April 30, 2004

詩篇 116. 8-11

  あなたはわたしの魂を死から
  わたしの目を涙から
  わたしの足を突き落とそうとする者から
      助け出してくださった。
  命あるものの地にある限り
  わたしは主の御前に歩み続けよう。
  わたしは信じる
  「激しい苦しみに襲われている」と言うときも
  不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。

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エステル記 7. 1-10 ハマン、失脚する

  王とハマンは、王妃エステルの酒宴にやって来た。この二日目の日も同様に、ぶどう酒を飲みながら王は言った。「王妃エステルよ、何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」「王よ、もしお心に適いますなら」と王妃エステルは答えた。「もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いを聞いていただけますならば、私のために私の命と私の民族の命をお助けいただきとうございます。私と私の民族は取り引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます。私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう。」
  クセルクセス王は王妃エステルに、「一体、誰がそのようなことをたくらんでいるのか、その者はどこにいるのか」と尋ねた。エステルは答えた。「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます。」ハマンは王と王妃の前で恐れおののいた。王は怒って立ち上がり、酒宴をあとにして王宮の庭に出た。ハマンは王妃エステルに命乞いをしようとしてとどまった。王による不幸が決定的になった、と分かったからである。ハマンがエステルのいる長いすに身を投げかけているところへ、王宮の庭から王が酒宴の間に戻って来た。王は言った。「わたしのいるこの宮殿で、王妃にまで乱暴しようとするのか。」この言葉が王の口から発せられるやいなや、人々はハマンの顔に覆いをかぶせた。宦官の一人、ハルボナは王に言った。「ちょうど、柱があります。王のために貴重なことを告げてくれたあのモルデカイをつるそうとして、ハマンが立てたものです。五十アンマもの高さをもって、ハマンの家に立てられています。」王は、「ハマンをそれにつるせ」と命じた。こうしてハマンは、自分がモルデカイのために立てた柱につるされ、王の怒りは治まった。

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フィリピ信徒への手紙 4. 4-9

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
  終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や賞賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。

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April 29, 2004

箴言 20. 1-30

  酒は不遜、強い酒は騒ぎ。
  酔う者が知恵を得ることはない。
  王の脅威は若獅子のうなり声
  彼を怒らせる者は自分を危険にさらす。
  争いにかかわらないのは立派なことだ。
  無知な者は皆、争いを引き起こす。
  怠け者は冬になっても耕さず
  刈り入れ時に求めるが何もない。
  思い計らいは人の心の中の深い水。
  英知ある人はそれをくみ出す。
  親友と呼ぶ相手は多いが
  信用できる相手を誰が見いだせよう。
  主に従う人は完全な道を歩む。
  彼を継ぐ子らは幸い。
  裁きの座に就いている王は
  その目でどのような悪をもふるい分ける。
  わたしの心を潔白にした、と誰が言えようか。
  罪から清められた、と誰が言えようか。
  おもり石の使い分け、升の使い分け
  いずれに主の憎まれること。
  子供も、行いが清く正しいかどうか
  行動によって示す。
  聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた。
  眠りを愛するな、貧しくならぬために。
  目を見開いていれば、パンに飽き足りる。
  「悪い、悪い」と買い手は言うが
  そこを去ると、自慢する。
  金もあり、珠玉も多い。
  しかし、貴いものは知識ある唇。
  他国の者を保証する人からは着物を預かれ。
  他国の女を保証する人からは抵当を取れ。
  欺き取ったパンはうまいが、
  後になって口は砂利で満たされる。
  計画は助言を得て立てよ
  戦争は指揮力を整えて始めよ。
  秘密をばらす者、中傷をし歩く者
  軽々しく唇を開く者とは、交わるな。
  父母を呪う者
  彼の灯は闇のただ中で消える。
  初めに嗣業をむさぼっても
  後にはそれは祝福されない。
  悪に報いたい、と言ってはならない。
  主に望みをおけ、主があなたを救ってくださる。
  おもり石を使い分けることは主にいとわれる。
  天秤をもって欺くのは正しくない。
  人の一歩一歩を定めるのは主である。
  人は自らの道について何を理解していようか。
  聖別されたものとしよう、と軽々しく言い
  後にその誓いを思い直せば罠となる。
  賢い王は神に逆らう者を選び出し
  彼らの上に車輪を引き回す。
  主の灯は人間の吸い込む息。
  腹の隅々まで探る。
  慈しみとまことは王を守る。
  王座は慈しみによって保たれる。
  力は若者の栄光。
  白髪は老人の尊厳。
  打って傷を与えれば悪をたしなめる。
  腹の隅々にとどくように打て。

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April 28, 2004

コヘレトの言葉 9. 13-15

  わたしはまた太陽の下に、知恵について次のような実例を見て、強い印象を受けた。
  ある小さな町に僅かの住人がいた。そこへ強大な王が攻めて来て包囲し、大きな攻城堡塁を築いた。その町に一人の貧しい賢人がいて、知恵によって町を救った。しかし、貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった。それで、わたしは言った。
  知恵は力にまさるというが
  この貧しい人の知恵は侮られ
  その言葉は聞かれない。

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April 27, 2004

ネヘミヤ記 13. 1-3

  その日、モーセの書が民に読み聞かされ、アンモン人とモアブ人は神の会衆に永久に加われないと記されているのが分かった。かつて彼らは、パンと水をもってイスラエル人を迎えず、バラムを雇ってイスラエル人を呪わせようとしたからである。わたしたちの神は、その呪いを祝福に変えてくださった。人々はこの教えを聞くと、混血の者を皆、イスラエルから切り離した。

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箴言 16.19-21

  貧しい人と共に心を低くしている方が
  高慢な者と分捕り物を分け合うよりよい。
  何事にも目覚めている人は恵みを得る。
  主に依り頼むことが彼の幸い。
  心に知恵のある人は聡明な人と呼ばれる。
  優しく語る唇は説得力を増す。

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コリントの信徒への手紙 6. 1-11 信仰のない人々に訴え出てはならない

  あなたがたの間で、一人が仲間の者と争いを起こしたとき、聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない人々に訴え出るようなことを、なぜするのです。あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを知らないのですか。まして、日常の生活にかかわる事は言うまでもありません。それなのに、あなたがたは、日常の生活にかかわる争いが起きると、教会では疎んじられている人たちを裁判官の席に着かせるのですか。あなたがたを恥じ入らせるために、わたしは言っています。あなたがたの中には、兄弟を仲裁できるような知恵のある者が、一人もいないのですか。兄弟が兄弟を訴えるのですか。しかも信仰のない人々の前で。そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです。それどころか、あなたがたは不義を行い、奪い取っています。しかも、兄弟たちに対してそういうことをしている。正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことはできません。あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。

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April 26, 2004

アモス書 5. 4-15 わたしを求めて生きよ

  まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。
  わたしを求めよ、そして生きよ。
  しかし、ベテルに助けを求めるな
  ギルガルに行くな
  ベエル・シェバに赴くな。
  ギルガルは必ず捕らえ移され
  ベテルは無に帰するから。
  
  主を求めよ、そして生きよ。
  さもないと主は火のように
  ヨセフの家に襲いかかり
  火が燃え盛っても
  ベテルのためにその火を消す者はない。

  裁きを苦よもぎに変え
  正しいことを地に投げ捨てる者よ。

  すばるとオリオンを造り
  闇を朝に変え
  昼を暗い夜にし
  海の水を呼び集めて地の面に注がれる方。
  その御名は主。

  主が突如として砦に破滅をもたらされると
  その堅固な守りは破滅する。

  彼らは町の門で訴えを公平に扱う者を憎み
  真実を語る者を嫌う。
  お前たちは弱い者を踏みつけ
  彼らから穀物の貢納を取り立てるゆえ
  切り石の家を建てても
  そこに住むことはできない。
  見事なぶどう畑を作っても
  その酒を飲むことはできない。
  お前たちの咎がどれほど多いか
  その罪がどれほど重いか、わたしは知っている。
  お前たちは正しい者の敵対し、賄賂を取り
  町の門で貧しい者の訴えを退けている。

