August 09, 2004

芝の上日陰模様を眺めては今がいつかを知るようになり

ローマの近くの小さな村の写真を見た。名前は書かれていない。その風景に惹かれて、そこへ行ってみたいと思ったけれど、地名もわからない。どこからどこまでを近くと呼ぶのだろう。
出発が近いというのに、結局、予定は未定。本当に飛ぶのだろうか?悩む。一人ならともかく子連れであるからにして、もう少し何とかならないものかと思いつつ、キャンセルを恐れるあまり、あっというまに準備もせずに今日まで来てしまった。以前、こういう怠惰な気分の時、航空会社のストに引っかかり、飛行機がキャンセルになってしまったことがある。またか?

なんか、こう、実感がわかないんですよね。とりあえず、航空券があるからいいか、みたいな気分でいます。

マルコによる福音書 15. 6-15 死刑の判決を受ける

飛行機に乗る前に死刑の判決だって・・・
なら、やめるか?
いや、やめない。

3日後に復活しますと言われても、実感がわかなかったりして・・・

飛行機は飛んでも、年中、鉄道はストだの遅れだのというくらいだから、あきらめるか。

あくせくと日本時間で空回り時計は鳴るよ電池切れでも
10分で終わってしまう仕度でも半日かけてせかされ気分
餌の木の消えた庭にも常連の鳩と小鳥が静止しており
芝の上日陰模様を眺めては今がいつかを知るようになり
太陽は明るくもなり家の影濃いも薄いも時は変わらぬ
一瞬に静まりかえるせみの声呼吸を止めてどしゃぶりとなる
ひねもすをうるさく鳴いたせみの声今は聴こえぬ不可思議な夏
夏植えの花の気ままにとどまりし不器用なまま花は立ちたる

何か食べてる・・・う〜ん・・・・わからない。餌ないのに。

ローマの信徒への手紙 16. 25-27 神への賛美

福音、か。

あら?
なんかへんだ。
うちの鳥は地面をつつく。何もないのに。
種とか虫がいるのかな。わからない、わたしには。

なんで皇帝に手紙を書くの?

なんか、こう、究極の矛盾を発見してしまった気分。

理に適っているから気が付かないだけで、壮絶な矛盾だ。

小鳥には小鳥の餌のあるように天の恵みぞ受けたる者が
神のみぞ戯る鳥のゆくすえを知るよしもなく文のこさるる

矛盾がなさすぎて気が付かない。
カエサルのものはカエサルに。小鳥の餌はカエサルに。鳥の餌まで搾取していたのだろうか・・・まさかね。

ルカによる福音書 6. 27-36 敵を愛しなさい

正しい敵の愛し方なのかも。
槍を持って出陣するより、効果あるかも。

本物の鳥は、皇帝に餌をもらわなくても歩いている。

投稿者 Blue Wind : 11:31 AM | コメント (0) | トラックバック

ヨハネの黙示録 11. 15-19 第七の天使がラッパを吹く

  さて、第七の天使がラッパを吹いた。すると、天にさまざまな大声があって、こう言った。
  「この世の国は、我らの主と、
  そのメシアのものとなった。
  主は世々限りなく統治される。」
  神の御前で、座に着いていた二十四人の長老は、ひれ伏して神を礼拝し、こう言った。
  「今おられ、かつておられた方、
  全能者である神、主よ、感謝いたします。
  大いなる力を振るって統治されたからです。
  異邦人たちは怒り狂い、
  あなたも怒りを現された。
  死者の裁かれる時が来ました。
  あなたの僕、預言者、聖なる者、
  御名を畏れる者には、
  小さな者にも大きな者にも
  報いをお与えになり、
  地を滅ぼす者どもを
  滅ぼされる時が来ました。」
  そして、天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え、稲妻、さまざまな音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降った。

投稿者 Blue Wind : 09:19 AM | コメント (0) | トラックバック

コロサイの信徒への手紙 1. 3-8 神への感謝

  わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、また、”霊”に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です。

投稿者 Blue Wind : 09:14 AM | コメント (0) | トラックバック

ルカによる福音書 5. 33-39 断食についての問答

 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食をし、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちとも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」そこで、イエスは言われた。「花婿がいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」

投稿者 Blue Wind : 09:08 AM | コメント (0) | トラックバック

August 04, 2004

オブジェだけ売られていても無為というイルカは嘆く小さなくさり

久々に安否を問えば姑は暗証番号変えてるばかり
燃える陽はどこまで暑い夏の陽よカンカン照りにドッグランかな
久々にやることなきと尋ねれば病院通い休む間もなく
夏の陽は暑く燃えろと蝉は鳴く預金通帳眺める老後
こんなんでいいのかしらと思いつつ深追いすれば傷深まりし
子ら育つ幾年月の流れゆくひまさえ時はとどまりし人
蝉の鳴く木陰の道をゆっくりと隠れ家さがし吾子と走りぬ

