August 26, 2006

時間がない

また、おばあちゃんの欝が始まった、ようだ。
ダンナの姪が結婚することになり、おそらくはその辺が原因だろう。せっかくの結婚式だというのに、眼の手術を理由に出ない。先生は大丈夫だと言っているのに、本人が出たくないのだから仕方がない。わたしも母の容態が旅行から戻るなり急に悪化して、もしかすると出れなくなるかもしれない、と伝えたときには元気だったのに。

その辺のところがむずかしい。母は個室に移ったままだが、今のところ息をしているらしく、その昔、わたしは老人病院のわるぐちを言っていたが、看護師さんの話を聞いているうちに、それはもはや仕方がないのだと思えるようになる。

人間は、呼吸が止まり、その後しばらくして心臓が停止するそう。母の場合、このところ無呼吸が断続的に出るようになり、最初のうちは10秒間隔だったのが、近頃では20秒くらい停止するようになり、個室に移ったばかりの頃は血圧が70にまで落ち込み、心停止に至っても不思議はない状態だったが、このところ落ち着いている。

看護師さんの話によると、自然死というのはそういうもので、静かに無呼吸の状態が続くようになり、やがて息が止まり、そして、心臓がゆっくり停止する。何かの疾病が原因で、延命治療をしていると、そういうことがわからない。そういう状態になるから、酸素マスクをしたり、心臓に注射をしたりするのだということが、何となく理解できた。

老人病院の場合、すでに延命治療はしないから、ある朝気がついたら患者さんが亡くなっていた、ということが起こり得る。家族も了解しており、その理由も、母の入院生活が長くなるに従い、理解できるようになった。

すでに、数回、心臓が停止しているにもかかわらず、母はこの世に舞い戻り、今回も呼吸が停止したにもかかわらず、再び戻ってきたようで、母がいるのは老人病院ではないが、すでに延命治療をする意思が家族の誰にもないほど長生きしているため、母の死がいつ訪れるのかは、医師も看護師も、誰にもわからない。そのくせ、いつも慢性的に危篤が続いているため、実は、今回もあちこちに連絡したのがだ、どうやらまた狼少年になってしまったようだ。

そういうことの繰り返し。

最初の頃はともかく、おばあちゃん、つまり、姑さんにしてみれば、皆が寝たきりの母のことで大騒ぎしている状態になると元気になり、また今度のように状態が落ち着いてしまい、めいめいの生活に埋没していくと元気がなくなる。

そういうことの繰り返し。

わたしだって、いつも母の心配をしていたいが、正直、今はそれどころではない。よく、ちまたで、仕事が忙しくて、という言い方をするが、まさしくそういう感じ。事業計画書を書いたり、業者と打合せをしたり、役所への手続きのことやら法律のことやら、人を雇用しようとすれば、それに対しても責任があり、ここで躓いたら、ほかの人たちにも迷惑をかけてしまう。いろいろな意味で、そうやって社会はもちつもたれつ存在しあっているのだろう。

その輪から外れた生活に慣れているせいか、自分でもそういう状態がいつまで続くのか自信がない。今までの遅れを取り戻すように、毎日コツコツいろいろなことを勉強している。いや、ここまでくると、コツコツではなく、それこそ試験前の一夜漬けのような状態の日々が続いている。だから、これ以上それ以外のことを考えている時間的余裕が欠如しているのも事実だろう。

ここまでぼぉ〜っとしていると、知り合いの大工さんに業者の見積もりが高いとこぼしたら、今、資材が値上がりして、大手が買い占めているから部材が仕入れられないという話に驚く。その大工さんの場合、自分の家も建てている途中なのに、部材が手に入らないから、お客さんの分を優先し、自分の家がいつ完成するのかわからないとこぼしていた。本来だったら、とっくの昔に完成していると思っていたのに、仕事が優先。しかも、1週間ごとに見積もりを書き換えている状態が続いているらしい。今年の12月まではそういう状態が続くと言っていた。

次にガソリンスタンド。
あまりにもこのところのガソリンの値上がりが激しいので文句を言ったら、12月までは仕方がないと店員さんが言っていた。そのくせ、文句を言った数日後には2円ほど安くなっている。こらこら・・・
便乗値上げではないかと疑ったが、「戦争やっているから仕方がないわね」と捨てゼリフを残したのが効いたのだろうか。いかにも、「12月までは家計を引き締めなければ」という風に響いたのだろうか。いずれにせよ、今月中にガソリンを入れる予定はない。ちょっと悔しい。

