。なんというか、家を建てるとか、開業するとか、大きな単位のお金が動くときって、そうやって何かどこか感覚が麻痺しやすい。まあ、どこかで節約しよう。(果たして可能か?)

まあ、ずいぶんと長い間、親不孝をしてきたわけだし、それくらいは仕方がないだろう。なんか、今年はおされぎみ。

つまらん機械を買うよりも、親孝行したほうが実がある。
会計士に支払う額があるのなら、娘の学費が出てしまう。
なんかね・・・
わたしは主婦だから、一緒にするなと言われても無理だ。
バカらしいと思いつつ、そうやって動く中で税金が集められ、それがテポドンに変わっても、公費という名目の無駄遣いに変わっても、あのレセプトの細かさを要求されているという事実には変わりなく、細かい文字で修正が繰り返されるかったるい文章にも慣れ始め、そういうものをポンと捨てて旅行へ行くことに、今年は少し罪悪感を感じてしまう。
休暇の間、誰かに迷惑をかけているわけで、留守中でも働いている人もいるわけで、今までは自分には関係ないことだったけど、今年からはそういう連鎖の中に入ってしまった自分を感じる。
定年のない仕事なだけに、3年後を定年にしたい。
いや、半年後か?
夏休みでもあるし、娘の送迎もしてやらないとならないし、近頃しっかりしてきたとはいえ、まだまだこの前まで小学生だったわけで、過信は禁物。

さあ、しっかり遊んでこよう。

投稿者 Blue Wind : 04:49 AM | コメント (0) | トラックバック

July 27, 2006

オーダーメイドのつらさ

昨日、叔母に電話した。
特に用事があったわけではない。
特に用事があるわけでもないのに、しつこく電話を鳴らすのは、叔母がリウマチなのを知っているからだ。電話が鳴っても、すぐには反応できない。

特に用事があるわけではないが、開業する話を伝え、世間話をしているうちに悩みが一つ解決した。

大学病院にいる頃から診ている患者さんは、もう付き合いが長いので、開業する前からダンナの開業先を心配しているくらいだ。遠くなったら通院できない。あるいは、多少遠くなっても我慢して通院するのだろうか。少なくても、そういう患者さんの場合、処方箋を書き写さなければならないし、書き写したとしても必ず来院することがわかっているから、ダンナも労を惜しむ気持ちはない。

ところが、民間病院へ移り、外来は週に1回しかやらないにもかかわらず、勤めが長くなってくれば1日に100人以上は診察しているわけで、それでいて、その中で開業先まで通院する人たちがどの程度いるのかわからないという。外来だから、医者が変わることに慣れているのかもしれないし、それでいて同じ内科でもそれぞれに専門が違うから、いざ自分が辞めるとなったとき、自分の患者さんをどの先生に任せようか、それが悩みどころらしい。それでいて、開業先が近いからといって大した病気ではないと本人が考えている場合、家から遠くへ行く気にはなれないだろう。

・・・・・・というわけで、来るか来ないかわからない患者さんの場合、いちいち処方箋を移すのはつらい。

「だったら、来てくれたときに、また新しく処方すればいいじゃない?」
とダンナに言ったら、叱られた。

正直、わたしには、開業医と言えば、昔の開業医のイメージしかなく、その昔は院内薬局が当たり前だったので、どうせ似たような薬を出すのだろうと考えてしまう。が、しかし、今はもう時代が違う。薬はオーダーメイドの時代だし、開業医といえども処方箋を書き、いちいちその患者さんに合った薬を処方する。

「いくつ薬の数があると思ってるんだ」
と叱られたが、日頃薬を飲む習慣がないために、わたしにわかるわけもない。

要するに、細かく患者さんごとに処方された薬を再び処方するのは非常に困難であり、それこそ慢性疾患の患者さんの場合、検査をしたり、薬の副作用やアレルギーを調べたり、同じ病気でも一人ひとり薬が全部違ったりする。

その話を叔母にしたら、「おくすり手帳を持ってきてもらったら?」と言われた。
目からウロコ。
わたしはその手の類は、大昔、娘の分を作ってもらったことがあるだけで、それすら大昔の話だからすでに手帳がどこにあるのか記憶にない。あったとしても役に立つとは思えないし・・・

が、しかし、叔母のような慢性疾患だと、自分のおくすり手帳はどこへ行くときにも携帯しており、くすりが切れたら大変なことになるし、近所の医者へ行って風邪薬を処方してもらうときですら、今自分が飲んでいる薬を伝えないと大変なことになる、という危機意識が常にあるのだそう。