  それゆえ、知恵ある者はこの時代に沈黙する。
  まことに、これは悪い時代だ。

  善を求めよ、悪を求めるな
  お前たちが生きることができるために。
  そうすれば、お前たちが言うように
  万軍の神なる主は
  お前たちと共にいてくださるだろう。
  悪を憎み、善を愛せよ
  また、町の門で正義を貫け。
  あるいは、万軍の神なる主が
  ヨセフの残りの者を
      憐れんでくださることもあろう。

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マタイによる福音書 16. 21-28 イエス、死と復活を予告する

  このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」

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April 25, 2004

雅歌 6. 1-12

    おとめたちの歌
  あなたの恋人はどこに行ってしまったの。
      だれにもまして美しいおとめよ
  あなたの恋人はどこへ行ってしまったの。
      一緒に探してあげましょう。

    おとめの歌
  わたしの恋しい人は園に
  香り草の花床に下りて行きました。
  園で群れを飼い、ゆりの花を手折っています。

  恋しいあの人はわたしのもの
  わたしは恋しいあの人のもの
  ゆりの中で群れを飼っているあの人のもの。

    若者の歌
  恋人よ、あなたはティルツァのように美しく
  エルサレムのように麗しく
  旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。
  わたしを混乱させるその目を
      わたしからそらせておくれ。
  あなたの髪はギレアドを駆け下る山羊の群れ。
  歯は雌羊の群れ。毛を刈られ
  洗い場から上って来る雌羊の群れ。
  対になってそろい、連れあいを失ったものはない。
  ベールの陰のこめかみはざくろの花。

  王妃が六十人、側女が八十人
  若い娘の数は知れないが
  わたしの鳩、清らかなおとめはひとり。
  その母のただひとり娘。
  産みの親のかけがえのない娘。
  彼女を見ておとめたちは祝福し
  王妃も側女も彼女をたたえる。

    合唱
  曙のように姿を現すおとめは誰か。
  満月のように美しく、太陽のように輝き
  旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。

    おとめの歌
  わたしはくるみの園に下りて行きました。
  流れのほとりの緑の茂みに
  ぶどうの花は咲いたか
  ざくろのつぼみは開いたか、見ようとして。
  知らぬ間にわたしは
  アミナディブの車に乗せられていました。

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申命記 33. 24-25

  アシェルのため彼は言った。
  アシェルは子らのうちで最も祝福される。
  兄弟に愛され、その足を油に浸す。
  あなたのかんぬきは鉄と青銅。
  あなたの力はとこしえに続く。

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詩篇 71. 4-8

  わたしの神よ、あなたに逆らう者の手から
  悪事を働く者、不法を働く者の手から
      わたしを逃れさせてください。
  主よ、あなたはわたしの希望。
  主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み
  母の胎にあるときから
      あなたに依りすがって来ました。
  あなたは母の腹から
      わたしを取り上げてくださいました。
  わたしは常にあなたを賛美します。
  多くの人はわたしに驚きます。
  あなたはわたしの避けどころ、わたしの砦。
  わたしの口は賛美に満ち
  絶えることなくあなたの輝きをたたえます。

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April 24, 2004

マルコによる福音書 9. 14-29 汚れた霊に取りつかれた子をいやす

  一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群集に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。群集は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、群集の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。」イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」イエスは、群集が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。「ものも言わず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は、死んだようになったので、多くの者が、「死んでしまった」と言った。しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。

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エゼキエル書 28. 11-19

  主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、ティルスの王に対して嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。
  主なる神はこう言われる。
  お前はあるべき姿を印章としたものであり
  知恵に満ち、美しさの極みである。
  お前は神の園であるエデンにいた。
  あらゆる宝石がお前を包んでいた。
  ルビー、黄玉、紫水晶
  かんらん石、縞めのう、碧玉
  サファイア、ざくろ石、エメラルド。
  それらは金で作られた留め金で
  お前に着けられていた。
  それらはお前が創造された日に整えられた。
  わたしはお前を
      翼を広げてケルプとして造った。
  お前は神の聖なる山にいて
  火の石の間を歩いていた。
  お前が創造された日から
  お前の歩みは無垢であったが
  ついに不正がお前の中に
      見いだされるようになった。
  お前の取り引きが盛んになると
  お前の中に不法が満ち
  罪を犯すようになった。
  そこで、わたしはお前を神の山から追い出し
  翼で覆うケルプであるお前を
  火の石の間から滅ぼした。
  お前の心は美しさのゆえに高慢となり
  栄華のゆえに知恵を堕落させた。
  わたしはお前を地の上に投げ落とし
  王たちの前で見せ物とした。
  お前は悪行を重ね、不正な取り引きを行って
  自分の聖所を汚した。
  それゆえ、わたしはお前の中から火を出させ
  わたしは見ている者すべての前で
  お前を地上の灰にした。
  諸国の民のなかで、お前を知っていた者は皆
  お前のゆえにぼう然とする。
  お前は人々に恐怖を引き起こし
  とこしえに消え失せる。」

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ペトロの手紙 一 3. 9-17

悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
  「命を愛し、
  幸せな日々を過ごしたい人は、
  舌を制して、悪を言わず、
  唇を閉じて、偽りを語らず、
  悪から遠ざかり、善を行い、
  平和を願って、これを追い求めよ。
  主の目は正しい者に注がれ、
  主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
  主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
  もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。神の御心によるのであれば、善を行って苦しむほうが悪を行って苦しむよりはよい。

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ヨハネによる福音書 20. 24-29 イエスとトマス

  十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて、八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

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ガラテヤの信徒への手紙 2. 1-10 使徒たち、パウロを受け入れる

  その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことをしませんでした。おもだった人たちからも強制されませんでした。----この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことなのです。神は人を分け隔てなさいません。----実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。それどころか、彼らはペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。また、彼らはわたしにも働きかけられたのです。また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。ただ、わたしが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。

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ダニエル書 7. 1-28 四頭の獣の幻

  バビロンの王ベルシャツァルの治世元年のことである。ダニエルは、眠っているとき頭に幻が浮かび、一つの夢を見た。彼はその夢を記録することにし、次のように書き起こした。
  ある夜、わたしは幻を見た。見よ、天の四方から風が起こって、大海を波立たせた。すると、その海から四頭の大きな獣が現れた。それぞれ形が異なり、第一のものは獅子のようであったが、鷲の翼が生えていた。見ていると、翼は引き抜かれ、地面から起き上がらされて人間のようにその足で立ち、人間の心が与えられた。第二の獣は熊のようで、横ざまに寝て、三本の肋骨を口にくわえていた。これに向かって、「立て、多くの肉を食らえ」という声がした。次に見えたのはまた別の獣で、豹のようであった。背には鳥の翼が四つあり、頭も四つあって、権力がこの獣に与えられた。この夜の幻で更に続けて見たものは、第四の獣で、ものすごく、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった。他の獣と異なって、これには十本の角があった。その角を眺めていると、もう一本の小さな角があった。その角を眺めていると、もう一本の小さな角が生えてきて、先の角のうち三本はそのために引き抜かれてしまった。この小さな角には人間のように目があり、また、口もあって尊大なことを語っていた。なお見ていると、
  王座が据えられ
  「日の老いたる者」がそこに座した。
  その衣は雪のように白く
  その白髪は清らかな羊の毛のようであった。
  その王座は燃える炎
  その車輪は燃える火
  その前から火の川が流れ出ていた。
  幾千人が御前に仕え
  幾万人が御前に立った。
  裁き主は席に着き
  巻物が繰り広げられた。
  さて、その間にもこの角は尊大なことを語り続けていたが、ついにその獣は殺され、死体は破壊されて燃え盛る火に投げ込まれた。他の獣は権力を奪われたが、それぞれの定めの時まで生かしておられた。
  夜の幻をなお見ていると、
  見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り
  「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み
  権威、威光、王権を受けた。
  諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え
  彼の支配はとこしえに続き
  その統治は滅びることがない。