そういえば、一昨年、11日に出発するから少し不安になったのを思い出した。まさかね・・と思っていたら、本当に11日にテロ騒ぎ。自分がすでに旅行を終えているせいか、それすら空しい。

おばあちゃんの話は、もっと空しい。
よく知らないけど、一人で孫の結婚に反対している。でも、誰も気にしないところが、さらに空しいではないか。まあ、娘の結婚なら親が反対したらそれなりに大変なことになるだろうけど、孫の結婚となると蚊帳の外。
わたしは詳しいことは知らないが、相手の人がどこかの企業にお勤めするサラリーマンで、結婚してもしばらくは共稼ぎになるらしい。彼女もまだ若いし、今はそれが普通ではないかと思うのだけど、おばあちゃんの世代からしてみたら、高い学費払って美大まで出して、あげくまったく関係ない仕事をして、結婚しても共稼ぎしないとやっていけない、というのが許せない。

他人にとってはどうでもいいこと。いや、今はわが子だとしても、それが普通のような気もするし、年寄りが集まったら、それはいつまでも普通ではないのかもしれないし、わたしは話についていけそうにない。

いや・・・わかってるのよね。要するに、皆、仕事があって忙しいし、しかも、娘が結婚するとなったら親は忙しいし、ウキウキしている。そのくせ、おばあちゃんが手術をするとか、眼がわるいと言っても、仕事が忙しいからついて行ってくれない。そのくせ、娘のこととなると一生懸命。
それが、一番鬱々するのだろう。
わかっていはいるが、皆、忙しい。
年寄りのことなんて、ほうったらかし。
それも、今は普通なのかもしれない。
わたしなんて、まるで親の世話などしていないが、それでもしていると言われる。へんだ。何かがおかしい。

まあ、なんでもいいや。
目先のことを片付けなければ・・・時間がない。

投稿者 Blue Wind : 01:50 AM | コメント (0) | トラックバック

August 24, 2006

事業にはほど遠い・・・

近頃、思うのだけれど、・・・・・・・よのなかは忙しい。
内装工事が遅れそうで、それでは困るのだけど、1,2週間開業が遅れることはよくあることで、大して気にしないでいた。
帰りしな銀行の人に、「パチンコ屋なんかは大変ですよ。1日遅れただけで日銭が入らなくなるから、損害賠償まで契約にあるから工事は大変で。」と言われた。

おおお・・・・・

そりゃ、パチンコ屋さんだったら、そうやって計算できるのだろう。開店と同時に人が並ぶらしいから、台1台につき売り上げなども予測できる。それにひきかえ、うちの事業計画書のほうは、結局は最終的にわたしが手書きし、家計を考えながらのんびりしている。もともとはリース屋さんが作成してくれたものを土台にシビアに計算し、シビアなものがさらにシビアに書き換えられて、最終的な数字を出した。最低限度、この程度の患者さんが来て、この程度の売り上げがでれば、これくらい借金を返済し、5年後に娘の受験があるから、その頃までにいくら貯蓄して、の世界。

こんなんでいいのだろうか?
正直、世の中の景気なんてまるで関係ないし、ほとんどが1年目はこれくらい、2年目はこれくらい、3年目で飽和して、その後は横ばい。というのは、医者1人で1日に診られる患者さんの数には限度があり、あまりにも増えると、休みの日を増やしたり、受付時間を短縮したり、予約制にしたり、とことんマイペース。生活費が足りなければ、バイトへ行ったり・・・

今度、銀行の人が悩んでいるのが金利のことらしい。
あまりにも高く設定すれば、公庫とかね・・・少なくてもわたしの性格だから、そそくさと繰り上げ返済してしまうだろう。そうなると、銀行は儲からない。それでいて、このところ銀行の金利が値上げになったらしく、去年からわが家を担当している人は悩んでいる。前回の話は借入額が高かったので、それこそ支店長と相談して、となるが、今回のプランはビル診療なので借入額は低い。普通は、借入が大きくなるほど金利は低くなるらしいが、わが家の場合は、リスクの低い貸し先ということで、低金利の設定ができるかどうかを相談するそう。

事業計画というより、住宅ローンの借入のような雰囲気だった。

投稿者 Blue Wind : 12:54 AM | コメント (0) | トラックバック

August 07, 2006

変化というマニュアル

それにしても、ちぐはぐな旅行だった。

ANAの国際線は初めてだったので、少し期待していたけど、共同運航で結局往きの飛行機はユナイテッドだった。帰りはたしかにANAだったけど、深夜の飛行機だったし、真後ろがトイレで臭かった。