その話をダンナに言ったら、そんなものは見たことがないという。そりゃそうだろう・・・大抵は、大きな病院へ行く場合には最初から検査するし、処方もそのときに応じてするだけのことだ。その人が日頃どんな薬を飲んでいたとしても、きちんと検査して最初から処方しなおす。しかも、おくすり手帳は調剤薬局が作るために、自分が処方した後のことはまるで知らないのである。

そこなんだよなぁ・・・
まさしく、その辺の意識の違い。
子どもの頃、開業したての医者へ行き、いきなり胃が痛むと言っただけでバリウムを飲まされたことがある。わざわざ検査のために学校を休み、食事を抜き、どろどろとした変なものを飲まされ、レントゲンを撮影した後には下剤まで飲まされる。そこで本当に病気が見つかれば違うのかもしれないが、残念ながらわたしはいたって元気で、そこの医者には2度と行かなかったどころか、大のレントゲン嫌いになってしまった。

それ以来、わたしは胃が痛くても市販の薬しか飲まないことにしている。
本当に具合が悪かったら、病院へ行くさ、と思いつつ、後々その話をダンナにしたら、放射線科の医師だったのだろうと言われた。そのように言われると、いくつか並んだ診療科目のはじっこに放射線科と書かれていたのを思い出す。

つまり、開業医で今やっているようなことをした場合、患者さんからは酷く不評だろうなぁ・・・というのがわかるじゃないですか。意識が違うのだから。病院へ行くからこそ、検査をしてもらいたいという意識が根底にある人が多いだけのことであって、ちょっと胃が痛いからといって近所の医者へ行ったくらいでいちいち検査までされていたら怒るよね。

で、広告の人と打合せでお会いした際、「おくすり手帳をお持ちの方は、ご持参ください」とリーフや名刺の裏に書いてもらうことを伝えたが、ダンナとしては、「自分で移すから、いい、いい」とたじたじしている。
先が思いやられる・・・
開業したら、そんなことは特に言わなくても患者さんのほうが見せるようになるのかも。が、しかし、自分がずっと診ていた患者さんならともかく、他人の処方を見てうれしいはずもなく、ましてやその疾患が自分が専門だったとしたら、どういう気分なのかわからない。

なんか、こう、つまならないことだけど、少なくてもわたしにとっては大した問題ではないことだけど、困ったなーと思うことが多々ある昨今。最初から慢性疾患しか診ないという姿勢ではおそらくは3年以上は赤字続きだと覚悟したほうが・・・

あっさり語るけど、そこまでわたしは我慢できそうにない。

投稿者 Blue Wind : 11:22 AM | コメント (0) | トラックバック

『プリムは運命の祭り』

久しぶりに聖書を開く。
開いたページは、『プリムは運命の祭り』。
どうして、フセインが銃殺を望んでいるのか、少し理解できた。

投稿者 Blue Wind : 03:00 AM | コメント (0) | トラックバック

July 23, 2006

なんか、もう、うんざりだと思いつつ、夏。

まあ、いいや。
何がいいのかわからないけれども、先日、ダンナの先輩の医師のクリニックへ行き、いろいろ見せてもらった。そこで、懇々とどうして糖尿病が専門ならそれだけの施設の広さと設備が必要なのか説明された。

経営のことだけ考えたら、家賃だけでも100万円だもの。それでいて、一日の収入が2,3万円の日が続いていたわけだから、天国から地獄に近い。人件費もかかるし、医療機器も高いし・・・
今は軌道に乗り、のんびりしているのだろうと思ったら大違い。今でも不安に戦いている。毎月、奥さんとふたりで、コンサルタントと会計士とミーティングをしている。その費用だけでももったいないような気がしたけど、実際にはカウンセリングのようなもので、安心を買っているのかもしれないと、ちらっと思った。

というわけで、初期の頃の会計士とは喧嘩して契約を解除してしまったそう。今の会計士になってから順調なので、すっかり信頼している。

あれこれ見せてもらい、説明されると、仕方がないような気になってしまう。糖尿病の患者さんの場合、検査だけでも大変だ。尿検査の設備、血液検査も糖尿病の場合は変化しやすいため、その場で結果がわかるような設備が必要。その結果を看護師さんたちが電子カルテに入力し、さらに管理栄養士とのミーティングがあり、1人の患者さんの診察が終わるまで、そのすべてがカルテに書き込まれる。医師が1人で書いているわけではない。

