May 29, 2004

詩編 121. 7-8

  主がすべての災いを遠ざけて
  あなたを見守り
      あなたの魂を見守ってくださるように。
  あなたの出で立つのも帰るのも
      主が見守ってくださるように。
  今も、そしてとこしえに。

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マタイによる福音書 25. 31-46 すべての民族を裁く

  「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見て、お宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
  それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いていたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、乾いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

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使徒言行録 7. 54-60 ステファノの殉教

  人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

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ガラテヤの信徒への手紙 1. 6-10 ほかの福音はない

  キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らされたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。
  こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。

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ヘブライ人への手紙 1.10-12

  また、こうも言われています。
  「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。
  もろもろの天は、あなたの手の業である。
  これらのものは、やがて滅びる。
  だが、あなたはいつまでも生きている。
  すべてのものは、衣のように古び廃れる。
  あなたが外套のように巻くと、
  これらのものは、衣のように変わってしまう。
  しかし、あなたは変わることなく、
  あなたの年は尽きることがない。」

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箴言 3. 5-6

  心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
  常に主を覚えてあなたの道を歩け。
  そうすれば
  主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。

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ヘブライ人への手紙 1. 5

  いったい神は、かつて天使のだれに、
  「あなたはわたしの子、
  わたしは今日、あなたを産んだ」
と言われ、更にまた、
  「わたしは彼の父となり、
  彼はわたしの子となる」
と言われたでしょうか。

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ルカによる福音書 17. 20-21

  ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。

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May 27, 2004

使徒言行録 18. 1-4

  その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。

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ヨハネによる福音書 3. 27

ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。」

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使徒言行録 21. 9-14

この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。そして、わたしたちのところへ来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛れることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。

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May 24, 2004

コリントの信徒への手紙 3. 21-23

ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。

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使徒言行録 21. 27-36 パウロ、神殿の境内で逮捕される

  七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群集を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都で彼と一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、守備大隊の千人隊長のもとに届いた。千人隊長は直ちに兵士と百人隊長を率いて、その場に駆けつけた。群集は千人隊長と兵士を見ると、パウロを殴るのをやめた。千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じた。そして、パウロが何者であるのか、また、何をしたのかと尋ねた。しかし、群集はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた。パウロが階段にさしかかったとき、群集の暴行を避けるために、兵士たちは彼を担いで行かなければならなかった。大勢の民衆が、「その男を殺してしまえ」と叫びながらついて来たからである。

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ルカによる福音書 18. 9-14 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ

  自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天にあげようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

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フィレモンへの手紙 21-22

  あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。

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ルカによる福音書 13. 31-35 エルサレムのために嘆く

  ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」

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May 23, 2004

ローマの信徒への手紙 1. 2-6

この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。

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ローマの信徒への手紙 11. 1-10 イスラエルの残りの者

  では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン族の者です。神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした。それとも、エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか。彼は、イスラエルを神にこう訴えています。「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、わたしだけが残りましたが、彼らはわたしの命をねらっています。」しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。では、どうなのか。イスラエルは求めているものを得ないで、選ばれた者がそれを得たのです。他の者はかたくなにされたのです。
  「神は、彼らに鈍い心、見えない目、
  聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」
と書いてあるとおりです。ダビデもまた言っています。
  「彼らの食卓は、
      自分たちの罠となり、網となるように。
  つまずきとなり、罰となるように。
  彼らの目はくらんで見えなくなるように。
  彼らの背をいつも曲げておいてください。」

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使徒言行録 8. 14-17

  エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだ誰の上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。

