February 19, 2005

周辺環境とわたし

咲蓉子さんのブログ記事、『強運に生きるワザ』への屁理屈かもしれない・・・

「お金がほしかったら金持ちと付き合い、強運になりたかったら強運な人と付き合い、美しくなりたかったら美しい人と付き合うべし。それなりに努力に仕方を教えてくれるから。」とコメント欄に書き込み、いっそ記事にしようと思い立つ。

たまに思うのだけれど、頭が良くなりたかったら頭の良い人と付き合うべきだし、お金持ちになりたかったらお金持ちとかお金のありそうな人と付き合うべきだと。そうすると、こちらがうんざりするくらいいろいろなことを教えてくれる。

つまりは、いろいろな情報を知っているからかもしれないし、具体的なノウハウを教えてくれるからかもしれないし、単にもっと綺麗になりたいな〜などと思えば、それこそコスメからエステからファッションからありとあらゆるノウハウを教えてくれる。たしかに傍にいるだけでそれなりに刺激を受ける。

それと同時に、一緒にいると、見られ方も変わる気がする。金持ちと一緒にいれば金持ちだと誤解されるかもしれないし、美しい人と一緒にいると美しいと誤解されるかもしれない。他人からの見る目が変化することにより、自分の内面も変化する。

嘘からでた真みたいなもので、やがてはそれが自分の脳を再構築していってしまうのかもしれない。

でも、その逆の効果もある。

例えば、そうはなりたいけどその人のそばに行くと劣等感を感じてしまい、近寄れない。自分自身の妬みなどに自分が耐えられないとかね・・・いつもポジに行くとは限らない。だったら一人でコツコツ努力しようとか?

毎日毎日何気なく眺めている風景・・・

青山に住んでいれば自然と青山の風景を見ることになり、つくばに住んでいれば自然とつくばの風景を見ることになる。

わたしは、今のブログのデザイン、割りに気に入っているのだけれど、もしかするとまた変えるかもしれない。理由は、『世界の美しい自然』。この前までルドビーさんが書いていたのだけれど、今度は別の神父さまが突然書き始めた。それと机まわり・・の違い・・うぅ。

というわけで、わたしは反省しなければならないらしい。

作歌環境をどうするか?
いっそのこと森の中へ移住してしまったほうがマシかもしれない。それでいて、わたしはサイバー上で相変わらず作歌しているわけで、それならそれなりに考えなければならないことが多々ありそう。

それでいて、ヨゼフ修道院は六本木。

投稿者 Blue Wind : 06:00 PM | コメント (0) | トラックバック

February 18, 2005

【トラバ短歌】 とおりすがりに招かれた猫

招き猫おいでおいでと呼んでいる呼ばれてないがやってくる猫
曲がり角過ぎてしまえば鳩時計いくつ鳴ってもおすぎとピーコ

ぐたさんのところで、通りすがりに、お弁当箱の写真を見ているうちに何となく詠んでしまいました。

江戸っ子のみてみぬふりはできねぇとおせっかいだが隣ん家の子

投稿者 Blue Wind : 12:16 AM | コメント (0) | トラックバック

February 12, 2005

和歌とわたし

和歌はわたしに似ている。わたしは和歌は好きではなく、常に自分好みにアレンジし、それでいてきちんと定型詩のリズムを守り、伝統という名目の下に保護されている。自由であり、不自由であり、飛び出せそうで飛び出せず、そのくせ素直に存在している。好きな人は好きであり、嫌いな人は嫌いであり、それでいて引き摺るものが大きく、これを否定して大きく変えてやろうという野心は常に打ち砕かれ、また誰かが古来のまま口ずさむ。和歌はある意味わたしそのものである。

投稿者 Blue Wind : 12:34 AM | コメント (0) | トラックバック

February 11, 2005

数分後のわたし

『風マニア』は、決して相思相愛的なブログではありません。どちらかというと、どうせアメブロなんだし、1クリックでつくれて消せるんだからわたしの好きにさせて、という冷たいノリでつくっています。

だから、せっかく読者登録していただいてもこちらが読者登録するとは限らないし、自分が勝手に読者登録しているところも多いし、それでいて1ヶ月以上まるで更新の意志の無さそうなブログは勝手に読者登録をやめています。

