やっと普通にガソリンが入れられるようになったせいか、いつもよりも道路も店も人が多い。うれしい。
普通だったら、道路が混んでいたりするとイライラするが、大通りですら皆、制限速度以下で走っているし、わたしも同じ気持ちなので(つまりエコドライブ)、のんびり〜♪
大店舗型のショッピングセンターを除いて、今はどこも普通に営業している。あちこち寄り道しながら、ホコリだらけのクルマを洗車し、平日なのにまるで休日のようだ。
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自転車を使ったのは、教会までの一度きり。大通りを走ったので、信号ごとに止まり、勉強会に遅刻。気分はすっかりサマリアの女で、お祈りが終わったとたん、教会で水を飲む。放射能のことが頭をよぎったが、35分間寒いのを我慢して自転車をこぎ、喉は乾ききっている。寒さで耳が痛くなった。
日曜日、いつもぎっしりクルマで埋まっているはずの教会の駐車場も余裕。
日曜日は、ミサ後があわただしい。本来だったら叔母の法事で出られないはずだったが、今回のことで法事が中止になり、ほとんど手ぶらで教会へ行った。イースターのための歌の練習と手話講座。楽譜もテキストも忘れている。
手話講座は、なかば無理やり参加させられているのだが、いつもメンバーが違う。先生は信者ではないので、今までは普通のサークルのノリでやっていたらしいが、突然、先生がイグナチオ教会の手話講座に行き、なぜか燃えている。10年以上続けていても皆があまり上達しないので、悩んだのがきっかけか?
先生の目標は、ミサの手話通訳を皆がやれるくらいまで。たしかに、先生が勉強会に参加したくても、誰も手話が話せないので、聾唖者は参加できないと言って嘆いている。
先生が、アメリカ人の神父さんに挨拶。例のごとく流暢な日本語で話しているのに、先生には神父さんの言葉はまるで通じない。耳で聞く分には、つまりわたしたちにはわかるけど、先生の場合、口の動きを見ても何を言っているのまるでわからないみたいだった。
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近頃、乳幼児を見かけなくなった。疎開しているらしい。春休みだから帰省している子たちも多い。
娘は、そんなことはおかまいなしに、新しい自転車に乗って、デッサンへ通っている。放射能なんかには興味はないらしい。強い・・・
放射能にも津波にも甲子園にも興味がなく、地震にも慣れたらしい。ほかに夢中になれるものがあるって、強い・・・
というか、今回は、一応はわたしたちは被災者の末端で、しかもいまだに放射能の被曝の危険に晒されている。でも、30年後に癌が発症したとして、必ずしも放射能の被曝が原因かどうかなんてわからない。細胞分裂が活発な年じゃないし・・・ 今さら心配したって意味がない。第一、その年まで生きているかどうかもわからないのに。
それでも、娘が赤ちゃんだったら、間違いなくわたしも疎開すると思う。赤ちゃんじゃないから、受験の心配か?
それにしても用事があって家電ショップへ行ったら、薄暗くて、まるで倉庫のようだった。それでも開いているだけでもホッとした。
(ルカ 24. 50-53)
自転車を買った。
爽快。
なのに、今日は雨。
そんなものかも・・・
自転車に乗って、あちこちに行きたい。
なのに、放射線を浴びる?
100キロ以上、離れているから、大丈夫だと思うけど。
ほうれん草が破棄?
ポパイだったらどうするのかと、ちらっと思った。
友達からメール。
こちらは大丈夫かと。
大丈夫だと思って生きているのだけど・・・
もしかして、被災者なのか?
ライフラインが止まっただけで、ほとんど被害はないです。
それなのに、茨城県は被災地なので、計画停電はないらしい。
何か必要なものはないかと言われても、ガソリンくらいしか思いつかない。
節電中なので、鍋と焼肉は罪悪感。
でも、スーパーには並んでいる。
誘惑に負けて、今日はしゃぶしゃぶ。
もっと普通に暮らしたい。
普通でしょ?
