September 28, 2006

この枝はいづこの枝にくっつくか調べてむなし根は深き土

月みれば、ハンドルもたれ運転す。低きオレンジ輝ける空。
月みれば、われにかえりぬ秋ふけぬ。雨は遠のき窓くもりゆく。
誰が決める決める決めない決めごともそしきのようないぶかしい木木
この枝はいづこの枝にくっつくか調べてむなし根は深き土

投稿者 Blue Wind : 03:20 AM | コメント (0) | トラックバック

September 19, 2006

大阪・神戸

主人の姪の結婚式があり、大阪と神戸へ行って来た。

その前1週間くらい、わたしはひたすらめまいに苦しみ、起きようとして頭を動かすと激しい吐き気に襲われていた。最初は単なる疲れかと思っていたが、3日以上経過しても直らないので、しばし薬を飲む。頭位変換性の眩暈らしい。

いったい、どういう病気なんだとダンナに尋ねたら、ストレスと疲労が原因で、稀にそういうことが起こるらしい。一日中船酔いしているようなもので、頭を動かすだけで眩暈がする。とりあえず、内装の工事が始まったら直ってきたので、それが原因だったのだろうか。原因の種である設計士に会ったとたん、あちらも風邪で声が出ない状態だった。・・・・・・ストレスってそういうものなんだろうか。

それでもあわただしく新幹線に乗り込み、そのとたん病気のことなど忘れてしまっていた。大阪へ到着する頃には、元気になり、何年かぶりの大阪駅からホテルのシャトルバスに乗り込み、芦屋で上っている花火を遠めで眺めていると、娘が、日本にもこんなに綺麗なところがあったのかとひどく感動しているので、何となく不思議な気がした。たしかにかつての大阪のイメージではなく、美しい夜景を堪能していると、これが本当に大阪なのだろうかと思ってしまう。

翌日、大阪から神戸へ向かうタクシーで、「ここがオリンピックを誘致しようとしていたところですよ」と説明され、運転手が3000億円の赤字の話をし始めると、娘が喜んで、「ちょうど今、社会の授業で大阪の赤字についてやっているところです」と答えていた。運転手とわたしはひたすら「へーーーっ」と感心し、娘に同じ質問をした。まあ、学校の社会の授業がどういうものかなんて、すでに覚えていないし・・・そんなことを習うのかと不思議な気がした。

もっと不思議だったのは、姪の結婚式で、いわゆる人前結婚式で、教会のようなあつらえの席に座り、花婿の次に父親と一緒にウエディングドレスを着た花嫁が登場し、まるでキリスト教の結婚式でありながら、神父さんも牧師さんも登場せず、台風の近づいた空の下で、結婚式が行われた。

出席している人たちはみんな上機嫌で、誰もが浮かれていた。わたしもそれなりに楽しく、仲が悪かったはずの主人の姉夫婦のところとも旧知の友と話すように話が弾み、その前に花嫁の控え室へ行き、お祝いを言ったら、「私は結婚式に行きましたよ」といきなり言われ、意味がわからなかったので、「そうそう、それであのときはディズニーランドへ行ったのよね(それほど小さかったのに)」という意味で答えたが、やりとりになっていなかった気がする。そこで、『昨日、かんじんかなめの案内状を出掛けに忘れ、うっかりおばあちゃんのところに電話してしまい、大騒ぎになったことが悪かったのだろうか』と勝手に解釈した。

・・・・・・・・が、大いに違った。

何が違ったのかよくわからないが、とにかく、この数週間、おばあちゃんの欝が悪化し、ひたすらそれにみんなが振り回されていたらしい。一番の犠牲者は姪で、婿さんと二人で振り回され、まるで嫁いびりをされた嫁のようにひたすら傷つき、それがわたしとどういう関係があるのかよくわからないが、なんか、こう、深いいたわりと同情を持って、皆に迎えられたところをみると、花嫁がヘルペスに苦しみ、式の日に笑顔が引きつっていた理由が、というか気持ちが少し理解できた。嫁に対する仕打ちではなく、孫に対する仕打ちなので、あれは姑さんの欝が原因だった、と、過去の確執がさっぱりしてしまったのかもしれない。