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May 22, 2004

ルカによる福音書 12. 22-34 思い悩むな

  それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」

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列王記上 2. 13-25

  ハギトの子アドニヤはソロモンの母バト・シェバのもとに行った。彼女が、「穏やかな事のために来たのですか」と尋ねると、彼は、「穏やかな事のためです」と答えた。彼が、「実はお話ししたい事があります」と言葉を続けると、彼女は、「話してごらんなさい」と答えたので、彼は言った。「ご存知のとおり、王位はわたしのものであり、すべてのイスラエル人はわたしが王となるように期待していました。しかし、王位は移って弟のものとなりました。主のお計らいによってそうなったのです。今、お願いを一つ申し上げます。断らないでください。」彼女が、「話してごらんなさい」と言うので、彼は言った。「あのシュネムの女アビシャグをわたしの妻にしていただけるように、ソロモン王に頼んでください。あなたの願いなら王もお断りにならないでしょう。」バト・シェバは、「いいでしょう。あなたのために王に話します」と答えた。彼女はアドニヤのために取り次ごうとして、ソロモン王のもとに行った。王は立ち上がって母を迎え、その前にひれ伏し、王座に着き、母のためにも席を設けさせた。彼女は王の右に座った。「小さなお願いが一つあります。断らないでください」と彼女が言った。王が、「母上、願いを言ってください。あなたの願いなら、わたしは断りません」と答えたので、彼女は言った。「あのシュネムの女アビシャグをあなたの兄アドニヤの妻にしてください。」ソロモンは母に答えた。「どうしてアドニヤのためにシュネムの女アビシャグを願うのですか。彼はわたしの兄なのですから、彼のために王位も願ってはいかがですか。祭司アビアタルのためにも、ツェルヤの子ヨアブのためにもそうなさってはいかがですか。」ソロモン王は主にかけてこう誓った。「アドニヤがこのような要求をしてもなお生きているなら、神が幾重にもわたしを罰してくださるように。わたしを揺るぎないものとして、父ダビデの王座につかせ、お約束どおりわたしのために家を興された主は生きておられる。アドニヤは今日死なねばならない。」ソロモン王はヨアダの子ベナヤを送ってアドニヤを討たせたので、アドニヤは死んだ。

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ルカによる福音書 14. 34-35 

  「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」

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May 21, 2004

ゼカリヤ書 5. 1-4 第六の幻

  わたしが再び目を留めて見ると、一つの巻物が飛んでいた。御使いがわたしに、「何を見ているのか」と尋ねたので、わたしは答えた。「巻物が飛んでいるのが見えます。その長さは二十アンマ、幅は十アンマです。」彼はわたしに言った。「これは全地に向かって出て行く呪いである。すべての盗人はその一方の面に記されている呪いに従って一掃される。また偽って誓う者も、他の面の呪いに従って一掃される。」
  わたしがこれを送り出す、と万軍の主は言われる。
  わが名によって偽りの誓いをする者の家に入り
  その家の中に宿り
  梁も石ももろともに滅ぼしつくす。

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フィリピの信徒への手紙 2. 1-11 キリストを模範とせよ

  そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、”霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

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May 18, 2004

サムエル記上 26. 21-25

  サウルは言った。「わたしが誤っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。この日わたしの命を尊んでくれたお前に、わたしは二度と危害を加えようとはしない。わたしは愚かであった。大きな過ちを犯した。」ダビデは答えた。「王の槍はここにあります。従者を一人よこし、これを運ばせてください。主は、おのおのに、その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。今日、主はわたしの手にあなたを渡されましたが、主が油を注がれた方に手をかけることをわたしは望みませんでした。今日、わたしがあなたの命を大切にしたように、主もわたしの命を大切にされ、あらゆる苦難からわたしを救ってくださいますように。」サウルはダビデに言った。「わが子ダビデよ。お前に祝福があるように。お前は活躍し、また、必ず成功する。」ダビデは自分の道を行き、サウルは自分の場所に戻って行った。

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コリントの信徒への手紙 8. 1-13 偶像に供えられた肉

  偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は知らねばならぬことをまだ知らないのです。しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたしたちにとっては唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
  しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか。そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。このようにあなたがたが兄弟たちに対して、罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、キリストに対して罪を犯すことなのです。それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。

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使徒言行録 10. 1-8 コルネリウス、カイサリアで幻を見る

  さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て、「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。彼は天使を見つめていたが、怖くなって、「主よ、何でしょうか」と言った。すると、天使は言った。「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、革なめし職人シモンのという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。」天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び、すべてのことを話してヤッファに送った。

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May 17, 2004

ヨハネによる福音書 3. 22-30 イエスと洗礼者ヨハネ

  その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。彼らはヨハネのものちに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。」ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」

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イザヤ書 48. 1-22 預言の成就

  ヤコブの家よ、これを聞け。
  ユダの水に源を発し
  イスラエルの名をもって呼ばれる者よ。
  まこともなく、恵みの業をすることもないのに
  主の名をもって誓い
  イスラエルの神の名を唱える者よ。
  聖なる都に属する者と称され
  その御名を万軍の主と呼ぶイスラエルの神に
      依りすがる者よ。
  初めからのことをわたしは既に告げてきた。
  わたしの口から出た事をわたしは知らせた。
  突如、わたしは事を起こし、それは実現した。
  お前が頑固で、鉄の首筋をもち
  青銅の額をもつことを知っているから
  わたしはお前に昔から知らせ
  事が起こる前に告げておいた。
  これらのことを起こしたのは、わたしの偶像だ
  これを命じたのは、わたしの木像と鋳像だと
      お前に言わせないためだ。
  お前の聞いていたこと、そのすべての事を見よ。
  自分でもそれを告げうるではないか。