  わたしダニエルは大いに憂い、頭に浮かんだこの幻に悩まされた。そこに立っている人の一人に近づいてこれらのことの意味を尋ねると、彼はそれを説明し、解釈してくれた。「これら四頭の大きな獣は、地上に起ころうとする四人の王である。しかし、いと高き者の聖者らが王権を受け、王国をとこしえに治めるであろう。」更にわたしは、第四の獣について知りたいと思った。これは他の獣と異なって、非常に恐ろしく、鉄の歯と青銅のつめをもち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじったものである。その頭には十本の角があり、更に一本の角が生え出たので、十本のうち三本が抜け落ちた。その角には目があり、また、口もあって尊大なことを語った。これは、他の角よりも大きく見えた。見ていると、この角は聖者らと闘って勝ったが、やがて、「日の老いたる者」が進み出て裁きを行い、いと高き者の聖者らが勝ち、時が来て、王権を受けたのである。
  さて、その人はこう言った。
  「第四の獣は地上に興る第四の国
  これはすべての国に異なり
  全地を食らい尽くし、踏みにじり、打ち砕く。
  十の角はこの国に立つ十人の王
  そのあとにもう一人の王が立つ。
  彼は十人の王と異なり、三人の王を倒す。
  彼はいと高き方に敵対して語り
  いと高き方の聖者らを悩ます。
  彼は時と法を変えようとたくらむ。
  聖者らは彼の手に渡され
  一時期、二時期、半時期がたつ。
  やがて裁きの座が開かれ
  彼はその権威を奪われ
  滅ぼされ、絶やされて終わる。
  天下の全王国の王権、権威、支配の力は
  いと高き方の聖なる民に与えられ
  その国はとこしえに続き
  支配者はすべて、彼らに仕え、彼らに従う。」
  ここでその言葉は終わった。わたしダニエルは大層恐れ悩み、顔色も変わるほどであった。しかし、わたしはその言葉を心に留めた。

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マタイによる福音書 16. 1-4 人々はしるしを欲しがる

  ファリサイ派のとサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。イエスはお答えになった。「あなたたちは、夕方には、『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」そして、イエスは彼らを後に残して立ち去られた。

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April 21, 2004

詩篇 119. 169-176

       (タウ)
  主よ、わたしの叫びが御前に届きますように。
  御言葉をあるがままに理解させてください。
  わたしの嘆願が御前に達しますように。
  仰せのとおりにわたしを助け出してください。
  わたしの唇から賛美が溢れるでしょう
  あなたが掟を教えてくださいますから。
  わたしの舌は仰せを歌うでしょう
  あなたの戒めはことごとく正しいのですから。
  あなたの御手はわたしの助けとなるでしょう
  あなたの命令を選び取ったのですから。
  主よ、御救いをわたしは望みます。
  あなたの律法はわたしの楽しみです。
  わたしの魂が命を得てあなたを賛美しますように。
  あなたの裁きがわたしを助けますように。
  わたしが子羊のように失われ、迷うとき
  どうかあなたの僕を探してください。
  あなたの戒めをわたしは決して忘れません。

投稿者 Blue Wind : 09:41 PM | コメント (0) | トラックバック

ヨブ記 16. 6-22

  語っても苦しみはやまず
  黙っていても、それは去りません。
  もう、わたしは疲れ果てました。
  わたしの一族をあなたは圧倒し
  わたしを絞り上げられます。
  このわたしの姿が証人となり
      わたしに代わって抗議するでしょう。

  神がわたしを餌食として、怒りを表されたので
  敵はわたしを憎んで牙をむき、鋭い目を向ける。
  彼らは大口を開けて嘲笑い
  頬を打って侮辱し
  一団となってわたしに向かって来る。
  神は悪を行う者にわたしを引き渡し
  神に逆らう者の手に任せられた。
  平穏に暮らしていたわたしを神は打ち砕き
  首を押さえて打ち据え
  的として立て
  弓を射る者に包囲させられた。
  彼らは容赦なく、わたしのはらわたを射抜き
  胆汁は地に流れ出た。
  神は戦士のように挑みかかり
  わたしを打ち破り、なお打ち破る。
  わたしは粗布を肌に縫い付け
  わたしの角と共に塵の中に倒れ伏した。
  泣きはらした顔は赤く
  死の闇がまぶたのくまどりになった。
  わたしの手には不法もなく
  わたしの祈りは清かったのに。

  大地よ、わたしの地を覆うな
  わたしの叫びを閉じ込めるな。
  このような時にも、見よ
      天にはわたしのために証人があり
  高い天には
      わたしを弁護してくださる方がある。
  わたしのために執り成す方、わたしの友
  神を仰いでわたしの目は涙を流す。
  人とその友の間を裁くように
  神が御自分とこの男の間を裁いてくださるように。
  僅かな年月がたてば
  わたしは帰らぬ旅路に就くのだから。

投稿者 Blue Wind : 09:38 PM | コメント (0) | トラックバック

マタイによる福音書 15. 1-20 昔の人の言い伝え

  そのころ、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、エルサレムからイエスのもとへ来て言った。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」そこで、イエスはお答えになった。「なぜ、あなたたちも自分の言い伝えのために、神の掟を破っているのか。神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。それなのに、あなたたちは言っている。『父または母に向かって、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物にする」と言う者は、父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。偽善者たちよ、イザヤは、あなたたちのことを見事に預言していたものだ。
  『この民は口先ではわたしを敬うが、
  その心はわたしから遠く離れている。
  人間の戒めを教えとして教え、
  むなしくわたしをあがめている。』
  それから、イエスは群集を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」そのとき、弟子たちが近寄って来て、「ファリサイ派の人々がお言葉を聞いて、つまずいたのはご存じですか」と言った。イエスはお答えになった。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」するとペトロが、「そのたとえを説明してください」と言った。イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」

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ヨハネによる福音書 5. 19-30 御子の権威

  そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あならたちが驚くことになる。すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。また、父はだれも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へ移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
  わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」

投稿者 Blue Wind : 11:28 AM | コメント (0) | トラックバック

ローマの信徒への手紙 15. 18-21

キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。
  「彼のことを告げられていなかった人々が見、
  聞かなかった人々が悟るであろう」
と書いてあるとおりです。

投稿者 Blue Wind : 11:13 AM | コメント (0) | トラックバック

ルカによる福音書 14. 34-35 塩気のなくなった塩

  「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」

投稿者 Blue Wind : 11:07 AM | コメント (0) | トラックバック

April 19, 2004

コリントの信徒への手紙 14. 20-25

  兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。律法にこう書いてあります。
  「『異国の言葉を語る人々によって、
  異国の人々の唇で
  わたしはこの民を語るが、
  それでも彼らはわたしに耳を傾けないだろう』
と主は言われる。」このように、異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人が信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人が、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、心の内に隠していたことを明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と皆の前で言い表すことになるでしょう。

投稿者 Blue Wind : 10:31 PM | コメント (0) | トラックバック

哀歌 2. 17-22

  主は計画したことを実現し
  約束したことを果たされる方。
  昔、命じておかれたところのゆえに
      あなたを破壊し、容赦されなかった。
  敵はそのあなたを見て喜び
  あなたを苦しめる者らは角を上げる。