そこでちらっと思ったのだが、このところ忙しく、しかも母親の容態が例のごとくだったため、「葬式と重なったらわたしは出られない」、という当たり前の意味が、おばあちゃんを経由して彼女に伝わった場合、どういう風に伝わったのか・・・

考えて謝ろうと思ったが、今は何を言ってもやぶへびになりそうなので、やめた。何も言わないに限る。弁解しても無意味だし、わたしは何も弁解するようなことはしていない。かえって、怪しまれるではないか・・・

いつもこの調子だ。

どうでもいいと思いつつ、もっとシュールだったのは、婿さんとはインターネットのオフ会を通じて知り合った仲間らしい。オフ仲間が全国から集まっていた。とは言うものの少数だが・・・
でも、リアルな友達より多い。

その集まったメンバーがどこか不思議な人たちで、花嫁が、その人たちに接するときが一番うれしそうな顔をしているのが印象的だった。

本当に不思議な人たちなのである。どこが不思議なのかはうまく説明できないが、今、自分の目の前にいる人たちが、それぞれネットというフィルターごしに出会い、それを形にしていくまでの様子が、何となく想像できた。1人、泣き出してしまった女の子がいて、わたしの邪推によると、彼女はどこかリスカ系の人だったのではないかと思ったが、口には出さなかった。ただ、皆が陽気に集い、再会と結婚を祝し、皆が出会うきっかけとなった女の子がスピーチをし、その子も別の男の子も本当にやさしそうで、いわゆる『こころのつながり』を求め、大事にする人たち系だと思ったが、何よりも不思議だったのは、いつもサイバー上で出くわすその手の人たちがそのとき自分の目の前にいて、その中に小さかったあのときの女の子が混じっていて、しかもそれがダンナの姪だったことが、いたく不思議な気がしたのである。

意味もなく、わたしにいじわるな質問をしてきたり、きついカキコをしていた中に、姪が混じっていたとしたら、あるいは混じっていたとしても、わたしはすでに驚かないだろう。

まあ、インターネットは匿名の世界だし・・・自由な世界でもある。

だとすれば、2重の意味で、何かわたしに文句を言いたかったとしても、何となくそれもまた理解できる。ジャンキーネタもずいぶん書いてきたし、まあ、その手のネタも多い。実際、それを形にして、結婚式というところまでこぎつけたわけで、その点ではすごいような気もするが、その辺のところを理解できるのもジャンキーかもしれない。しかも、もっと恐ろしいことに、その手のネタで講演してくれないかと、娘の学校の先生から電話がかかってきた。わたしはとてもではないが、純朴な子どもたちを相手にその手の話をする勇気はなかったので、当然、お断りした。

式は楽しく、お祝いの気持ちでいっぱいだったが、家に戻ってきて、サイバー上の画面に向かうと、そんなことを考えてしまう。
考えすぎかも。
なんか、このところ忙しすぎて、ぼぉ〜っとしすぎている。
台風の中、お墓参りに行き、そのちぐはぐさに振り回されたのが原因かもしれないし、朝食へ行っている間に、何度もおばあちゃんから電話が入っていたのが原因かもしれないし、果たして彼女をこちらで面倒をみるとして、わたしにその耐性があるかどうか、自信が持てないのも原因かもしれない。

まあ、深く考えるのはやめよう。
あまつさえ、忙しい。

投稿者 Blue Wind : 02:56 AM | コメント (0) | トラックバック

September 05, 2006

自由業

昨日から、朝起きると眩暈がする。眩暈が原因で起き上がれない。
起きて、血圧を測ったら、150以上あり、もともと低血圧だったのだから、いかに体調が悪いか・・・
午後になると下がるので、一過性のものかもしれない。