普通だ。
水が出るから喜んで、電気がつくからお鍋を囲む。
晴れたら、自転車に乗って買い物に行こう。
重い荷物は売っていない。
トイレットペーパーも売っていない。
牛乳も売り切れ。
自転車は、爽快だ。
(ルカ 5. 17-19)
暗闇のもどりし目には黒波に浮かびし車おもちゃのごとく
災害は積み上げられてあくる日は不確かなままパンは無かりし
2時間で解消せしは渋滞のガソリンスタンド動かぬ車
無造作に積み上げられたナプキンが援助物資の机に並ぶ
月明かり皓々と射す暗闇は家の中より星映したる
ぐらぐらといつまでも揺れくらくらと立ちくらみする余震はつづく
(使徒 9. 13-16)
どこも同じだと思うけど、ライフラインが復旧しないうちから仕事が始まる。いつから診療できるようになるのか・・・
土曜日、家にいても電気も水道も止まっていたので職場へ行った。大きなビルなので水道も出るし、電気も通っている。ざっと観たところ、外観による破損もないため、計画停電時間以外なら診療ができるということになった。
そこに薬剤師が、状況を会社に報告するために来た。電車が止まっているのでタクシーをチャーターしたらしい。地震の被害よりも、職員が出勤できないのが悩みらしい。彼女自身もとうとうつくば市の水道が復旧したのを受けて、ビジネスホテルを利用して出勤。案の定、午前中は忙しい。
わたしは、確定申告の書類を締切1時間前に提出。提出に行った市役所の中は人が多く、被災状況を調査するためか、申告相談をしているためか、あわただしい雰囲気。
診療所のほうにも福島から避難してきた人たちの来院も多く、中には本人が高齢で来れないので、代わりの人が薬だけもらいに来るという人もいる。薬の名前だけで本人もいないし、普通なら断るのだが、とりあえず少なめに処方して向こうで量を確認してもらうしかない。
そういうこともあって、避難所に差し入れを持って、状況を見に行った。避難所となっている国際会議場は広く、子どもたちが玄関で遊んでいたり、医師が健康相談だけしていたり、個人物資の受け付けもしているので、案外、明るいムードだった。浪江町に友達がいるので念のため名簿で探したが、ほとんどがいわき市の人たちだった。受け入れは、全部で205人。公園の中の公民館にも90人ほどいるらしい。
わたしが行ったとき、DV被害で家から逃げてきたと言っている精神病の兄妹が避難所にいて、職員が困って精神科に連絡していた。こういう時期なのに、往診に来てくれるわけがないので、しばらくわたしが話を聞くことになったが、別室に入れられたとたんに兄が逃げ出し、妹がわめきだす。態度が豹変し、職員が取り押さえようとするが暴れて、無関係の人にいちゃもんをつけて殴ったので警察に連絡。
「殴ってやる」とか「殺してやる」とか兄妹で叫んでいるので、無事に警察に保護してもらった。警察が到着するまで、20メーターくらい離れたところで背中を向けて付き添って(?)いたが、パトカーに乗るとおとなしくなり、罵詈雑言とともに去って行った。
クリニックに戻ると、今度は天皇が京都に避難したから、自分も今から京都へ行くと言う患者さん。彼女の話だと名古屋まで危険だと言う。うちでは内科の処方をしているだけだが、精神科の患者さんでもある。あーあ。
薬剤師が怒っているくらいはまだましだ。何も、今の時期に来なくてもいい花粉症の患者さんも多い。薬が無くなったら不安だから来る。家が半壊したといって泣いている患者さんもいる。
こういう時期なのに健診も多い。検査会社も被災しているので、血液検査の結果がいる出るかわからない。問屋さんの職員も出勤できない人も多いらしいし、製薬会社が被災していて、薬が手元がない場合にはあちこちで在庫を探さなければならない。
レントゲンが不調なので修理に来てもらったら、結局、現像液と固定液が地震のせいで混ざり合っているのが原因と言われた。ちなみに、同じようなトラブルがあちこちで発生していて、水戸へ行ったら屋根瓦が目の前に落ちてきたとか。そろそろガソリンが無くなるので、そのうち修理には行けなくなるとも言っていた。
皆、元気なのだけど、かなり疲れている。
明日のことは、明日考えよう。修学旅行先の韓国にいる娘から電話。先生が全員に電話させているらしい。北のほうはかなり被害もあったようなので、明日の帰国を踏まえてのことなのだろう。いまだに常磐線は動いていないし、TXの本数も少ない。帰宅困難な生徒も多い。
(ルカ 10. 38-42)
やっと電気が使えるようになった。まだ、断水しているけど。
震度6強?