  おとめシオンの城壁よ
      主に向かって心から叫べ。
  昼も夜も、川のように涙を流せ。
  休むことなくその瞳から涙を流せ。

  立て、宵の初めに。
      夜を徹して嘆きの声をあげるために。
  主の御前に出て
      水のようにあなたの心を注ぎ出せ。
  両手を上げて命乞いをせよ
      あなたの幼子らのために。
  彼らはどの街角でも飢えに衰えてゆく。

  主よ、目を留めてよく見てください。
  これほど懲らしめられた者がありましょうか。
  女がその胎の実を
  育てた子を食い物にしているのです。
  祭司や預言者が
      主の聖所で殺されているのです。

  街では老人も子供も地に倒れ伏し
  おとめも若者も剣にかかって死にました。
  あなたは、ついに怒り
      殺し、屠って容赦されませんでした。

  祭りの日のように声をあげて脅かす者らを呼び
      わたしを包囲させられました。
  主が怒りを発したこの日に
      逃げのびた者も生き残った者もなく
  わたしが養い育てた子らは
      ことごとく敵に滅ぼされてしまいました。 

投稿者 Blue Wind : 10:23 PM | コメント (0) | トラックバック

使徒言行録 7. 1-53 ステファノの説教

  大祭司が、「訴えのとおりか」と尋ねた。そこで、ステファノは言った。「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、そこでは財産は何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。神はこう言われました。『神の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて、それぞれ割礼をほどこしたのです。
  この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。ところが、エジプトとカナンの全土に飢饉が起こり、大きな苦難が襲い、わたしの先祖は食料を手に入れることができなくなりました。ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわたしたちの先祖をそこへ行かせました。二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、ファラオもヨセフの一族のことを知りました。そこで、ヨセフは人を遣わして、父ヤコブと七十五人の親族一同を呼び寄せました。ヤコブはエジプトに下って行き、やがて彼もわたしたちの先祖も死んで、シケムに移され、かつてアブラハムがシケムでハモルの子らから、幾らかの金で買っておいた墓に葬られました。
  神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。
  四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。次の日、モーセはイスラエル人が互いに争っているところに来合わせたので、仲直りをさせようとして言いました。『君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ。』すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか。』モーセはこの言葉を聞いて、逃げ出し、そして、ミディアン地方に身を寄せている間に、二人の男の子をもうけました。
  四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、芝の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』人々が、『だれが、お前の指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は芝の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖の間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、アロンに言いました。『わたしたちの先に立って導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。』彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。
  『イスラエルの家よ、
  お前たちは荒れ野にいた四十年の間、
  わたしにいけにえと供え物を
      献げたことがあったか。
  お前たちは拝むために造った偶像、
  モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を
  担ぎ回ったのだ。
  だから、わたしはお前たちを
  バビロンのかなたへ移住させる。』
  わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、神のために家を建てたのはソロモンでした。けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。
  『主は言われる。
  「天はわたしの王座、
  地はわたしの足台。
  お前たちは、わたしに
      どんな家を建ててくれると言うのか。
  わたしの憩う場所はどこにあるのか。
  これらはすべて、
      わたしの手が造ったものではないか。」』
  かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」

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April 17, 2004

コリントの信徒への手紙 2. 6-16 神の霊による啓示

  しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。しかし、このことは、
  「目が見もせず、耳が聞きもせず、
  人の心に思い浮かびもしなかったことを、
  神は御自分を愛する者たちに準備された」
と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が”霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。”霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、”霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。
  「だれが主の思いを知り、
  主を教えるというのか。」
しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。

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使徒言行録 19. 21-40 エフェソでの騒動

  このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。そして、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。
  そこころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなど神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」
  これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。そして、街中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。パウロは群集の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。さて、群集はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。そのとき、ユダヤ人が前へ押し出したアレクサンドロという男に、群集の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群集に向かって弁明しようとした。しかし、彼がユダヤ人であると知った群集は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けた。そこで、町の書記官が群集をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解をする理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。

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ヨハネによる福音書 6. 1-15 五千人に食べ物を与える

  その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群集が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。イエスは目を上げ、大勢の群集が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られた預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

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ヨハネによる福音書 6. 60-71 永遠の命の言葉

  ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば・・・・・・。命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
  このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペテロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのことろへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。

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April 16, 2004

サムエル記上 21. 11-16

  ダビデは立ってその日のうちにサウルから逃れ、ガトの王アキシュのもとに来た。アキシュの家臣は言った。「この男はほかの地の王、ダビデではありませんか。この男についてみんなが踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と歌ったのです。」
  ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れた。そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。アキシュは家臣に言った。「見てみろ、この男は気が狂っている。なぜ連れて来たのだ。わたしのもとに気の狂った者が不足しているとでもいうのか。わたしの前で狂態を見せようとして連れて来たのか。この男をわたしの家に入れようというのか。」

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列王記上 16. 23-28 イスラエルの王オムリ

  ユダの王アサの治世第三十一年に、オムリがイスラエルの王となり、十二年間王位にあった。彼は六年間ティルツァで国を治めた後、シェメルからサマリアの山を銀二キカルで買い取り、その山に町を築いた。彼はその築いた町の名を、山の所有者であったシェメルの名にちなんでサマリアと名付けた。
  オムリは主の目に悪とされることを行い、彼以前のだれよりも悪い事を行った。彼は、ネバトの子ヤロブアムのすべての道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返して、空しい偶像によってイスラエルの神、主の怒りを招いた。
  オムリの行った他の事績、彼のあげた功績は、『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。オムリは先祖と共に眠りにつき、サマリアに葬られた。その子アハブがオムリに代わって王となった。

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ヨブ記 5. 1-7

  呼んでみよ
      あなたに答える者がいるかおうか。
  聖なるものをおいて、誰に頼ろうというのか。

  愚かな者は怒って自ら滅び
  無知な者はねたんで死に至る。
  愚かな者が根を張るのを見て
      わたしは直ちにその家を呪った。
  「その子らは安全な境遇から遠ざけられ
  助ける者もなく町の門で打ち砕かれるがよい。
  彼らの収穫は、飢えた人が食い尽くし
  その富は、渇いた人が飲み尽くし
  その財産は、やせ衰えた人が奪うがよい。」

  塵からは、災いは出てこない。
  土からは、苦しみは生じない。
  それなのに、人間は生まれれば必ず苦しむ。
  火花が必ず上に向かって飛ぶように。

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マタイによる福音書 13. 1-8 「種を蒔く人」のたとえ

  その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群集がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群集は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」

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April 15, 2004

アモス書 5. 1-3 悲しみの歌

  イスラエルの家よ、この言葉を聞け。
  わたしがお前たちについてうたう悲しみの歌を。
  「おとめイスラエルは倒れて
  再び起き上がらず
  地に捨てられて
  助け起こす者はいない。」
  まことに、主なる神はこう言われる。
  「イスラエルの家では
  千人の兵を出した町に、生き残るのは百人
  百人の兵を出した町に、生き残るのは十人。」

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コヘレトの言葉 8. 14-17, 9. 1-3

  この地上には空しいことが起こる。
  善人でありながら
      悪人の業の報いを受ける者があり
  悪人でありながら
      善人の業の報いを受ける者がある。
  これまた空しいと、わたしは言う。

  それゆえ、わたしは快楽をたたえる。
  太陽の下、人間にとって
      飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。
  それは、太陽の下、神が彼に与える人生の
  日々の労苦に添えられたものなのだ。
  わたしは知恵を深めてこの地上に起こることを見極めようと心を尽くし、昼も夜も眠らずに努め、神のすべての業を観察した。まことに、太陽の下に起こるすべてのことを悟ることは、人間にはできない。人間がどんなに労苦し追求しても、悟ることはできず、賢者がそれを言おうとも、彼も悟ってはいない。