財産管理と健康管理が老後の仕事らしい・・・あーゆううつ。

年寄りの雑誌をみれば安心の老後などとは書いてあるけど
健康で長生きしてる老後には生き生きなんてかつらの宣伝
精神の形骸化する屍はゆっくりとして死に絶えている
マネキンの髑髏となって歩きたる死者の世界を浮遊する島
ゆっくりと如雨露のような台風はゆっくりとして芝を育み

ルカによる福音書 5. 33-39 断食についての問答

あれはあれで、理想の老後なのかも・・・

何となくすっきりしない会話でもないよりましか暑き夏の陽
みんみんと蝉は鳴く鳴く夏のみちジージーまじりで車は走る
ひまわりのぶっきらぼうに咲いている玄関先をとおりすぎたる
陽はあちらうつむく花のまじりては夏のひまわり背を向けあって
今は夏明日も夏かと虫たちは夏の音色でドアから来る
同じ曲ボタン一つでながれだす怠惰な夏は残暑をむかえ
何もかもバカらしいなど思っても怠惰な夏は明日もつづきぬ
レジの前籠をのぞきぬ少なさに驚きもせぬ独り暮らしか
頑なに身を寄せ合って籠の中一人暮らしの黄色い値札
明日もまた黄色いシール選びてはレジに並べり見知らぬ人よ
あくせくと賞味期限を眺めては放置期間を計算したる
少しだけ白と黄色のシールには一日というひねもすのあり
一日は単品なるかひねもすは黄色いシール眺めてみたり

コロサイの信徒への手紙 1. 3-8 神への感謝

なんで黄色いシールが神への感謝なんだかわからないけど、あちらはあちらで神への感謝なのかもしれん。話が合わないから、疲れるだけなのかも。だんだん憂鬱になってきてしまう。

健康で長寿、豊かな老後、なんでしょう・・・なんでもいいや、関係ない。

透明のイルカはうつす向こう側波打ち際のあぶくのように
静止するキーホルダーは意味もなく売られるためにくさりをつけし
オブジェだけ売られていても無為というイルカは嘆く小さなくさり

ヨハネの黙示録 11. 15-19 第七の天使がラッパを吹く

投稿者 Blue Wind : 04:22 AM | コメント (0) | トラックバック

マタイによる福音書 16. 5-12 ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種

  弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。弟子たちは、「これは、パンを持って来なかったからだ」と論じ合っていた。イエスはそれに気づいて言われた。「信仰の薄い者たちよ、なぜ、パンを持っていないことで論じ合っているのか。まだ、分からないのか。覚えていないのか。パン五つを五千人に分けたとき、残りを幾籠に集めたか。また、パン七つを四千人に分けたときは、残りを幾籠に集めたか。パンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか。ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい。」そのときようやく、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えのことだと悟った。

投稿者 Blue Wind : 01:30 AM | コメント (0) | トラックバック

エゼキエル書 17. 1-10

  主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、イスラエルの家に向かって謎をかけ、たとえを語りなさい。あなたは言わねばならない。
  主なる神はこう言われる。
  大きな翼と長い羽をもち
  彩り豊かな羽毛に覆われた大鷲が
  レバノンに飛来する。
  その鷲はレバノン杉の梢を切り取り
  その頂の若い枝を折って
  商業の地に運び、商人の町に置いた。
  また、その地の種を取って苗床に蒔き
  苗を豊かな水のほとりに柳のように植えた。
  やがてそれは育ち
  低く生い茂るぶどうの木となった。
  その枝は鷲の方に向かって伸び
  根はその鷲の下に張り
  若枝を広げ、つるの伸びたぶどうの木となった。
  また、もう一羽の大鷲がいた。
  これも大きな翼と多くの羽毛を持っていた。
  このぶどうの木は
  その植えられていた場所から
  根をこの鷲の方に向け
      若枝をこの鷲の方に伸ばして
  水を得ようとした。
  このぶどうの木は
  枝を伸ばし、実を結ぶ
  立派なぶどうの木となるように
  水の豊かなよい地に植えられていた。
  語れ。主なる神はこう言われる。
  このぶどうの木は成長するだろうか。
  その根は引き抜かれ
  実はもぎ取られないだろうか。
  芽生えた葉はすべてしおれてしまわないだろうか。
      それはしおれてしまう。
  それを根から引き抜くのに
  大きな力も、多くの人も必要としない。
  それは植えられはしたが
  果たして成長するだろうか。
  東風が吹きつけたなら
  しおれてしまわないだろうか。
  その芽を出した場所で、しおれるであろう。

投稿者 Blue Wind : 01:24 AM | コメント (0) | トラックバック