理由は簡単なんだよね・・・

最初、アメブロにブログをつくった頃、どうしてよいのかまるでわからなかった。ランキングを見ながらやれって言われているようで、このランキングがまた曲者で、一期一会みたいな感じでアメブロネタには反響があった。

そういう中で、とりあえずネタになりそうなブログや、このブログが続いているのならわたしも明日も続けようという怠惰な気分の持続の中で、何となくノラクラやってきています。

アメブロにブログをつくった理由の一つに、作家ブログが多いということがあった。それは一つ、自分が歌人としてやっていく上でのお悩み事があったからで、それについては、自分が期待していた以上に何かがわたしの中で吹っ切れたような気がしています。

あっさり語るけど、プロだったら今の時代は辛すぎる。特にアメブロでは・・・

アメブロで重要なのは広告収入であり、それはどこのタダサーバも同じだから、広告がうざければ自分で有料サーバを借りるというのが当たり前。自分でもすでに有料サーバを借りてサイトをつくっているし、そのほうが気楽だということも知っている。

しかも、広告収入を上げるには、ユーザー数というのが重要であり、こちらもタダでサーバを借りている以上、より快適な環境をクリエイトしてほしいとは常々サーバには期待してしまう。(?) ただでさえ、アメブロは重いと以前から不評だし、近頃ではかなり改善されたような気がしています。

ただし、その裏側で、どこの作家ブログへ行ってもね、一つ共通項があるのは、紙を買えと書いてある。わたしね・・・ヘンな気がした。たとえば、杉山さんのところは以前からサイトがあり、そちらではずっと日記を続けてきたのに、アメブロとなると何となく雰囲気が違う。

その理由について、どこのブログへ行っても明確に書いてあるわけでもなく、それでいて新陳代謝が活発になるが如く、何かが変化しているのが、いくら素人のわたくしにも何となく伝わってくる。その理由が、ブログから書籍、ってことなんだと思った。書籍なら書籍でかまわないんだけど、要するに、売れなくてもアメブロは困らない。つまりは、宣伝だから、宣伝効果があり、その結果ユーザーが増えることのほうがよほど儲かる。

企業だったら当たり前だよね。

で、結果として、どこか割り切りのムードが支配しているような・・・あまりにもバカバカしいと思えば、せっせと原稿用紙に向かって何かを書き、それを売るほうが作家らしいとばかりに、ブログと原稿用紙との差別化がヒシヒシと伝わってくる。

なんかね・・・・これでは、せっかくネット歌人としてやってきて、ようやく劣化を謳われていたインターネットに、歌人としての市民権を得た気がしていたのに、時代が逆行していくようで非常に残念な思いを感じています。

いいんだけどね・・・
ただ・・・うそ日記。
ちょっと悲しかったし、ショックだった。
しかも、それを出版するという・・・

面白ければ何でもいいんだな・・というのは、娯楽というのは概してそういうものであり、歌人をしていても、自費で出版するのは大変だから、著作権云々には関係なくそれを単行本にしてくれるというのであればどこへでも投稿するのが人情ってものだろうし、そういうミクロ的支持があってこそ支えられている売れない書籍。

その一方で、売ることを考えたら、あちこちの賞がどうたらこうたらと紙にしていかなければならない。それはそれで非常に苦痛だったので、それならわたしは歌人は本業ではないので、せいぜい80歳になるまでに考えようという気分になってしまう。紙が廃れた頃に優雅に出版していたりして・・・w

それ以前に、死んでいる可能性のほうが大きいけど。

まあ、関係ないや・・・・というか、興味はあるけど自分には関係ないお話の一つ。『風マニア』自体は、数分後には消滅しているかもしれない。それでも自分が歌人をやめるわけではなし、やめるとしたら別の理由。