「糖尿病のカルテは文学だから」
と言われたが・・・
なんと答えてよいのかわからなかった。
それを言うなら精神科のカルテではないかと思ったけど、おそらくはそれくらい書き込む量が多いと言いたかったのかも。「近頃、職場でストレスがたまり、・・・」という話から始まる世界。わたしは他人のカルテなど見たことはないが、カルテというのは医師によりまるで違うものらしいことが少し理解できた。

ちなみにいくつ電子カルテの端末があるのか尋ねたが、すぐに訊いてもわからないほどあちこちにある。検査室と指導室と診察室が2つあり、受付と院長室。それに加えてサーバがある。自然と増えていったらしいが、どぉ〜っと疲れが出た。それ以上に受話器の数も多い。職員同士の連絡網がどうしても必要だかららしい。

そのほかに、すい臓の検査をしなければならない。
なんか、こう、やりだしたらきりがない。
病院だったらたくさんの職員がいるから、個人ですべてを抱え込む必要性はないが、この程度は必要という気持ちになるとそれこそきりがない。

内装には大してお金をかけているわけではないが、そこに来院している患者はそういう医師の苦労なんてまるで関係ないのだろうと漠然として感じた。

近頃、いやになるのである。
なんで内装なんかにそんなにお金をかけなければならないのか・・・
コンサルタントが言う、あまりにも貧相だと患者ががっかりする、と。
そりゃそうかもしれないが、いや、わたしだって汚いところよりも綺麗なほうがいいような気がするが、それでいて歯医者じゃないんだから、とも思う。少なくてもうちの近所の人たちは正直だから、綺麗なクリニックよりも医療水準の高い汚い施設へ行ってしまう。たまたまそういう土地柄なのかもしれないけど、それが正直な気持ちではないかと。

それでいて、アットホームなところは流行っている。

どの人の言うこともあながち嘘ではないのでしょうけど、近頃、いやになる。
なんか、もう、うんざりだと思いつつ、夏。

投稿者 Blue Wind : 04:13 AM | コメント (0) | トラックバック

July 17, 2006

水族館と甘味処・・・

また、夢をみた。

今度は、父が無愛想な顔で出てきて、どうやらわたしたちは水族館へ行く途中の、非常に混雑した店に立ち寄ったというシチュエーションらしい。

どう見ても古い水族館にしか見えないのだが、リニューアルしたのか、新しくできたのか、オープンしたばかりでとても混んでいる。その手前にある店は居酒屋のようなしつらえで、右手にカウンターがあり、左手に座敷のようなものがあり、わたしはカウンター越しのメニューからおしるこでも食べようかと思いながら、席が空くのを待っている。父は、空いたカウンターにさっさと座り、注文の品が出てきたとたんに立ち上がり、カウンターに座っていた人たちを誘って、みんなで座敷のほうに移動してしまった。

その人たちをよく見ると、どの人たちも年寄りばかりで、もともと父の知り合いだったのか、それとも旅は道連れ風に盛り上がっているのか知らないけれども、年寄りが集まって盛り上がっているので放っておくことにした。カウンターに誰もいなくなったので娘と一緒に座り、店の人と会話する。世間話風に、整形外科の引越しが終わりすでに水族館のほうでやっているという話を、店員がしてくれた。

その辺で目が覚めたのだけど・・・
目が覚めたとたんに考えたのは、父と一緒にいた一団のことである。

なんか、こう、リアルで、どの人も元気なお年寄りで暇をもてあましている風で、気がつけば座を囲んで盛り上がっている。わたしの意識の中では、父と娘と3人で水族館へ行く予定なのだが、父は途中で気が変わったのか、年寄りの中に混じっており、もしかすると彼らはその整形外科へ通院している人たちなのかもしれないし、そのほうが現実味がある。

なんか、こう、がっくりして、一生懸命に設備を整え、綺麗な待合をつくり、どうせ自分が働くのならおしゃれな空間を・・・・・イメージしていたのに、もしかすると、暇な年寄りばかりが集まってくるのだろうかと思ったら、急に疲れが・・・

しかも年寄りはカウンターよりも座敷のほうにがやがや集まりたがり、わたしなんかの感性だと、プライバシー重視というか、隣に知らない人が座っているのはどうも気が進まないのだけれども、あのがちゃがちゃした一団をイメージすると、急にやる気が失せてくる。

年寄り以外には、子どもとか?
そうなると、たいへんだ・・・小児科の待合室はたいへん。子どもばっかりわさわさとぐずって泣いて嫌がって、走り回って感染しまくって・・・母親はどこかヒステリックな不安顔。