  これから起こる新しいことを知らせよう。
  隠されていたこと、お前の知らぬことを。
  それは今、創造された。
  昔にはなかったもの、昨日もなかったこと。
  それをお前に聞かせたことはない。
  見よ、わたしは知っていたと
      お前に言わせないためだ。
  お前は聞いたこともなく、知ってもおらず
  耳も開かれたことはなかった。
  お前は裏切りを重ねる者
  生まれたときから背く者と呼ばれていることを
      わたしは知っていたから。
  わたしは、わたしの名のために怒りを抑え
  わたしの栄誉のために耐えて
  お前を滅ぼさないようにした。
  見よ、わたしは火をもってお前を練るが
  銀としてではない。
  わたしは苦しみの炉でお前を試みる。
  わたし自身のために、わたし自身のために
  わたしは事を起こす。
  わたしの栄光が汚されてよいであろうか。
  わたしはそれをほかの者には与えない。

  ヤコブよ、わたしに耳を傾けよ。
  わたしが呼び出したイスラエル。
  わたしは神、初めでありまた終わりであるもの。
  わたしの手は地の基を据え
  わたしの右手は天を延べた。
  わたしが彼らに呼びかけると、共に立ち上がる。
  皆、集まって聞くがよい。
  彼らのうちに、これを告げた者があろうか。
  主の愛される者が、主の御旨をバビロンに行い
  主の御腕となる人が、カルデア人に行うことを。
  わたしが宣言し、わたしが彼を呼んだ。
  彼を連れて来て、その道を成し遂げさせる。
  わたしのもとに近づいて、聞くがよい。
  わたしは初めから、ひそかに語ったことはない。
  事の起こるとき、わたしは常にそこにいる。
  今、主である神はわたしを遣わし
  その霊を与えてくださった。

  イスラエルの聖なる神
  あなたを贖う主はこう言われる。
  わたしは主、あなたの神
  わたしはあなたを教えて力をもたせ
  あなたを導いて道を行かせる。
  わたしの戒めに耳を傾けるなら
  あなたの平和は大河のように
  恵みは海の波のようになる。
  あなたの子孫は砂のように
  あなたから出る子らは砂の粒のように増え
  その名はわたしの前から
      断たれることも、滅ぼされることもない。
  
  バビロンを出よ、カルデアを逃げ去るがよい。
  喜びの声をもって告げ知らせ
  地の果てまで響かせ、届かせよ。
  主は僕ヤコブを贖われた、と言え。
  主が彼らを導いて乾いた地を行かせるときも
  彼らは渇くことがない。
  主は彼らのために岩から水を流れ出させる。
  岩は裂け、水がほとばしる。
  神に逆らう者に平和はない、と主は言われる。

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詩編 50. 1-23

            賛歌。アサフの詩。
  神々の神、主は、御言葉を発し
  日の出るところから日の入るところまで
      地を呼び集められる。
  麗しさの極みシオンから、神は顕現される。
  わたしたちの神は来られる
  黙してはおられない。
  御前を火が焼き尽くして行き
  御もとには嵐が吹き荒れている。

  神は御自分の民を裁くために
  上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけられる。
  「わたしの前に集めよ
  わたしの慈しみに生きる者を
  いけにえを供えてわたしと契約を結んだ者を。」
  天は神の正しいことを告げ知らせる。
  神は御自ら裁きを行われる。

  「わたしの民よ、聞け、わたしは語る。
  イスラエルよ、わたしはお前を告発する。
  わたしは神、わたしはお前の神。

  献げ物についてお前を責めはしない。
  お前の焼き尽くす献げ物は
      常にわたしの前に置かれている。
  わたしはお前の家から雄牛を取らず
  囲いの中から雄山羊を取ることもしない。
  森の生き物は、すべてわたしのもの
  山々に群がる獣も、わたしのもの。
  山々の鳥をわたしはすべて知っている。
  獣はわたしの野に、わたしのもとにいる。
  たとえ飢えることがあろうとも
      お前に言いはしない。
  世界とそこに満ちているものは
      すべてわたしのものだ。
  わたしが雄牛の肉を食べ
  雄山羊の血を飲むとでも言うのか。

  告白を神へのいけにえとしてささげ
  いと高き神に満願の献げ物をせよ。
  それから、わたしを呼ぶがよい。
  苦難の日、わたしはお前を救おう。
  そのことによって
      お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」