地震が来て以来、電気が止まり、電話は通じないし、テレビどころか、懐中電灯で灯りをとり、月明かりがある分、家の外のほうが明るいくらいだ。
幸い、最初の地震が来た時には日中だったのでパニックにはならなかったけど、いざとなったら3台あるはずのラジオのうち2台が旧すぎて壊れていて、残りも、電池を取り替えて、ふたを外して、電池をくるくる回したら、何とか使えるようになった。電気や電話が使えないので、かろうじて真っ暗な中でラジオを聴きながら寝た。
懐中電灯も、ずっと点けていると、2時間くらいで消えてしまう。電池があっという間になくなっていく。水道も使えないし、かろうじて数件開いていたコンビニに人が群がり、カップ麺とチーズとお菓子と水と缶コーヒーなどを1時間以上並んで買った。
車の中でテレビを観ていたが、ガソリンが無くなると困るので、ラジオから得る情報だけが頼り。正直、ライフラインがいつ復旧するかが一番の関心事だった。
***
11日には開いていたコンビニも12日にはシャッターが降りており、とりあえず震災のときには車でどこかへ行けば普通に開いているところにたどり着くのではないかと思って、昼間、家を出た。ところが、渋滞。
電気が止まっているのに、ガソリンスタンドが開いていたので、何時間も皆並んでいるのだ。かなり動揺したとき、中華料理屋の前でジュースとお弁当の販売をしているのが目に入ったので、お昼はそれで済ませ、夕飯は明るいうちにカップ麺とサラダ。
とうとう2日目の夜が来て、今日も真っ暗かと諦めていたら、10時半頃、電気が点いた。
そのとたん、テレビを点けたら、恐ろしいニュース。こんなに酷いことになっているとは知らなかった。津波のこともニュースでは知っていたが、ほとんで情報がないに等しい生活。ライフラインの復旧情報とか、避難所の情報とか、地元のラジオはそういうことがメイン。
携帯も繋がるようにはなったが、充電が切れたら終わり。なんとか娘の高校に、修学旅行がどうなるのか問い合わせたら、いまだにライフラインも復旧していないのに、スクールバスが出るのでそれに乗ってくれと言う返事。13日から班に分かれて順次出発する。電車がストップしているのに、学校に残っていた子たちはどうなったのか、あるいは、どうするのか?
気になったが、そこまでは、先生も忙しそうで訊けなかった。
(ルカ 13. 1-5)
神父さんの話は、ときどきよくわからないことがある。このところ勉強会を欠席し、品川の幼稚園へ行っていると誰かが言っていたので、今日の話はちんぷんかんぷんなところから始まった。
要するに、品川と航空券が買えないということとどういうつながりがあるのかと思ったら、幼稚園ではなく、不法就労で捕まった信者さんに面会しに入管へ行ったというのが正解だった。
--- 大洗の人はこちらへ来たばかりで帰りの切符が買えない。
・・・・・・・?
大洗に修道院や教会があったかな、と考えたが、大洗というのは人の名前かもしれないとか、神父さんでも航空券が買えないということがあるのだろうか、とか、いろいろ迷いながら聴いていた。訊くと、答えてくれるのだが、次第に、フィリピンとかインドネシアという言葉が出てきたので、なんとなくわかった。
大洗に住んでいたフィリピン人の信者が不法就労で捕まり、品川の入管いる。しかも、彼は来たばかりでお金がないから、強制送還で帰国したくても切符も買えないし、知り合いもいない。10年いれば難民と認定してくれると言っていたが、10年も何もしないで収容されて暮らして行くのだろうか?
この前、日本で生まれた子が、父親だけが本国に強制送還となり話題になっていたが、さっき法務省のホームページを確認したら、そういう場合には特別に在留許可が認められるようになっていた。子どもには罪がないのに、気の毒な話である。
が、しかし、観光ビザか何かで入国し、そのまま就労している人に対しては、日本は厳しい。わたしとしても、不法入国というのは許されないのではないかと思い、なんとなく不愉快だった。ましてや大人だし、不法だと知りながら来たわけだから、自業自得ではないだろうか?
話は変わるが、そういうときに限って、普段は手ぶらで行くくせに、お茶菓子用にフィリピン産のドライマンゴーを偶然持って行っていた。世界一美味しいと書かれていたので買ってみたのだが、後味がすっきりしていて美味しい。最初は美味しくないと思ってがっかりしたが、なんとなくまた食べたくなる。
こんなに美味しいマンゴーがある国なのに、どうしてフィリピン人は1000万人以上の人たちが海外へ移住してしまうのだろう?