  わたしは心を尽くして次のようなことを明らかにした。すなわち
  善人、賢人、そして彼らの働きは
      神の手の中にある。
  愛も、憎しみも、人間は知らない。
  人間の前にあるすべてのことは何事も同じで
  同じひとつのことが善人にも悪人にも良い人にも
  清い人にも不浄な人にも
  いけにえをささげる人にもささげない人にも臨む。
  良い人に起こることが罪を犯す人にも起こり
  誓いを立てる人に起こることが
  誓いを恐れる人にも起こる。
  太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、だれにでも同じひとつのことが臨むこと、その上、生きている間、人の心は悪に満ち、思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ。

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使徒言行録 8. 26-40 フィリポとエチオピアの高官

  さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐに出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。すると、”霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。フィリポが走り寄ると、預言者のイザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。彼が朗読していた聖書の個所はこれである。
  「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。
  毛を刈る者の前で黙している子羊のように、口を開かない。
  卑しめられて、その裁きも行われなかった。
  だれが、その子孫について語れるだろう。
  彼の命は地上から取り去られるからだ。」
  宦官は、フィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何が妨げがあるでしょうか。」そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。

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April 14, 2004

アモス書 3. 3-8 神が語られる

  打ち合わせもしないのに
  二人の者が共に行くだろうか。
  獲物もないのに
  獅子が森の中でほえるだろうか。
  獲物を捕らえもせずに
  若獅子が穴の中から声をとどろかすだろうか。
  餌が仕掛けられてもいないのに
  鳥が地上に降りて来るだろうか。
  獲物もかからないのに
  罠が地面から跳ね上がるだろうか。
  町で角笛が吹き鳴らされたなら
  人々はおののかないだろうか。
  町に災いが起こったなら
  それは主がなされたことではないか。
  まことに、主なる神はその定められたことを
  僕なる預言者に示さずには
  何事もなされない。
  獅子がほえる。
  誰が恐れずにいられよう。
  主なる神が語られる
  誰が預言せずにいられようか。

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ローマの信徒への手紙 5. 12-21 アダムとキリスト

  このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪とは認められないわけです。しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前にもって表す者だったのです。
  しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。この賜物は、罪を犯した一人の人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。

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April 13, 2004

ルカによる福音書 3. 21-22 イエス、洗礼を受ける

  民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

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コリントの信者への手紙 3. 1-23 神のために力を合わせて働く

  兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。ある人が、「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。
  わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にはそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
  だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵ある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。
  「神は、知恵のある者たちを
      その悪賢さによって捕らえられる」
と書いてあり、また、
  「主は知っておられる、
  知恵のある者たちの論議がむなしいことを」
とも書いてあります。ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。

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コロサイの信徒への手紙 1. 1-8

  挨拶
  神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと兄弟テモテから、コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

  神への感謝
  わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、また、”霊”に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です。

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April 12, 2004

サムエル記上 16. 14-23 ダビデ、サウルに仕える

  主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。サウルの家臣はサウルに勧めた。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分をよくするでしょう。」サウルは家臣に命じた。「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい。」従者の一人が答えた。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です。」サウルは、エッサイに使者を立てて言った。「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしのもとによこしなさい。」エッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子山羊一匹を用意し、息子ダビデに持たせてサウルに送った。ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた。サウルはエッサイに言い送った。「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った。」神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって、気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。

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コロサイの信徒への手紙 1. 9-23 御子キリストによる創造と和解

  こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、”霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、ご自分と和解させられました。
  あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。

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ルカによる福音書 17. 1-10 赦し、信仰、奉仕

  イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
  使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。
  あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐに来て食事の席に着きなさい』という者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕をしてくれ。お前はその後で食事をしないさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

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April 11, 2004

ルカによる福音書 19. 11-27 「ムナ」のたとえ

  人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売しなさい』と言った。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。最初の者が進み出て、『ご主人様、あなたがの一ムナで十ムナもうけました』と言った。主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』二番目の者が来て、『ご主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。また、ほかの者が来て言った。『ご主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものまで取り立て、撒かなかったものを刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付でそれを受け取れたのに。』そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』僕たちが、『ご主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」

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ルカによる福音書 18. 15-17 子供を祝福する

  イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

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使徒言行録 8. 9-25

  ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。
  エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだ誰の上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。シモンは、使徒たちが手を置くことで、”霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前で正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」
  このようにペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。

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April 10, 2004

ヨハネによる福音書 15. 1-17 イエスはまことのぶどうの木

  「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいるもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
  これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

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マタイによる福音書 10. 16-25 迫害を予告する

  「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに人の子は来る。
  弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」

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使徒言行録 27. 13-38 暴風に襲われる

  ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。やがて、カウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができた。小舟を船に引き上げてから、船体には綱を巻きつけ、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨を降ろし、流されるにまかせた。しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。
  人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたに違いありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」
  十四日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じた。そこで、水の深さを測ってみると、二十オルギィアあることが分かった。もう少し進んでまた測ってみると、十五オルギィアであった。船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろそうとしたので、パウロは百人隊長と兵士に、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言った。そこで、兵士たちは綱を切って、小舟を流れるにまかせた。
  夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。

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April 09, 2004

ヨブ記 36. 22-33

  まことに神は力に秀でている。
  神のような教師があるだろうか。
  誰が神の道を見張り
  「あなたのすることは悪い」と言えようか。
  世の人は神の御業に賛美の歌をうたう。
  あなたも心して、ほめたたえよ。
  人は皆、御業を仰ぎ
  はるかかなたから望み見ている。
  まことに神は偉大、神を知ることはできず
  その齢を数えることもできない。
  神は水滴を御もとに集め
  霧のような雨を降らす。
  雲は雨となって滴り
  多くの人の上に降り注ぐ。
  どのように雨雲が広がり
  神の仮庵が雷鳴をとどろかせるかを
    悟りうる者があろうか。
  神はその上に光を放ち
  海の根を覆われる。
  それによって諸国の民を治め
  豊かに食べ物を与えられる。
  神は御手に稲妻の光をまとい
  的を定め、それに指令し
  御自分の思いを表される。
  悪に対する激しい怒りを。

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歴代誌上 5. 1-41

  ルベン族の子孫
  イスラエルの長男ルベンの子孫について。ルベンは長男であったが、父の寝床を汚したので、長子の権利を同じイスラエルの子ヨセフの子孫に譲らねばならなかった。そのため彼は長男として登録されてはいない。彼の兄弟の中で最も勢力があったのはユダで、指導者もその子孫から出たが、長子の権利を得たのはヨセフである。
  イスラエルの長男ルベンの子は、ハノク、パル、ヘツロン、カルミ。
  ヨエルの子孫は、息子がシェマヤ、孫がゴグ、更にシムイ、ミカ、レアヤ、バアル、ベエラと続く。このベエラはアッシリアの王ティグラト・ピレセルによって捕囚として連れ去られた。彼はルベン族の首長であった。彼の兄弟は、その氏族の系図の登録によると、頭のエイエル、それにゼカルヤ、ベラである。ベラは、父がアザズ、祖父がシェマ、更にヨエルとさかのぼる。ベラはアロエルに住んだが、ネボとバアル・メオンにまで、また東はユーフラテス川から荒れ野の入り口に及ぶ地にも住んだ。彼らの家畜がギレアドの地で増えたからである。また彼らはサウルの時代にハガル人と戦い、その手で彼らを倒し、ギレアドの東の全域に天幕を張って住んだ。