  神は背く者に言われる。
  「お前はわたしの掟を片端から唱え
  わたしの契約を口にする。
  どういうつもりか。
  お前はわたしの諭しを憎み
  わたしの言葉を捨てて顧みないではないか。
  盗人と見ればこれにくみし
  姦淫を行う者の仲間になる。
  悪事は口に親しみ
  欺きが舌を制御している。
  座しては兄弟をそしり
  同じ母の子を中傷する。
  お前はこのようなことをしている。
  わたしが黙しているとでも思うのか。
  わたしをお前に似たものと見なすのか。
  罪状をお前の目の前に並べて
      わたしはお前を責める。
  神を忘れる者よ、わきまえよ。
  さもなくば、わたしはお前を裂く。
  お前を救える者はいない。
  告白をいけにえとしてささげる人は
  わたしを栄光に輝かすであろう。
  道を正す人に
      わたしは神の救いを示そう。」

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マルコによる福音書 9. 2-13 イエスの姿が変わる

 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。
  一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。そして、イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。イエスは言われた。「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。それなら、人の子は苦しみを重ね、辱めを受けると聖書に書いてあるのはなぜか。しかし、言っておく。エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、人々は好きなようにあしらったのである。」

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May 16, 2004

コヘレトの言葉 9. 11-12

  太陽の下、再びわたしは見た。
  足の速い者が競争に、強い者が戦いに
      必ずしも勝つとは言えない。
  知恵があるといってパンにありつくのでも
  聡明だからといって富を得るのでも
  知識があるといって好意をもたれるのでもない。
  時と機会はだれにでも臨むが
  人間がその時を知らないだけだ。
  魚が運悪く網にかかったり
  鳥が罠にかかったりするように
  人間も突然不運に見舞われ、罠にかかる。

投稿者 Blue Wind : 03:20 PM | コメント (0) | トラックバック

歴代誌下 32. 31

  しかし、バビロンの諸侯が、この地に起こった奇跡について調べさせるため、使節を遣わしたとき、神はヒゼキヤを試み、その心にある事を知り尽くすために、彼を捨て置かれた。

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使徒言行録 7. 50

  『「これらはすべて、
      わたしの手が造ったものではないか。」』

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May 14, 2004

ローマの信徒への手紙 1. 7

神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

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ヨハネによる福音書 8. 40

ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。

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ヨハネによる福音書 7. 45-52 ユダヤ人指導者たちの不信仰

  さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」と言った。下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。すると、ファリサイ派の人々は言った。「お前たちまでも惑わされたのか。議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。だが、律法を知らないこの群集は、呪われている。」彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」

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May 13, 2004

コリントの信徒への手紙 二 11. 30

  誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。

投稿者 Blue Wind : 12:55 AM | コメント (0) | トラックバック

使徒言行録 10. 1-2

  さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。

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May 12, 2004

ダニエル書 9. 22-27

彼は、わたしに理解させようとしてこう言った。「ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た。お前が嘆き祈り始めた時、御言葉が出されたので、それを告げに来た。お前は愛されている者なのだ。この御言葉を悟り、この幻を理解せよ。
  お前の民と聖なる都に対して
      七十週が定められている。
  それが過ぎると逆らいは終わり
  罪は封じられ、不義は償われる。
  とこしえの正義が到来し
  幻と預言は封じられ
  最も聖なる者に油が注がれる。
  これを知り、目覚めよ。
  エルサレム復興と再建についての
  御言葉が出されてから
  油注がれた君の到来まで
  七週あり、また、六十二週あって
  危機のうちに広場と堀は再建される。
  その六十二週のあと油注がれた者は
  不当に断たれ
  都と聖所は次に来る指導者の民によって荒らされる。
  その終わりには洪水があり
  終わりまで戦いが続き
  荒廃は避けられない。
  彼は一週の間、多くの者と同盟を固め
  半週でいけにえと献げ物を廃止する。
  憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」

投稿者 Blue Wind : 03:03 PM | コメント (0) | トラックバック

箴言 22. 22-25

  弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。
  貧しい人を城門で踏みにじってはならない。
  主は彼らに代わって争い
  彼らの命を奪う者の命を、奪われるであろう。
  怒りやすい者の友になるな。
  激しやすい者と交わるな。
  彼らの道に親しんで
  あなたの魂を罠に落としてはならない。

投稿者 Blue Wind : 02:55 PM | コメント (0) | トラックバック

使徒言行録 26. 13

その途中、真昼のことです。王よ、私は天からの光を見たのです。それは太陽より明るく輝いて、私とまた同行していた者と周りを照らしました。

投稿者 Blue Wind : 02:47 PM | コメント (0) | トラックバック

May 11, 2004

ヘブライ人への手紙 1. 7-8

また、天使たちに関しては、
  「神は、その天使たちを風とし、
  御自分に仕える者たちを燃える炎とする」
と言われ、一方、御子に向かっては、こう言われました。
  「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、
  また、公正の笏が御国の笏である。」