外は暑いし、昨日はテンが虫に刺されたらしく、ボクサーのようなはれ上がった顔をしているし、一瞬誰かに殴られたのかと思ったが、ほかは無事なので蜂にでも刺されたのだろうか。マリはまた妊娠しているようで、来月には子犬が生まれるだろうか。2度目となると落ち着いたもので、テンがあっという間に育ってしまったせいか、今度は生まれたら里親を探そうかと思っている。テンを里子に出そうと思ったけど、生まれてからずっと一緒にいるため、テンがいなくなるとさびしい。

娘は学校が始まり、体育祭の練習で筋肉痛らしい。大して気にしないでいたら、犬の餌を出すためにキッチンの棚の扉を開ける際、台に手を置くように扉につまったら扉が割れた。扉が木で出来てるため、真っ二つに近い。仕方がないので、木工用のボンドで付けてみたら、直った。組み木の要領で作られているため、そこにボンドを塗ってパーツを差し込む。

家も10年経つと、あちこち傷んでくるのだろうか。今年は開業するので、リフォームしている余裕はない。内装の打合せをしに四谷へ行き、案外近いので驚いた。つくばエキスプレスが開通したせいか、秋葉原で乗り換えたらすぐだった。でも、帰りは東京駅からバス。つくばまでなら下り路線なので、バスも定刻に到着する。

友達がデパートに勤めている。このところ前を通りかかると、つまらない話をして帰ってくる。ちなみに駐車場のことを尋ねたら、歩いて10分くらいのところに従業員用の駐車場があるらしく、それが普通なのか、と不思議な気がする。つくばだと、どこでも駐車場があるのが当たり前で、駅の周辺も駐車場だらけだし、そこを借りて、と思っていたら、コンサルタントが、「こういう便利なところは駐車場がないほうが普通だ」と言う。・・・・・・・・う〜む。まあ、通勤や通学となると、電車やバスを利用するのが当たり前なので、よほど辺鄙なところでないかぎり駐車場なんてないのが当たり前なのかも。

そうやって、わさわさと働いているほうが普通なんだろうか。
わたしは自分が働いたことがないので、そういう意味での普通さがわからない。一つわかっているのは、うちのような労働条件のところならいくらでも職員が集まる、ということらしい。まあ、従業員なのかお客様なのかわからないから・・・

自分にとっての当たり前が、社会にとっての当たり前ではないらしい。
ただ、他人の愚痴に付き合わされるのは、面倒だ。ご不満があるのなら辞めてください、で終わるほうがさっぱりするではないか。で、また職員を募集したらいくらでも集まる、というほうが気楽だ。

他人を雇うより、やれることは自分でやろうというのは、一つには経費の節約もあるけど、そのほうが人を雇うより遥かに気楽だから。患者さんが増えても、職員を雇っていたら採算に合わん。逆に、健診センターでもやって、他人に勝手に働いてもらっていたほうが遥かに経営的には楽なのはわかってはいるが、それもかったるい。万が一、父さんに何かあったとき、みんなが路頭に迷うことになる。そうなったら法人にして、ほかの先生を連れてきて、となるのが普通だろう。それだったら病院に勤めていたほうが遥かに楽。

考えすぎなのかも。それでいて、他人に振り回されるのはいやだ。自由にしていたいから、開業するのかもしれないな・・・

投稿者 Blue Wind : 03:45 PM | コメント (0) | トラックバック

September 01, 2006

外面(そとづら)と内面(うちづら)

気のせいかもしれないけど、またアメブロの編集画面が変わっていて、どうやって記事を投稿してよいのかわからなかった。
その前に、仕事のメールをチェックするだけで精一杯で、自分のブログへたどりつく頃には目がしょぼしょぼしていて、レスを書くのが遅くてすみません。疲労がたまっているのかも・・・