なんか、こうね・・・夢を描くのは自由だけど、現実を考えろ、という父の警告なのだろうか。ブティックよりも居酒屋をイメージしたほうが現実味があるのかもしれない。

水族館と甘味処・・・
なんかね、リアルだ。
疾病率と罹患率を考えると、子どもと年寄りが圧倒的に高い。元気な人に医者は要らない。

投稿者 Blue Wind : 02:46 AM | コメント (0) | トラックバック

July 16, 2006

イメージの乖離

気がつけば、すっかり夏だ。

このところ打合せに出かけたり、医療事務の勉強を始めたり、脳の中が厚生労働省の書式に埋め尽くされ、内装も2社紹介され、そのうちの一つがティファニーやルイ・ヴィトンのテナント設計をしているところと聞かされ、そのくせあまのじゃくのわたしは公庫へ行き、公庫の人に借入額が大きいと言われて、何となく癒しすら感じてしまう暑さの今日この頃。

次第にだるだるになり、予算をきっちり決めて、「その予算でどこまでできますか?」
で、終わり。

大体、今年になって医療制度改革があり、保険点数が大きく引き下げられたという話。わたしがやっている医療事務のテキストの点数は去年のもので、昨日届いた今年の点数表を眺めたら、あらゆる数字が下げられており、全体的に10%の削減になると言われる理由を理解した。

理解したところで考えれば、医療はどこへ行っても同じ価格設定なのだから、わたしが、「その予算でどこまでできますか?」と問うたところで当たり前なのである。価格が決まっているところでの競争であり、高い医療機器を使おうが安い機器を使おうが、内装がどのようなものであろうが、定価は定価。点数が決まっている。

そこで、内装の業者にも、「その予算でどこまでできますか?」と問うたとて、何の不思議があろう・・・
見積額で比較するより、同じ予算で、その内容や技量、センスを比較したほうがリーズナブルではないか。
それでも差がつかなかったらどうしよう・・・
そこまでは考えていない。

***

レントゲン袋の値段をカタログを見ながら比較しているうちに、クリニック名を印刷すると1枚90円になり、印刷しないと19円になることに気がついた。

それだったら、娘にスタンプを押させようと思うのはわたしだけだろうか。

子どもの頃、母のオフィスへ行き、夏休みなどには手形の裏にスタンプを押したり、領収書ののりはりしたりして遊んでいたのを思い出す。ついでに映画を観たり、散歩をしたり、帰りは母と一緒に帰ってくるとすっかり遅くなる。母にしてみれば、学校があるときはともかく、長期休暇のときには子どもたちだけの生活になり、家に置いておくのは心配だったのだろう。

まあ、子どもが家業を手伝うのは当たり前である。

***

なんだか、いやな夢をみた。

夢のなかで、わたしは月・木・金の午前中だけ働いており、夢のなかで薬価を調べていた。そこで、「胃潰瘍」で検索したらいくつか薬がピックアップされ、この薬は腎臓の悪い人には使えないという項目をみたとたん不安にかられ、あの人の腎臓は大丈夫だろうか、検査しなくてもよいのだろうかと、不安におののいているという夢。

実際には、わたしは医者でも薬剤師でもないので、薬のことなど今まで興味もなかったのだが、恐ろしいことに恐ろしいことを考え始めると、薬がなおさら怖くなり、今までは自分に関係のなかった記号やカタカナの羅列を眺めることに慣れるに従い、どこかよこしまな不安が横切るのである。

それと白衣がどういう関係があるのかわからないけれども、ダンナに診察室で(ケーシーではなく)白衣を着るのならネクタイをしてくれと言ったら、案外すんなり了承したので驚いた。本来なら、検査のときには手術衣を着て、診察のときには白衣にネクタイ、あるいはネクタイだけで白衣は着ない、というのが一番楽らしい。が、しかし、検査室と診察室を行ったり来たりしなければならないとなったら、それどころではないかもしれない。

そだそだ・・・・手術衣の上に白衣を着る、という話からそういう話になったのだった。

病院とは違って、今度は1人で何でもやらなければならない。そこに家内業的アンバランスさが手伝い、ましてやわたしは素人なのだから、なおさら戸惑う。まだ医療機器はましかもしれない。医療に関与したことだから。が、しかし、内装の打合せになると、個人の場合、どこまでも自由だから酷く戸惑う。そこにオフィスのイメージが重なり、ダンナはダンナでおじいさんの診察室のイメージが重なり、その二つが似て非なるものなため、互いにイメージしていることが違うため、話がかみ合わない。