投稿者 Blue Wind : 11:30 PM | コメント (0) | トラックバック

ヨハネによる福音書 19. 28

  この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。

投稿者 Blue Wind : 11:24 PM | コメント (0) | トラックバック

ヨハネによる福音書 8. 14-15

イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。」

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May 10, 2004

箴言 13. 23

  貧しい人の耕作地に多くの食糧が実っても
  正義が行われなければ奪われる。

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ヤコブの手紙 1. 18

御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。

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ルカによる福音書 12. 54-56 時を見分ける

  イエスはまた群集にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」

投稿者 Blue Wind : 04:38 PM | コメント (0) | トラックバック

ヨブ記 14. 13

  どうか、わたしを陰府に隠してください。
  あなたの怒りがやむときまで
      わたしを覆い隠してください。
  しかし、時を定めてください
      わたしを思い起こす時を。

投稿者 Blue Wind : 04:33 PM | コメント (0) | トラックバック

イザヤ書 26. 18

  わたしたちははらみ、産みの苦しみをしました。
  しかしそれは風を産むようなものでした。
  救いを国にもたらすこともできず
  地上に住む者を
      産み出すこともできませんでした。

投稿者 Blue Wind : 12:51 AM | コメント (0) | トラックバック

May 09, 2004

コロサイの信徒への手紙 1. 14

わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

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詩編 38. 22-23

  主よ、わたしを見捨てないでください。
  わたしの神よ、遠く離れないでください。
  わたしの救い、わたしの主よ
  すぐにわたしを助けてください。

投稿者 Blue Wind : 03:59 PM | コメント (0) | トラックバック

ローマの信徒への手紙 2. 28-29

外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく”霊”によって心を施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。

投稿者 Blue Wind : 03:56 PM | コメント (0) | トラックバック

詩編 140. 7-8

  主にわたしは申します
  「あなたはわたしの神」と。
  主よ、嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
  主よ、わたしの神よ、救いの力よ
  わたしが武器を執る日
      先頭に立ってわたしを守ってください。

投稿者 Blue Wind : 03:53 PM | コメント (0) | トラックバック

ルカによる福音書 19. 41-44

  エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・・・・。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」

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May 08, 2004

マラキ書 3. 6-7

  まことに、主であるわたしは変わることがない。
  あなたたちヤコブの子らにも終わりはない。
  あなたたちは先祖の時代から
  わたしの掟を離れ、それを守らなかった。
  立ち帰れ、わたしに。
  そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると
  万軍の主は言われる。
  しかし、あなたたちは言う
  どのように立ち帰ればよいのか、と。

投稿者 Blue Wind : 01:52 PM | コメント (0) | トラックバック

箴言 31. 8-9, 30

  あなたの口を開いて弁護せよ
  ものを言えない人を
  犠牲になっている人の訴えを。
  あなたの口を開いて正しく裁け
  貧しく乏しい人の訴えを。

  あでやかさは欺き、美しさは空しい。
  主を畏れる女こそ、たたえられる。

投稿者 Blue Wind : 01:43 PM | コメント (0) | トラックバック

ヨハネによる福音書 6. 60-71 永遠の命の言葉

  ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば・・・・・・。命を与えるのは”霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
  このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペテロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのことろへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。

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May 07, 2004

ヨブ記 31. 13-23

  わたしが奴隷たちの言い分を聞かず
  はしための権利を拒んだことは、決してない。
  もしあるというのなら
  神が裁きに立たれるとき
      わたしが何をしえよう。
  神が調べられるとき何と答えられよう。
  わたしを胎内に造ってくださった方が
      彼らをもお造りになり
  我々は同じ方によって
      母の胎に置かれたのだから。
  わたしが貧しい人々を失望させ
  やもめが目を泣きつぶしても顧みず
  食べ物を独り占めにし
  みなしごを飢えさせたことは、決してない。
  いや、わたしは若いころから
      父となって彼らを育て
  母の胎を出たときから
      やもめたちを導く者であった。
  着る物もなく弱り果てている人や
  からだを覆う物もない貧しい人を
  わたしが見過ごしにしたことは、決してない。
  彼らは常にわたしの羊の毛でからだを暖めて
      感謝したのだ。
  わたしが裁きの座で見方の多いのをいいことにして
  みなしごに手を振り上げたことは、決してない。
  もしあるというなら
  わたしの腕は肩から抜け落ちてもよい。
  肘が砕けてもよい。
  神の下される災いをわたしは恐れる。
  その怒りには堪えられない。