  ガドの子孫
  ガドの子孫は、ルベンの子孫に向かい合ってバシャンの地に住んで、サルカにまで及んだ。その頭ヨエル、次のシャファム、更にヤナイとシャファトがバシャンにいた。その家系に属する兄弟はミカエル、メシュラム、シェバ、ヨライ、ヤカン、ジア、エベルの七人である。これらはアビハイルの子孫である。このアビハイルの父はフリ、祖父はヤロア、更にギレアド、ミカエル、エシシャイ、ヤフド、ブズとさかのぼる。グニの孫でアブディエルの子であるアヒ、彼がその家系の長であった。彼らはギレアド、バシャン、その周辺の村落、更にシャロンの牧草地全域の隅々にまで住んでいた。彼らは皆、ユダの王ヨタムとイスラエルの王ヤロブアムの時代に登録された。

  ルベンとガドの子孫およびマナセの半部族は、盾と剣を取る者、弓を引く者、戦いに熟練した兵士から成る四万四千七百六十人の戦闘員を持っていた。彼らはハガル人、エトル、ナフィシュ、ノダブの諸族と戦った。彼らは戦いに際して神に助けを求め、その信頼のゆえに祈りは聞き入れられて敵に打ち勝つ助けを得、ハガル人とそのすべての援軍が彼らの手に渡された。奪った家畜は、らくだ五万頭、羊二十五万匹、ろば二千頭、人は十万人に及び、多くの敵に傷を負わせ、倒した。彼らが神によって戦ったからである。彼らは捕囚として連れ去られるまで、ハガル人に代わってその地に住んだ。

  ヨルダン川東のマナセの子孫
  マナセの半部族に属する者は、バシャンからバアル・ヘルモン、セニル、ヘルモン山に至る地に住んだ。その数は多かった。その家系の長は次のとおりである。エフェル、イシュイ、エリエル、アズリエル、イルメヤ、ホダウヤ、ヤフディエル。彼らは名高い勇士で、その家系の長であった。しかし、彼らは先祖の神に背き、神が昔滅ぼされたその地の民の神々を慕って姦淫した。イスラエルの神は、アッシリアの王プル、すなわちティグラト・ピレセルの心を動かされたので、彼はルベンの部族、ガドの部族、マナセの半部族を捕囚として連れ去り、ヘラ、ハボル、ハラ、ゴザン川に彼らを引いて行った。彼らは今日もなおそこにいる。

  レビの子孫----大祭司の系譜
  レビの子はゲルション、ケハト、メラリ。ケハトの子はアムラム、イツハル、ヘブロン、ウジェル。アムラムの子はアロン、モーセ、ミリアム。アロンの子は、ナダブ、アビフ、エルアザル、イタマル。
  エルアザルにはピネハスが生まれ、ピネハスにはアビシュアが生まれ、アビシュアにはブキが生まれ、ブキにはウジが生まれ、ウジにはゼラフヤが生まれ、ゼラフヤにはメラヨトが生まれ、メラヨトにはアマルヤが生まれ、アマルヤにはアヒトブが生まれ、アヒトブにはツァドクが生まれ、ツァドクにはアヒマアツが生まれ、アヒマアツにはアザルヤが生まれ、アザルヤにはヨハナンが生まれ、ヨハナンにはアザルヤが生まれた。ソロモンがエルサレムに建てた神殿で祭司として仕えたのは、このアザルヤである。アザルヤにはアマルヤが生まれ、アマルヤにはアヒトブが生まれ、アヒトブにはツァドクが生まれ、ツァドクにはシャルムが生まれ、シャルムにはヒルキヤが生まれ、ヒルキヤにはアザルヤが生まれ、アザルヤにはセラヤが生まれ、セラヤにはヨツァダクが生まれた。主がネブカドネツァルの手によってユダとエルサレムの人々を捕囚として連れ去らせたとき、このヨツァダクも引いて行かれた。

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イザヤ書 30. 15-17

  まことに、イスラエルの聖なる方
  わが主なる神は、こう言われた。
  「お前たちは、立ち帰って
  静かにしているならば救われる。
  安らかに信頼していることにこそ力がある」と。
  しかし、お前たちはそれを望まなかった。
  お前たちは言った。
  「そうしてはいられない、馬に乗って逃げよう」と。
  それゆえ、お前たちは逃げなければならない。
  また「速い馬に乗ろう」と言ったゆえに
  あなたたちを追う者は速いであろう。
  一人の威嚇によって、千人はもろともに逃れ、
  五人の威嚇によって、お前たちは逃れる。
  残る者があっても、山頂の旗竿のように
  丘の上の旗のようになる。

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エゼキエル書 44. 10-12

  レビ人は、イスラエルが迷ったとき、わたしから離れて偶像に従い迷ったので、その罪を負わなければならない。彼らはわたしの聖所で奉仕するが、神殿のそれぞれの門に詰めて神殿の雑務を行う。彼らは、民のために焼き尽くす献げ物の動物を屠り、民の前で神に仕える。彼らは民の偶像礼拝を助け、イスラエルの家のつまずきとし、罪を犯せたからである。

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ローマの信徒への手紙 1. 16-17 福音の力

  わたしは福音を恥としない。福音はユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

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April 08, 2004

ダニエル書 5. 13-16

  そこで、ダニエルが王の前に召し出された。王は彼に言った。「父王がユダから捕らえ帰ったユダヤ人の捕囚の一人、ダニエルというのはお前か。聞くところによると、お前は神々の霊を宿していて、すばらしい才能と特別な知恵を持っているそうだ。賢者や祈祷師を連れて来させてこの文字を読ませ、解釈させようとしたのだが、彼らにはそれができなかった。お前はいろいろと解釈をしたり難問を解いたりする力を持つと聞いた。もしこの文字を読み、その意味を説明してくれたなら、お前に紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけて、王国を治める者のうち第三の位を与えよう。」

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詩篇 33. 12-15

  いかに幸いなことか
  主を神とする国
  主が嗣業として選ばれた民は。
  主は天から見渡し
  人の子らをひとりひとり御覧になり
  御座を置かれたところから
    地に住むすべての人に目を留められる。
  人の心をすべて造られた主は
  彼らの業をことごとく見分けられる。

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マルコによる福音書 9. 38-41 逆らわない者は味方

  ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は味方なのである。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」

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April 07, 2004

ペトロの手紙 4. 1-11 神の恵みの善い管理者

  キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶ったものなのです。それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。かつてあなたがたは、異邦人の好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで十分です。あの者たちは、もはやあなたがたがそのようなひどい乱行に加わらなくなったので、不審に思い、そしるのです。彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。
  万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕する人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力が、世々限りなく神にありますように、アーメン。

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April 06, 2004

ルカによる福音書 17. 20-37 神の国が来る

  ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるものだ。」それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。一人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」

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ヨハネによる福音書 7. 10-24 仮庵祭でのイエス

  しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるように上って行かれた。祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、「あの男はどこにいるのか」と言っていた。群集の間では、イエスのことがいろいろささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。
  祭りも既に半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って、教え始められた。ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。ところが、あなたたちはだれもその律法を守らない。なぜ、わたしを殺そうとするのか。」群集が答えた。「あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうというのか。」イエスは答えて言われた。「わたしが一つの業を行ったというので、あなたたちは皆驚いている。しかし、モーセはあなたたちに割礼を命じた。----もっとも、これはモーセからではなく、族長たちから始まったのだが---- だから、あなたたちは安息日にも割礼を施している。モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。」