それよりも、nattoさんおめでと〜、とか、ぐたさんおめでと〜、ってノラクラしているほうが自分っぽい。

投稿者 Blue Wind : 11:48 AM | コメント (0) | トラックバック

February 10, 2005

創作

短歌の基本は写実。
ということで、『創作短歌』というものをやらかそうと思って広辞苑を調べる。ところが、もうこの段階で躓いてしまった。

若山牧水の主宰していた詩歌集の名前が、『創作』だもの・・・

広辞苑によると、「創作」には3つの意味がある。

 ,呂犬瓩討弔ること。つくりはじめること。創造。
◆〃歃囘感興を文芸・絵画・音楽などの芸術作品として独創的に表現すること。また、その表現された作品。
 つくりごと。うそ。

どうしてこういうものをやらかそうと思ったかというと、missyouさんのところの影響。お題を選んでそこから詩や小説を創作していこうという試み。どうして日本人はこんなにお題が好きなのかわからないけれども、お題だけを扱ったサイトもあるらしく、そうやって言われれば以前ほかにも似たようなサイトを見たことがあるような気もするし、選んだお題をイメージして作歌してみようと思っただけ。

が、しかし・・・・

そうやってテーマを選ぶこと自体がどこか、つくりごとのような気がしてしまうし、それを小林信也さんみたいに短歌の形式を保ったまま小説と呼ぶことにもいささか抵抗のあるわたくしとしては、さらりと気分転換に流してしまおうと思っただけ。

題詠マラソンというのも遊びと言う人たちも多い。つまり、題詠というのがそもそも遊びのようなものなのかもしれないし、わたしとて、作歌の気分転換の一つとして去年は詠んでいたような記憶がある。

そりゃ毎日聖書と共に作歌を続けるというのは、実際にはどのようにお考えになるかわからないけれども、それなりに沈鬱な気分というものに満ちあふれながらネガティブな精神状態すら赤裸々に詠っていくわけで、それがすべて自分だと思われても、あまりにも濃厚すぎて、そのためにライトな世界が必要になっただけ。

詩だとつくりものでもよいのだろうか?

ってたまに思うことがある。どうしてそうやって感じるのかはともかく、詩は写実である必要性はないらしい。それは恋歌などにも共通するらしく、ネットで恋愛の短歌を詠んでいる人たちの中には、まるきり空想だけで詠んでいると平然と言ってのける人までいた。それが良いことなのか悪いことなのか、わたしにはわからない。でも、できればせめて恋の歌だからこそ真実を詠んでほしいとは常々思う。それでいて、あっさり語れば、世の中で一番嘘の通用する世界でもある・・・恋の歌。

佐藤春夫のように、赤裸々な詩でも悲しいものがあるけど。かといって、小説みたいにまるきり嘘だらけというのも情けないものがある。

一つ思ったんだけど、よく盗作とか著作権とかって言うでしょ? が、しかし・・・・「あ、これ、あたしが言ったことそのままパクッてるじゃないの?」というのはどうなんだろう・・・・

とは言うものの、誰かの言ったことを仮にサイトといえどもネタにするとするでしょ? そうするとほかの読者にはわからないけど、本人にはすぐわかると思うのよね。大したことではないけれども、手首がホッチキスだらけのネイビーの話とかさ。実話なんだけど、わたしは直接彼のことは知らない。潜水艦の中の様子とか、空気とか、自殺者の話とか、わたしの世界にはない世界。

でも、知らない誰かが話していることを誰かが勝手にネタにした場合はどうなんだろう?

そうやって考えると、最初にパブリッシャーした人の勝ちのような気もする。商売っていやらしいね、そうやって考えると。というか・・・なんて言ったらよいのだろう・・・怒りを通り越すと、諦めというか、このように自分の言葉で自分の世界をそのまま書けるということは素晴らしいという気がする今日この頃・・・

というわけで、歌人としては、単なる絵空事を創作と呼ぶわけにはいかないことに気づき、写実という制約があるからこそ、太陽にも月にも尾花にもコンクリにも並木にも風にも細心の注意を払う日常が与えられたのかもしれないと、太陽に向かっても、パソコンの画面に向かっても、独り言が続いて行く。

投稿者 Blue Wind : 02:12 AM | コメント (0) | トラックバック

February 05, 2005

招待状が届く・・

さっきポストを開けたら、「現代短歌新人賞表彰式案内状在中」と書かれた封書が入っていた。わたしのほうは、こういう賞があることも知らない。さいたま市が主催しているらしい。返信用の葉書と封書に通し番号が打たれているところを見ると招待状だ。一瞬、結婚式の案内状かと思った。