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May 06, 2004

マタイによる福音書 17. 24-27 神殿税を納める

  一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」

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ダニエル書 6. 1-29 獅子の洞窟に投げ込まれたダニエル

  さて、王国を継いだのは、メディア人ダレイオスであった。彼は既に六十二歳であった。ダレイオスは、王国に百二十人の総督を置いて全国を治めさせることにし、また、王に損失がないようにするため、これらの総督から報告を受ける大臣を三人、その上に置いた。ダニエルはそのひとりであった。ダニエルには優れた霊が宿っていたので、他の大臣や総督のすべてに傑出していた。王は彼に王国全体を治めさせようとした。大臣や総督は、政務に関してダニエルを陥れようと口実を探した。しかし、ダニエルは政務に忠実で、何の汚点も怠慢もなく、彼らは訴え出る口実を見つけることができなかった。それで彼らは、「ダニエルを陥れるには、その信じている神の法に関してなんらかの言いがかりをつけるほかはあるまい」と話し合い、王のもとに集まってこう言った。「ダレイオス王様がとこしえまでも生き永らえますように。王国の大臣、執政官、総督、地方長官、側近ら一同相談いたしまして、王様に次のような、勅令による禁止事項をお定めいただこうということになりました。すなわち、向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる、と。王様、どうぞこの禁令を出し、その書面にご署名ください。そうすれば、これはメディアとペルシアの法律として変更不可能なものとなり、廃止することはできなくなります。」ダレイオス王は、その書面に署名して禁令を発布した。ダニエルは王が禁令に署名したことを知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた。役人たちはやって来て、ダニエルがその神に祈り求めているのを見届け、王の前に進み出、禁令を引き合いに出してこう言った。「王様、向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者があれば、獅子の洞窟に投げ込まれるという勅令に署名をなさったのではございませんか。」王は答えた。「そのとおりだ。メディアとペルシアの法律は廃棄されることはない。」彼らは王に言った。「王様、ユダヤからの捕囚の一人ダニエルは、あなたさまをも、署名なさったその禁令をも無視して、日に三度祈りをささげています。」王はこれを聞いてたいそう悩み、なんとかダニエルを助ける方法はないものかと心を砕き、救おうとして日の暮れるまで努力した。役人たちは王のもとに来て言った。「王様、ご存じのとおり、メディアとペルシアの法律によれば、王による勅令や禁令は一切変更してはならないことになっております。」それで王は命令を下し、ダニエルは獅子の洞窟に投げ込まれることになって引き出された。王は彼に言った。「お前がいつも拝んでいる神がお前を救ってくださるように。」一つの石が洞窟の入り口に置かれ、王は自分の印と貴族たちの印で封をし、ダニエルに対する処置に変更がないようにした。
  王は宮殿に帰ったが、その夜は食を断ち、側女も近寄らせず、眠れずに過ごし、夜が明けるやいなや、急いで獅子の洞窟へ行った。洞窟に近づくと、王は不安に満ちた声をあげて、ダニエルに呼びかけた。「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか。」ダニエルは王に答えた。「王様がとこしえまでも生き永らえますように。神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません。」王はたいそう喜んで、ダニエルを洞窟から引き出すように命じた。ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。王は命令を下して、ダニエルを陥れようとした者たちを引き出させ、妻子もろとも獅子の洞窟に投げ込ませた。穴の底にも達しないうちに、獅子は彼らに飛びかかり、骨までもかみ砕いた。
  ダレイオス王は、全地に住む諸国、諸族、諸言語の人々に、次のように書き送った。「いっそうの繁栄を願って挨拶を送る。わたしは以下のとおりに定める。この王国全域において、すべての民はダニエルの神を恐れかしこまなければならない。
  この神は生ける神、世々にいまし
  その主権は滅びることなく、その支配は永遠。
  この神は救い主、助け主。
  天にも地にも、不思議な御業を行い
  ダニエルを獅子の力から救われた。」
  こうしてダニエルは、ダレイオスとペルシアのキュロスの治世を通して活躍した。

投稿者 Blue Wind : 11:28 PM | コメント (0) | トラックバック

イザヤ書 13. 4-5

  山々にどよめく音がする
  多くの民の集う物音が。
  もろもろの国が騒ぎ立ち
  諸国の民の集められる音がする。
  万軍の主が、軍勢を召集される。
  彼らは遠くの地から来る
  地平線のかなたから。
  主とその怒りの道具として
  この国を滅ぼし尽くすために。