ビンタン島はそれなりによかったが、なんせシンガポールのフェリー乗り場に到着する寸前に大雨になり、それでいて午後は晴れて喜んでいたら、翌日は朝から晩まで雨。フェリーの予約が取れたかどうかわからないまま出発し、結局、取れていなかったので行き当たりばったりで島へ渡る。そのためビンタン島を出発する時刻が遅くなり、幸いその日は晴れたので朝からクラゲとうつぼのいるビーチでシュノーケリングを楽しみ、シンガポールへ再び到着したら、すっかり夜だった。

めずらしく殊勝なこころがけで、姑さんに頼まれたプラダのリュックとロレックスを買いにオーチャードまで出かけたら、リュックは日本で買うより遥かに高いし、ロレックスの店はどういうわけかブラインドまで下ろされ閉まっていた。ほかで探したが売っていない。にせものが出回りすぎて、追いやられてしまったのだろうか・・・わけがわからないまま帰国した。

そして、姑さんに電話しながら、インターネットの画面を開き、ショッピング。
とりあえず、時計は要らないと言うので、プラダのリュックだけを検索し、注文の白だけをやっと見つけてオーダーしたら土日は休み。お盆休みの前に、果たして神戸に届くだろうか・・・

帰国しても見積書は届いていないし、そのうち1社に電話をしたら、担当の人が休暇中。わが家も旅行に行っていたわけだから、そのせいで怒るわけにもいかない。

***

そうなんだよな・・・
何がそうなんだかよくわからないけど、他人と同じことをしていてはいけないわけで、ある意味、時代が飽和しているのかもしれない。

そうなんだよね・・・
何か、頭の片隅で、何かを思い出しつつあり、それでいて、その感覚が何なのか思い出せない。
そう・・・
どこか、マニュアル化しており、どこかパターンがあり、消化器だったら消化器の道具を業者がピックアップして、「この程度は当たり前」を押し付けてくるのは当たり前で、どこか綺麗な内装も、サンプルがたくさんあるくらいマニュアル化しているということなのかも。

それに対して、わたしはどのように思うのか?

他人の目で眺めれば、どこも新しいものは何もなく、タウンページに申し込めば、厚生労働省の書式でないと掲載できないと言われるし、それならいっそのこと切ってしまおうかとも思ったが、世の中には定番というものがあり、わたしのように新聞広告を読みもしないでそのまま捨ててしまう人間は少数派だと言われてしまった。ということは、大多数の人たちはネットで検索なんかしないし、おそらくはタウンページなのかもしれないと漠然と思いつつ、サイトも今は定番化しており、業者に頼めば、似たようなものをつくるだけなのだろう。

世の中、とことんマニュアル化。
年寄りに、シンガポールと言えばロレックスで、プラダと言えばいまだにリュックで、そのくせ、「今は日本で買ったほうが安い」ということに気が付かないのと似たようなもので、時代はどんどん進行しているにもかかわらず、なかなか実感が湧かない。

アメブロも、このところどんどん変化し、ログインするたびに何かどこかが変わっている気がするくらい、近頃何もチェックしていない。忙しくて、とことんマイペースに徹すれば、そうなることは当たり前のような気もするし、そういうこともまるで気にならなくなっている。

メダイも、どうなんだろう・・・
今度はイヤリングまで売られている。

娘が行くと言うので、再びシロソへ行ったが、日本語の案内まで完備され、あの明るいムード。彼女が幼稚園の頃に行った時とはまるで雰囲気が違う。あの頃は、微かだけど、それなりの緊張感があったが、今はやたらとフレンドリーで明るいスタッフがいて、トラムで送迎してくれる。シンガポールの平和と繁栄をお祝いしているムードが漂っていた。

国民の9割が、政府供給の高級コンドミニアムに住んでいるわけだから、どうやって考えてもシンガポールで買ったほうが高いのは当たり前なのかもしれない。少なくても異国情緒を感じないほど、どこか日本に似ている。

すべてが定番化し、飽和し、それでいて変化しており、それでいて余力がありすぎる。
変化を求めているくせに、変化自体がすでにマニュアル化しているような気がするくらい、何かが飽和しているのを感じる。
世紀末が終わったせいだろうか・・・

投稿者 Blue Wind : 04:25 AM | コメント (0) | トラックバック