仕方がないので、娘に考えさせることにした。

投稿者 Blue Wind : 05:46 AM | コメント (0) | トラックバック

July 05, 2006

こんなんで大丈夫だろうか・・・悩む

そういえば、今が娘の期末テストで、まもなく夏休みだということを思い出す。その後に旅行に行く予定なのに、どうも忙しくてぴんと来ない。でも、毎年こんな風なような気もするし、今週は忙しい。こんなにうざい気持ちになったのは披露宴の準備をしている頃以来のことで、スケジュール管理とは言うけれど、時間にせかされるように気ぜわしい。

まあ、もしかすると、これが普通の生活なのかもしれない。

開業コンサルタント、か。
会計士に銀行。
で、集まって何を話すかと言えば、・・・・・
せんせー、せんせーとおだてられて、借金背負わされて、それでいて、自己資金0でも大丈夫ですとかね・・・
わたし、何度も、「自己資金って何のことを言うんですか?」と尋ねたが、明確な答えは得られない。そこで仕方なく会計士に尋ねたら、「現金のことですよ」と教えてくれた。まあ、会計士の言う現金とはすぐに現金になるものを意味するのだろうと、近頃、簿記の本を読んで覚えた。

おらおらおら・・・
銀行の営業の人も、ちらほらと本音が・・・
近頃、コンサルタントがいるせいか、本当に自己資金0で借金する医者が増えて困っているらしい。昔みたいに開業すればすぐに借金なんか返してしまってという時代ではないらしく、少なくても軌道に乗るまではかなりの借金地獄が待ち受けており、銀行も医者に投資をするということはまるでギャンブルをしているかのような感覚で、あたりはずれを考えているような風・・・

で、当の本人は・・・といえば、自分の医療をするためには、これが最低必要限度の道具であると、あの高額な医療機器をそろえることに意地になっている。「病院ではないのだから・・」などと言おうものなら、「だったら開業しない」と言う。それはそれでうれしいので、うれしそうな顔をしたら、「今の勤めもしない」と言う。あのなー、子どもじゃないんだから、と思いつつ、わたしでさえそうやって思うのだから、世間の人たちからすれば、医者なんて子どもなんだろうな、と漠然と思った。

ほんじゃ、わたしはひとのことを言えるのだろうか?

世の中って難しい。
ちょっとでもお金がありそうな顔をしたら、際限なく借金がかさみ、それでいてお金に困っている顔をしていたら、今度は本当に必要な資金が揃わなくなる危険性がある。

面倒だから、銀行の人に、直接本人と話したらと勧めたら、非常に困ったような声を出す。そりゃそうだろう。本人は、自分がいくら稼いでいて、どの程度家にお金があるのかまるで知らないのである。そういうのはうちのダンナに限ったことではなく、よくあるパターンらしい。すべて自分で管理しているか、まるで知らないかのどちらか。

それでいて、予算を考えて、ちょっとでもわたしが口を出そうものなら、相手はまるで子どもと同じ。
やってらんない。

バカらしくなって、印鑑証明を破いてやった。

そのくせわたしの脳裏には、どうせ200円だからな・・・と冷静な判断が。
その話を姑さんにしたら、「市役所に出してもらえなくなったらどうするの」と叱られた。何枚出したかカウントしているらしい。(本当か?)

そのときはそのときのことだ。
不動産屋に本当のことを話すしかない。
夫婦喧嘩をして破いてやった、と。

本人は自分でもらいに行くと言っていたが、どうせ、どうやったらもらえるのか知らないくせに、と内心バカにする。忙しくて、そんなことを自分で今までやったことなどないからだ。

こうやって自分で書いてみると、わたしもダンナをバカにするほど利口ではないらしいことがわかる。
あーやだやだ。

投稿者 Blue Wind : 03:15 AM | コメント (0) | トラックバック

【今日の短歌】 疲れ果つたたかいの日をすごすかのあらくさのびし今つかのまは

疲れ果つたたかいの日をすごすかのあらくさのびし今つかのまは
ばらの花ぽんぽんダリアの咲くように大きくのびた影に小ばら咲き
自転車がフロントガラス横切って真横にながむ隣人の未知
カーテンの向こうでうたううたごえにハモつてみれば老女は寝たり

投稿者 Blue Wind : 01:43 AM | コメント (0) | トラックバック