投稿者 Blue Wind : 10:54 PM | コメント (0) | トラックバック

詩編 60. 3-7

  神よ、あなたは我らを突き放し
  怒って我らを散らされた。
  どうか我らを立ち帰らせてください。
  あなたは大地を揺るがせ、打ち砕かれた。
  どうか砕かれたところを癒してください
  大地は動揺しています。
  あなたは御自分の民に辛苦を思い知らせ
  よろめき倒れるほど、辛苦の酒を飲ませられた。
  あなたを畏れる人に対してさえそれを警告とし
  真理を前にして
      その警告を受け入れるようにされた。
  あなたの愛する人々が助け出されるように
  右の御手でお救いください。
  それを我らへの答えとしてください。

投稿者 Blue Wind : 10:50 PM | コメント (0) | トラックバック

マタイによる福音書 16. 16-19

シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにことのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国に鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上もつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

投稿者 Blue Wind : 03:03 AM | コメント (0) | トラックバック

ガラテヤの信徒への手紙 4. 21-31 二人の女のたとえ

  わたしに答えてください。律法の下にいたいと思っている人たち、あなたがたは、律法の言うことに耳を貸さないのですか。アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。ところで、女奴隷の子は肉により生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした。これには、別の意味が隠されています。すなわち、この二人の女とは二つの契約を表しています。子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。このハガルは、アラビアではシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、その子供たちと共に奴隷になっているからです。他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。なぜなら、次のように書いてあるからです。
  「喜べ、子を産まない不妊の女よ、
  喜びの声をあげて叫べ、
  産みの苦しみを知らない女よ。
  一人取り残された女が夫のある女よりも、
  多くの子を産むから。」
ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、”霊”によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである」と書いてあります。要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。

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May 04, 2004

エゼキエル書 11. 1-21

  霊はまた、わたしを引き上げ、主の神殿の東に面する東の門へ運んで行った。門の入り口に二十五人の男がおり、その中に民の指導者であるアズルの子ヤアザンヤとベナヤの子ペトラヤがいるのをわたしは見た。主はわたしに言われた。「人の子よ、この人々はこの都の中で悪をたくらみ、悪い計画を立てている。彼らは、『家をすぐに建てる必要はない。この都は鍋で、我々は肉だ』と言っている。それゆえ、彼らに向かって預言せよ。人の子よ、預言せよ。また、主の霊がわたしに降り、主は言われた。あなたは言わねばならない。主はこう言われる。イスラエルの家よ、お前たちはそのように言い張っている。わたしはお前たちが心に抱いていることを知っている。しかし、お前たちはこの都の中で殺される者を数多く出し、路上は殺された者で満たされる。それゆえ、主なる神はこう言われる。お前たちがこの都の中に積み上げる殺された者こそ、その肉にほかならず、都は鍋である。しかしわたしは、お前たちをそこから引き出す。お前たちは剣を恐れているが、わたしはお前たちの上に剣を臨ませる、と主なる神は言われる。わたしはお前たちをそこから引き出して、異国人の手に渡し、お前たちに対する裁きを行う。お前たちは剣に撃たれて倒れる。わたしはイスラエルの国境でお前たちを裁く。そのとき、お前たちは、わたしが主であることを知るようになる。この都が、お前たちにとって鍋となることはない。お前たちがその中で肉となることもない。わたしは、イスラエルの国境でお前たちを裁く。そのとき、お前たちは、わたしが主であることを知るようになる。お前たちはわたしの掟に従って歩まず、わたしの法を行わず、かえって周囲の国々のならわしに従ってきた。」わたしが預言していると、ベナヤの子ペトラヤは死んだ。わたしは倒れ伏し、大声で叫んで言った。「ああ、主なる神よ。イスラエルの残りの者を滅ぼし尽くされるのですか」と。
  主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、エルサレムの住民は、あなたたちの兄弟たち、すなわちあなたの親族である兄弟たち、およびイスラエルの家のすべての者に対して言っている。『主から遠く離れておれ。この土地は我々の所有地として与えられている。』それゆえ、あなたは言わねばならない。主なる神はこう言われる。『確かに、わたしは彼らを遠くの国々に追いやり、諸国に散らした。しかしわたしは、彼らが行った国々において、彼らのためにささやかな聖所となった。』それゆえ、あなたは言わなければならない。主なる神はこう言われる。『わたしはお前たちを諸国の民の間から集め、散らされていた諸国から呼び集め、イスラエルの土地を与える。彼らは帰って来て、あらゆる憎むべきものと、あらゆる忌まわしいものをその地から取り除く。わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。彼らがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。しかし、憎むべきもの、忌まわしいものに心を寄せている者には、彼らの行ってきたことが頭上にふりかかるようにする』」と主なる神は言われる。

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コリントの信徒への手紙 12. 11-21 コリントの教会に対するパウロの心遣い