しかも、公募じゃないんだよね・・・基本的に昨年出版された第一歌集の中から170人の歌人によるアンケート調査で評判がよかったもの、選考委員の推薦するものの中から選考委員が話し合って決定するらしい。

通常の雑誌の賞金が20万円とすると、これって50万円だもの、公募だったら選考が一層大変になりそう。


第5回現代短歌新人賞
   河野 美砂子 『無言歌』 (砂子屋書房 平成16年8月20日)


河野さん、おめでとうございます。

それにしても、どうしてわたしのところに案内状が届いたのか、そちらのほうが不思議。出席しても、誰も知った人がいないと思う。歌人か。それとも・・・

投稿者 Blue Wind : 01:43 PM | コメント (0) | トラックバック

February 04, 2005

今年も参加します☆

さきほど、題詠マラソン2005に参加表明してきました。ランナーの受付は、今月一杯みたいです。100のお題を3月から10月の間に詠み、11月には感想会があります。参加者は出詠数に応じて、単行本のほうに歌を掲載してくれます。

去年は本名で参加したんですけど、今年は、『風マニア』の管理人、しらいし まさこで参加します。どこが違うというわけでもないんですけど、さっき会場のほうへ飛んだらいきなり金子まるやむさまの参加表明が目に入りまして、そのままふらふら〜っとアメブロのノリで参加です。

本当は、明日、参加表明しようと思っていたんですよね。2月5日は初詠み記念日というか・・・

去年は、たしか2月5日の時点で、167番目だったと思います。だけど、さっき行ってみたら、すでに軽く200人を上回っているみたいだし、今年は400人以上参加しそうな勢い。もっとだろうな・・・そのうち1000人、2000人・・・という具合に大イベントになるかも。


◇関連書籍

著者: 五十嵐 きよみ, 荻原 裕幸
タイトル: 短歌、WWW(ウェブ)を走る。―題詠マラソン2003

* 2003年、初回バージョン。わたしは参加していません・・

投稿者 Blue Wind : 04:37 PM | コメント (0) | トラックバック

February 01, 2005

選歌の目

昨日詠んだ短歌の記事のタイトルを変える。最初は、自分で選んで、

(1) 少しずつ氷のかたち崩れゆくそれが今さと夢みてみれば

にしていた。でも、今朝、Natさんのブログへ行ったら、

(2) とまりゆく時間のなかでわれの息死に絶えるまで今を重ねる

を選歌してくださっていた。

正直、(2)の歌は自分でも何気なく詠んだ歌で、詠んだことすら忘れていたような気がする。「とまりゆく時間」というのは、歌を詠んでいると、まるで時間が止まってしまったかのような気がすることがあり、それをそのまま素直に詠んだだけ。

日常・・・オトくんが膝の上で寝息を立てているとか、朝の陽射しがまぶしいとか、ゆっくりとした世界に埋没する。そういう瞬間、歌を詠んでいると、まるで世界が静止し、瞑想までは届かないけれども、少しずつ自分が消えてゆくのを感じたりする。

ふと気がつくと、氷が小さくなっている。ということは、物理的に時間は経過しているわけで、時間が止まっているなどということはありえない。でも、何気なく歌を詠んでいる瞬間、わたしにとってあたかも世界は静止し、時間すら止まっているかのよう。

日頃、読みにくいとか文句言われそうな歌配列の中で、よぉ〜っく歌が読めると逆に驚いてしまいます。大抵の人たちは通過してしまう。わたしはそれはそれでかまわないと思っている。

それにしてもすごいなぁ・・・逆に一本取られてしまった気がするしらいしでありました。まだまだ勉強が足りない・・・わたしは。


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・・・・・・と、ここまで書きながら、記事へのリンクのために再び来訪。するとコメント。主体性がないんですよね・・・わたしって。またタイトルを変えるか・・・悩む。
自分の歌は自分ではわからないです。

皆それぞれにいろいろ考えているのだなぁ・・・と、うすらぼんやり。

投稿者 Blue Wind : 10:22 AM | コメント (0) | トラックバック