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April 05, 2004

ネヘミヤ記 5. 1-19 民の不正の解消

  民とその妻たちから、同胞のユダの人々に対して大きな訴えの叫びがあがった。ある者は言った。「わたしたちには多くの息子や娘がいる。食べて生き延びるために穀物がほしい。」またある者は言った。「この飢饉のときに穀物を得るには畑も、ぶどう園も、家も抵当に入れなければならない。」またある者は言った。「王が税をかけるので、畑もぶどう園も担保にして金を借りなければならない。同胞もわたしたちも同じ人間だ。彼らに子供があれば、わたしたちにも子供がある。だが、わたしたちは息子や娘を手放して奴隷にしなければならない。ある娘はもう奴隷になっている。どうすることもできない。畑もぶどう園はすでにもう他人のものだ。」
  この嘆きと訴えを聞いて、わたしは大いに憤りを覚え、居たたまれなくなって貴族と役人をこう非難した。「あなたたちは同胞に重荷を負わせているではないか。」わたしはまた大きな集会を召集して、行った。「わたしたちは異邦人に売られていた同胞のユダの人々を、できるかぎり買い戻した。それなのに、あなたたちはその同胞を売ろうというのか。彼らはわたしたち自身に売られることになるのに。」彼らは黙りこみ、何も言えなかった。わたしは言った。「あなたたちの行いはよくない。敵である異邦人に辱められないために、神を畏れて生きるはずではないのか。わたしも、わたしの兄弟も部下も金や穀物を貸している。わたしたちはその負債を帳消しにする。あなたたちも今日あなたたちに負債のある者に返しなさい。畑も、ぶどう園も、オリーブ園も、家も、利子も、穀物も、ぶどう酒も、油も。」彼らはそれに答えた。「返します。何も要求しません。お言葉どおりにします。」わたしはこの言葉どおりに行うよう誓わせるために祭司たちを呼んだ。わたしはまた衣の折り重ねたところを振るいながら言った。「この約束を守らない者はだれでも、このように神によってその家と財産から離され、振るい落とされるように。このように振るい落とされて無一物となるように。」会衆は皆で、「アーメン」と答え、神を賛美した。民はその言葉どおりに行った。

  アルタクセルクセス王の第二十年に、わたしはユダの地の長官に任命されたが、その日から第三十二年までの十二年間、わたしも兄弟たちも長官の給与を一度も受け取らなかった。わたしの前任者は民に重荷を負わせ、パンとぶどう酒に加えて、銀四十シュケルを徴収した。彼らの配下の者も民を圧迫した。しかし、わたしは神を畏れ、そのようなことを決して行わなかった。わたしはこの城壁の工事にも力を注ぎ、土地を買収したりはしなかった。配下の者も皆、工事のためにここに集まっていた。ユダの人々と役人合わせて百五十人、それに周りの国々から来た人々も、わたしの食卓に着いた。毎日用意されたものは、牛一頭、特選の羊六匹、鳥で、わたしのために用意され、十日ごとにはあらゆる種類のぶどう酒が十分用意された。だが、このためにも長官の手当てを要求しなかった。再建作業がこの民にとって重荷となっていたからである。
  神よ、わたしがこの民に尽くしたすべてのことを快く留めてください。

投稿者 Blue Wind : 01:54 AM | コメント (0)

箴言 26. 1-28

  夏の雪、刈り入れ時の雨のように
  愚か者に名誉はふさわしくない。
  鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去る者。
  理由のない呪いが襲うことはない。
  馬に鞭、ろばにくつわ
  愚か者の背には杖。
  愚か者にはその無知にふさわしい答えをするな
  あなたが彼に似た者とならぬために。
  愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ。
  彼が自分を賢者だと思い込まぬために。
  愚か者に物事を託して送る者は
  足を切られ、不法を呑み込まされる。
  愚か者の口にすることわざは
  歩けない人の弱い足。
  愚か者に名誉を与えるのは
  石投げ紐に石を袋ごとつがえるようなものだ。
  愚か者の口にすることわざは
  酔っ払いの手に刺さるとげ。
  愚か者を雇い、通りすがりの人を雇うのは
  射手が何でもかまわず射抜くようなものだ。
  犬が自分の吐いたものに戻るように
  愚か者は自分の愚かさを繰り返す。
  自分を賢者だと思い込んでいる者を見たか。
  彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる。

  怠け者は言う
  「道に獅子が、広場に雄獅子が」と。
  扉はちょうつがいに乗って回転する。
  怠け者は寝床の上で寝返りを打つ。
  怠け者は鉢に手を突っ込むが
  口にその手を返すことをおっくうがる。
  怠け者は自分を賢者だと思い込む
  聡明な答えのできる七人にもまさって。

  通行人が自分に関係のない争いに興奮するのは
  犬の耳をつかむようなものだ。
  分別を失った者が、火矢を、死の矢を射る。
  友人を欺く者はそれに等しい。
  しかも、「ふざけただけではないか」と言う。

  木がなければ火は消える。
  陰口を言う者が消えればいさかいは鎮まる。
  炎には炭、火には木
  争いを燃え上がらせるのはいさかい好きな者。
  陰口は食べ物のように呑み込まれ
  腹の隅々に下って行く。
  唇は燃えていても心に悪意を抱いている者は
  混じりもののある銀で覆った土器のよう。
  唇をよそおっていても憎悪を抱いている者は
  腹に欺きを蔵している。
  上品な声を出すからといって信用するな
  心には七つの忌むべきことを持っている。
  憎しみはごまかし隠しても
  その悪は会衆の中で露見する。
  穴を掘る者は自分がそこに落ち
  石を転がせばその石に返ってくる。
  うそをつく舌は憎んで人を砕き
  滑らかな舌はつまずきを作る。

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April 04, 2004

ペトロの手紙 一 3. 8-17

  終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
  「命を愛し、
  幸せな日々を過ごしたい人は、
  舌を制して、悪を言わず、
  唇を閉じて、偽りを語らず、
  悪から遠ざかり、善を行い、
  平和を願って、これを追い求めよ。
  主の目は正しい者に注がれ、
  主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
  主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
  もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。神の御心によるのであれば、善を行って苦しむほうが悪を行って苦しむよりはよい。

投稿者 Blue Wind : 12:07 AM | コメント (0)

April 03, 2004

ヘブライ人への手紙 13. 22-25

  兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください、実際、わたしは手短に書いたのですから。わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、一緒にわたしはあなたがたに会えるでしょう。
  あなたがたのすべての指導者たち、またすべての聖なる者たちによろしく。イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています。恵みがあなたがた一同と共にあるように。

投稿者 Blue Wind : 11:58 PM | コメント (0)

April 02, 2004

ルカによる福音書 7. 23-35

「わたしにつまずかない人は幸いである。」ヨハネの使いが去ってから、イエスは群集に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。
  『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
  あなたの前に道を準備させよう』 
と書いてあるのは、この人のことだ。言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。
  「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子どもたちに似ている。
  『笛を吹いたのに、
  踊ってくれなかった。
  葬式の歌をうたったのに、
  泣いてくれなかった。』 
洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」

投稿者 Blue Wind : 05:30 PM | コメント (0)

ローマの信徒への手紙 1. 1-15

  挨拶
  キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、---- この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫に生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。---- 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

  ローマ訪問の願い
  まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。わたしは、御子の福音を述べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、”霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何かの実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。 

投稿者 Blue Wind : 05:15 PM | コメント (0)

ルカによる福音書 2. 39-52

  ナザレに帰る
  親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

  神殿での少年イエス
  さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

投稿者 Blue Wind : 05:00 PM | コメント (0)