  わたしは愚か者になってしまいました。あなたが無理にそうさせたのです。わたしが、あなたがたから推薦してもらうべきだったのです。わたしは、たとえ取るに足りない者だとしても、あの大天使たちに比べて少しも引けは取らなかったからです。わたしは使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証しています。あなたがたが他の諸教会よりも劣っている点は何でしょう。わたしが負担をかけなかったことだけではないですか。この不当な点をどうか許してほしい。わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。わたしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです。わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、わたしの方はますます愛されなくなるのでしょうか。わたしが負担をかけなかったとしても、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています。そちらに派遣した人々の中のだれによって、あなたがたをだましたでしょうか。テトスにそちらに行くように願い、あの兄弟を同伴させましたが、そのテトスがあなたがたをだましたでしょうか。わたしたちは同じ霊に導かれ、同じ模範に倣って歩んだのではなかったのですか。
  あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、これまでずっと思ってきたのです。わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです。わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか。再びそちらへ行くとき、わたしの神があなたがたの前でわたしに面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか。

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ルカによる福音書 17. 1-10 赦し、信仰、奉仕

  イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
  使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。
  あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐに来て食事の席に着きなさい』という者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕をしてくれ。お前はその後で食事をしないさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

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May 03, 2004

マルコによる福音書 9. 8

弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。

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テモテへの手紙 2. 1-13 キリスト・イエスの兵士として

  そこで、わたしの子よ、あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい。そして、多くの証人の面前でわたしから聞いたことを、ほかの人々にも教えることのできる忠実な人たちにゆだねなさい。キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい。兵役に服している者は生計を立てるための仕事に煩わされず、自分を召集した者の気に入ろうとします。また、競技に参加する者は、規則に従って競技をしないならば、栄冠を受けることができません。労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。わたしの言うことをよく考えてみなさい。主は、あなたがたのすべてのことを理解できるようにしてくださるからです。
  イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。次の言葉は真実です。
  「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、
      キリストと共に生きるようになる。
  耐え忍ぶなら、
      キリストと共に支配するようになる。
  キリストを否むなら、
      キリストもわたしたちを否まれる。
  わたしたちは誠実でなくても、
      キリストは常に真実であられる。
  キリストは御自身を
      否むことができないからである。」

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ルカによる福音書 15. 31-32

すると父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』

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May 02, 2004

マタイによる福音書 12. 1-8 安息日に麦の穂を摘む

  そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にはならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」

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マタイによる福音書 15. 3-9

そこで、イエスはお答えになった。「なぜ、あなたたちも自分の言い伝えのために、神の掟を破っているのか。神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。それなのに、あなたたちは言っている。『父または母に向かって、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物にする」と言う者は、父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。偽善者たちよ、イザヤは、あなたたちのことを見事に預言したものだ。
  『この民は口先ではわたしを敬うが、
  その心はわたしから遠く離れている。
  人間の戒めを教えとして教え、
  むなしくわたしをあがめている。』」

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フィリピの信徒への手紙 4. 10-20 贈り物への感謝

  さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
  フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教を初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

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コリントの信徒への手紙 13. 1-3

  たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしには何の益もない。

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May 01, 2004

使徒言行録 12. 1-5 ヤコブの殺害とペトロの投獄

  そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。

投稿者 Blue Wind : 04:30 PM | コメント (0) | トラックバック

エレミヤ書 48. 35-39

  わたしは聖なる高台で献げ物をささげ、神々に香をたく者をモアブの国から一掃する、と主は言われる。それゆえ、わたしの心はモアブのために笛のように嘆く。わたしの心はキル・ヘレスの人々のために笛のように嘆く。モアブが築いた富は消えうせたからだ。みな髪をそり、ひげを落とし、手に傷をつけ、身に粗布をまとう。モアブの人々は皆、どの屋上でも広場でも泣き悲しんでいる。だれも好まない器を砕くように、わたしがモアブを砕いたからだ、と主は言われる。なんという破滅か。嘆くがよい。ああ、モアブは恥じて背を向ける。モアブは周囲の国々の笑いの種となり、驚きとなる。

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ルカによる福音書 11. 8-13

  「しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探すものは見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

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エフェソの信徒への手紙 4. 7-16

  しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。そこで、
  「高いところへ昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、
  人々に賜物を分け与えられた」
と言われています。
  「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。

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マタイによる福音書 28. 16-20 弟子たちを派遣する

  さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

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使徒言行録 13. 44-52

  次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。しかし、ユダヤ人はこの群集を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。
  『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、
  あなたが、地の果てにまでも
      救いをもたらすために。』」
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。ところが、ユダヤ人は神をあがめる貴婦人たちや町の主だった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。

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