それがすでに国民生活になっているのかもしれないが、働き盛りの人たちがそんなに海外へ行ってしまっていたら、国内の経済はめちゃくちゃになるよね。そんなことはわかっていながら移住したくなるのは、海外で働いたら年収が何倍にもなるからだ。でも、悪循環じゃない?
それにしても、強制送還になることがわかっていて、困ると教会を頼るというのはどうなんだろう。そうやって海外へ出て働き、本国の家族に仕送りをするというのが普通の生活なのだろうか。政府が悪いから、こういうことになっているのか、そういう国民性なのか、わたしには理解できない。
とは思いつつ、家でフィリピンまでの片道航空券の最安値を調べる。一つわかったのは、往復航空券のほうが片道よりも安いということ。ヘンな話だけど、これに違反すると、正規の航空券との差額を請求されるらしい。それでも中国のエアラインを使えば、かなり安くマニラまで行けるので、そのページを印刷し、お金を持って再び教会へ。
こちらはバカンスの計画をしているのに、このままだと永久に入管に留まっている人のことを考えると心苦しい。それならば、こちらの予算を削って・・・
ついでに、ドライマンゴーの残りの袋を渡して来たのだが、早く帰ってくれと言わんばかりだったかと、鬱々する。
でも、それが本音なのかもしれない。
普通の日本人なら、1000万人以上の人が国を捨てて、移住してしまうなどということは考えないだろう。それが出来るくらいならだれも苦労しない。日本だって、戦後の非常に貧乏なところから頑張ってきたのだし、今はほかのアジアの国も経済的に頑張っているし、フィリピンだってこんなに移住者がいなければ、もっと裕福なのではないかと思ってしまう。
考え方の違いなのかもしれないけど、フィリピンと言えば、麻薬とか売春などのイメージが強くて、フィリピンのビーチは美しいから一度行ってみたいとは思っているが、口コミサイトの投稿写真を見ると、どうやって見ても白人男性とフィリピン女性のカップルの写真ばかりで、なんとなく胡散臭い。若王子さんの事件とか、現地妻とか、本当に印象が悪い。なんとなくあの事件以来、フィリピンへ行く人が激減したような気がする。
わたしは移民の受け入れには特に反対はしないけど、日本も不景気だし、それでいて不法と知りながら来るという感性は受け入れられない。来るなら合法的に来てほしい。・・・・・にしても、後口の悪い話である。
(エレミヤ 50. 6-7)
寒い。
寒いとは思いながらも、すでに夏のバカンスの準備を始めている。わたしは中東には行ったことがないので、本当は、エルサレムを観光しながら死海でリゾートというような旅行に憧れている。今年こそ、と思ってガイドブックを買ってきたとたんにエジプトで暴動が起こり、その話は2日でぽしゃってしまった。
ならば、北朝鮮を避けて南半球にでもと思っていたら、おりしもニュージーランドで地震があり、多くの日本人の子たちが被害に遭い、来年の娘の学校の修学旅行はどうなるのだろうと気になる。
娘の学校では、中学はニュージーランド、高校では韓国へ修学旅行へ行く。今月、娘は韓国へ修学旅行に行く予定だが、日程表を見ただけでもなんとなくつならなそうな旅行なので、行きたくないと言っている子が多いらしい。現地の学校との交流が必ずカリキュラムに入っているので、なんとなくヘンな行程なのだ。ホームステイをさせてもらったニュージのほうが楽しそうだし、楽しかったらしい。
ちなみに、韓国の高校生はみな同じ髪型をしているという噂。交流先の高校がたまたまそうなのかもしれないが、一様に、自分たちのほうがましかもしれないという感想を子どもたちに持たせるのが狙いか?
娘もいよいよ高校3年生になる。受験・・・・
今のところ、まったく受験生というイメージはない。本人は油絵をやりたいと言っているし、美大を受験するとなると、受けるところは皆一緒。父さんが2浪までゆるすと言っているので、受かるまで東京芸大を狙うか、あきらめて私立へ行くかは本人の自由。
そんなふうに簡単に考えてしまうと、受験は楽だ。こういうときにはビーチでも行って、のんびりするのが一番かも。今まで費用の点と、ハネムーンの人たちの多さで敬遠していたタヒチとか?
(ルカ 24. 13-27)