近頃、自分でも変わったなーと思うのは、以前だったら営業の電話などがかかってきても、やたらと腹が立つだけだったのに、このところ、「みんな、たいへんなんだなー」と思うようになったことかも。営業の電話なんて、好きでかけている人なんていないかもしれない。仕事だから、仕方がない。

娘が言うには、わたしの電話の声はすごく明るくて愛想がよいが、娘の友達から電話があって娘に代わるとき、声のトーンが変わることが筒抜けで、娘の友達ががっかりするくらい違うそう。

そんなに違うかな・・・
と思ったが、そうやって言われると、営業用の声と家族に出す声とは高さからトーンから違うような気がしなくもない。なんか、自分でも自覚しているもの・・・その違いを。要するに、外面(そとづら)と内面(うちづら)というわけではないが、仕事がらみでよく知らない人たちと話す声は愛想がよいし、家族や友達と話すときには愛想が悪い、というか、普通の声だし、娘に言わせると、普通の声を出すわたしが裏の顔で、外へ向けて発する顔は単なる表の顔らしい。

うんうん、世の中そういうものなのだろう。
基本的に仕事の場合、初対面だったり、顔しか知らなかったり、その人自身についてはまるで知らない。まあ、それが世の中なんだと思いつつ、まるで知らない人であっても仕事を通したやりとりがスムーズに行くというのは、仕事、という言葉には何やらセットパック的な安心感がいつもあるからなのだろう。

だから、その人のことはまるで知らないが、要するに会社の信用などから類推して取引をするわけで、そういうことがスムーズに行くのは、それが誰かの紹介だからだったりするのかもしれないし、いわゆる社会的信用の問題なのかもしれないし、そんなことはどうでもいいが、一つわかっているのは、知らない人たちばかりを相手にしていると、自然と愛想のよい声になるのが不思議さ。
そりゃ誰でも、いきなり不機嫌な声を出されたら、「なんだろ・・」という気持ちになるだろうし、結果的に営業モードになったところで仕方ないではないか。

問題は、その落差にあるのだろうか・・・
内心、「なんだ、娘への電話か」ということが、ありあり出ることにあるのだろうか。
そうだよね・・・
わたし的にはどうでもいいようなことなんだけど、彼女たちにしてみたら、友達の家に電話するとか家族の人からどう思われているのだろうとか、案外、気にするような年頃。ましてや中学生くらいになると、親が友達のことで何か言いたがることが多いだろうし、そもそも、わたしはそういうことに大して関心を持っていない、ということが娘の友達に理解してもらおうと思っても無意味だ。

いや・・・
そういうことを気にしなければならないような年頃なんだろうか。
この前も、娘の小学校時代の友達が来て、娘が一緒に出かけて行きすぐ戻って来たからどうしたんだろうと思ったら、レンタルショップで借りるのに学生証を忘れたから、娘が代わりに借りてあげたそう。後になって訊いたら、実際に代わりになってあげた子は友達の友達というだけでまるで知らない子たちだそう。
娘の友達は昔から知っているが、そのまた友達となるとまるで知らない子たちなわけで、一瞬信用してよいものかどうか悩んだが、逆にその話をその子が親にしたとき、すごく叱られたと言って、電話がかかってきた。
そりゃそうだ。

世の中って、お金が絡むとそうなんだよね・・・
さわさわさわ〜となるが、そういうことを考えると、ひどく面倒でもあるし、ひどくわずらわしくもある。
娘に、「お母さんは叱らないの?」と訊かれたが、立場が違うし、「何か問題が発生してから怒る」と答えた。何も問題が発生していないうちから大騒ぎするほどのことでもないし、そうなったら向こうの親に文句の電話をかければよいだけのことで、そうなる前に向こうの親が子どもを叱っているのだから、何もわたしが言うべきことはない、と思う。

まあ、何でもいいや・・・
子育ての第2段階に突入したみたい。
みんな、ポカをやって成長するんだ。
子どもは子ども。

投稿者 Blue Wind : 02:27 AM | コメント (0) | トラックバック