エゼキエル書 27. 27-36 28. 1-10

27. 27-36
「お前の富、商品、物品、船乗り、水夫、水漏れを繕う者、物品を交換する者、船上のすべての戦士、すべての乗組員たちは、お前が滅びる日に海の真ん中に沈む。
  水夫たちの叫び声で、町を取りまく地は震える。
  櫂を漕ぐ者は皆、その船から降り
  船乗りと水夫たちは皆、陸に立ち
  お前のために声をあげて、いたく泣き叫ぶ。
  彼らは頭に塵をかぶり、灰の中で転げ回る。
  彼らはお前のために頭をそり
  粗布を身にまとい
  お前のために心を痛めて泣き
  痛ましい悲しみの声をあげる。
  また嘆きの声をあげて、哀歌をうたい
  お前のために挽歌をうたう。
  誰が海の真ん中で
  ティルスと同じようになっただろうか。
  お前は海を越えて商品を輸出し
  多くの国々の民を飽き足らせ
  豊かな国と産物で、地上の王たちを富ませた。
  今、お前は海で難破し、水中深く沈んだ。
  お前の積荷とすべての乗組員は沈んだ。
  海沿いの国々の住民は皆、お前のことで驚き
  王たちは恐れおののき、顔はゆがんでいた。
  諸国の民の商人は
  口笛を吹いて、お前を嘲る。
  お前は人々に恐怖を引き起こし
  とこしえに消えうせる。」  

28. 1-10
主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、ティルスの君主に向かって言いなさい。主なる神はこう言われる。お前の心は高慢になり、そして言った。『わたしは神だ。わたしは海の真ん中にある神々の住みかに住まう』と。しかし、お前は人であって神ではない。ただ、自分の心が神のようだ、と思い込んでいるだけだ。お前はダニエルより賢く、いかなる奥義もお前には隠されていない。お前は知恵と悟りによって富を積み、金銀を宝庫に蓄えた。お前は取り引きに知恵を大いに働かせて富を増し加え、お前の心は富のゆえに高慢になった。
  それゆえ、主なる神はこう言われる。お前は自分の心が神の心のようだと思い込んでいる。それゆえ、わたしはお前に対して諸国の中でも最も暴虐な外国人を立ち向かわせる。彼らはお前の知恵の誇りに向かって剣を抜き、お前の栄華を汚し、お前を陰府に突き落とす。お前は海の真ん中で切り倒されて死ぬ。お前は自分を殺す者の前でもなお、『わたしは神だ』と言い張るのか。お前は人であって、神ではなく、切り倒す者の手にある。お前は割礼のない者として、外国人の手にかかって死ぬ。まことにわたしがこのことを語った」と主なる神は言われる。

投稿者 Blue Wind : 04:47 PM | コメント (0)

April 01, 2004

ヨハネによる福音書 19. 28-30 イエスの死

  この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

投稿者 Blue Wind : 03:57 AM | コメント (0)

民数記 32. 1-42 ルベン族とガド族の土地

  ルベンとガドの人々はおびただしい数の家畜を持っていた。彼らがヤゼルとギレアドの地方を見渡すと、そこは家畜を飼うのに適した所であったので、モーセと祭司のエルアザルおよび共同体の指導者のもとに来て、言った。
  「アタロト、ディボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシュボン、エルアレ、ゼバム、ネボ、ベオンなど、主がイスラエルの共同体の前で滅ぼしてくださった土地は、家畜に適した土地であり、僕どもは家畜を持っております。もし、わたしたちがあなたの恵みを得ますなら、この土地を所有地として、僕どもにお与えください。わたしたちにヨルダン川を渡らせないでください。」
  モーセはガドとルベンの人々に言った。
  「同胞が戦いに出ようとするのに、あなたたちは、ここにとどまるつもりなのか。なぜ、主が与えてくださる土地に渡って行こうとするイスラエルの人々の心を挫くのか。あなたたちの先祖も、わたしがカデシュ・バルネアから土地を見に遣わしたとき、同じことをした。彼らはエシュコルの谷まで上って行って、土地を見たが、イスラエルの人々の心を挫いて、主が与えてくださる土地に行かせまいとした。その日、主は激しく憤り、誓って言われた。『エジプトから出て来た者のうち二十歳以上の者は、一人として、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地に入らせない。わたしに従いとおさなかったからである。ただし、ケナズ人エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。彼らは主に従いとおしたからである。』主はイスラエルに対して激しく怒り、四十年にわたり彼らを荒れ野にさまよわせられ、主が悪と見なされることを行った世代の者はことごとく死に絶えた。それなのに、罪人であるあなたたちが父に代わって立ち上がり、またもや主の激しい怒りをイスラエルの上に招こうとする。もし、あなたたちが主に背くならば、主はまたもや、この民を荒れ野に置き去りになさり、あなたたちがこの民全体を滅ぼすことになるであろう。」
  彼らはモーセのもとに進み出て言った。
  「わたしたちはまずここに、群れのために羊の石囲いを作り、子供たちのために町を作ります。しかしわたしたちは、武装してイスラエルの人々の先頭に立って進み、彼らをその所に導いて行きます。土地の住民がいますので、子供たちには城壁のある町に住まわせねばなりません。わたしたちは、イスラエルの人々がそれぞれの嗣業の土地を受け継ぐまで、家に決して戻りませんが、ヨルダン川の向こうで、彼らと共に土地を受け継ぐつもりはありません。わたしたちの嗣業の土地はヨルダン川からこちら側、東側にあるからです。」
  モーセは彼らに言った。
  「もし、あなたたちがこのことを行い、主の御前に戦いのために武装し、武装をした者が皆、主の御前にヨルダン川を渡って行き、主が敵を追い払ってくださり、その土地が主の御前に征服された後、あなたたちが戻るのならば、あなたたちは主とイスラエルに対する責任を解かれ、この土地は主の御前にあなたたちの所有地となる。しかし、そのとおりにしないなら、あなたたちは主に対して罪を犯すのであり、その罪は身に及ぶことを知るがよい。子供たちのために町を建て、羊のために石囲いを作りなさい。しかし、あなたたちが口に出したことは実行しなさい。」
  ガドとルベンの人々はモーセに言った。
  「僕どもはわが主の命じられたとおりにします。子供たち、妻、羊、家畜はすべて、ギレアドの町々にとどまりますが、戦いのために武装した僕どもは皆、わが主の命令に従い、主の御前に渡って行きます。」
  モーセは、彼らのことについて、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュアおよびイスラエルの人々の諸部族の家長たちに命じた。モーセは彼らに言った。
  「もし、ガドとルベンの人々が、あなたたちと共に、皆主の御前に戦いのために武装してヨルダン川を渡って行き、その土地があなたたちの前に征服されるなら、あなたたちはギレアドの土地を彼らの所有地として与えなさい。しかし、彼らが武装してあなたたちと共に渡って行かないならば、彼らはカナンの土地であなたたちの土地を持たねばならない。」
  ガドとルベンの人々は答えて言った。
  「主が僕どもに語られたとおりにします。わたしたちは主の御前に武装して、カナンの土地に渡って行きますから、わたしたちの嗣業の所有地は、ヨルダン川のこちら側になりましょう。」
  モーセは、ガドとルベンの人々、ヨセフの子であるマナセの半部族に、アモリ人の王シホンの王国、バシャンの王オグの王国、すなわちその領内にある土地と町々、およびその周辺の町々を与えた。ガドの人々はこうして、ディボン、アタロト、アロエル、アトロト・ショファン、ヤゼル、ヨグボハ、ベト・ニムラ、ベト・ハランなどの城壁のある町々を建て、羊のために石囲いを作った。ルベンの人々は、ヘシュボン、エルアレ、キルヤタイム、ネボ、および後に地名を改めたバアル・メオン、シブマを建てた。彼らは、建てた町々に新しい名を付けた。
  マナセの子マキルの子らはギレアドに行き、そこにいたアモリ人を攻め、これを追い出した。モーセはギレアドをマナセの子マキルに与え、マキルはそこに住んだ。マナセの子ヤイルも行って、アモリ人の村々を占領し、それをハボト・ヤイルと名付けた。ノバも行って、ケナトおよびその周辺の村落を占領し、自分の名にちなんでノバと名付けた。

投稿者 Blue Wind : 03:48 AM | コメント (0)