クリスマスのミサはどうするのかと思い、Mさんに尋ねた。
すると、
----うちは、クリスチャンだけどクリスマスのお祝いはしないクリスチャンなんです。
と言われた。
まさかと思っていたら、あっさり、
----エホバの証人です。
と言われた。
Mさんはお母さんの代からで、フィリピン人のご主人はおじいさんの代からエホバらしい。そもそもフィリピンで出会ったというのも、エホバの青年大会がフィリピンであり、そのとき世話役をしていたのがMさんのご主人。
そんなものなんだろうなぁ・・・と思いつつ、看護師のOさんが辞めた後でよかったと胸をなでおろす。あの世代からすると、カトリックも新興宗教と同じような感覚だから、エホバなどというと嫌悪感すら持っているし・・・
その一方で、クリスマスもすっかり年中行事になり、クリスチャンでなくても子どもはクリスマスの行事が多くなり、親も忙しい。クリスチャンのMさんはクリスマスは何もせず、クリスチャンでない新しい看護師のIさんは子どもの行事があるから新年までお休み。
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いつからバイオリズムが狂い始めたのだろう?
今にして思うと、インドネシア人の神父さんがお休みで、アメリカ人の神父さんが代わりに勉強会を担当してくださったときからだ。
率直に語ると、創価学会でもプロテスタントでも熱心な信者さんを知っているけれども、全然そういうのとは違うから・・・
AさんやTさんが、寄付すれば病気が治るなんてバカなことを言うか?
そういう話はまるで無関係な人たちから聞くことはあるけれども、わたし自身は勧誘されたことも寄付しろと言われたこともなく、かといって特に何かを否定するわけでもないので・・・
で、Mさんはエホバ・・・だと。
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こういうときには、娘に訊く。
----仏教とキリスト教とどっちが好き?
----キリスト教。だって、まだキリスト教のほうが信仰心が持てるような気がするから。
・・・だってさ。
わかりやすくて、子どもは。
たしかに信仰心がなかったら、お寺も教会も単なる観光スポットだし・・・
クリスマスも年中行事の一つにすぎない。
Mさんに、「クリスマスを祝わないクリスチャンなんです」と言われたとき、ドキッとした。で、逆にエホバの人たちに対する偏見は消えた。
純粋なんだよね・・・
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先週の勉強会。
わたしの寝坊が原因で(何時まで寝てるんじゃ!!)、1時間の遅刻。
ミサにも行かない。
怠惰なわたし。
あげく、神父さんに、
----カトリックの教会はどこも同じなんですよね?
と訊いた。
つまりは、このところアクティフを求められるため、わたしがあの教会を好きになれない理由・・・
つまらないことなんだけど、おミサをごミサと言うから、と率直に言った。
本当にバカらしいことなんだけど、その瞬間、何かどこかが違うと感じてしまう。
そこで、土浦の教会に行けばと勧められたので、何となくお昼を食べた後、行ってみた。
なつかしい。
初めてだけど、なつかしい。
白人のおじいさんがいちごをお供えして祈っていた。
みそらの父よ
み名が聖とされ
みくにが来ますように
みそらのみこころが
地にもなされますように
生きる糧を今日もお与えください
そしてわたくしたちの罪をもおゆるしください
わたくしたちも罪をゆるします
わたくしたちをこころみにあわせず
悪からお救いください
アーメン
いろいろ考えているわけ・・・
先々週は神父さんのご都合で、いつものインドネシア人の神父さんではなく、アメリカ人の神父さん。勉強会と言っても神父さんによっていろいろやり方が違うそうで、アメリカ人の神父さんの勉強会のときには、わたしは講義を受けるようにふむふむ聞いていた。
どうして(アメリカ人なのに)プロテスタントではなくカトリックなのかという話から始まって、神父と牧師の違いや、同じ病室にいた創価学会の信者とカトリックの信者の違いの話、希望の話、などなど、わたしはさらさらと聞いていた。
牧師は私立の学校の先生のようなもので、神父は公立学校の先生みたいなものだということはわかった。プロテスタントの教会では、牧師に人気がないと信者は集まらないし、集まらないどころか、人気のある牧師を自分たちの教会に招くそう。御ミサも牧師さんによってまるで違うし、話の内容もまるで違う。私立の学校の先生というより、予備校の講師みたいなものだ。
その点、カトリックはどこでも御ミサは同じだし、神父さんによってあれこれ言うことが違う、ということもない。少なくても信徒による神父のリストラの話は聞いたことがない。
癌末期で同じ病室に入院していたおばあさんと若い女の子の場合、おばあさんは寄付をすれば病気が良くなると言われ、それを信じていたが、結局、最後にはお地蔵さんをポキッと折って怒って死んでしまった。女の子がどうなったかは知らないが、彼女は希望を持っていたから・・・と言う。つまり、復活を信じて亡くなった、という意味か・・・
希望を失って亡くなったおばあさんと、希望を持って亡くなった女の子と、希望、というのはそういう意味なのか、と、そこはわたしのテリトリーではないような気がして、生きる、ということが、死後も生きる、という矛盾のある言葉の組み合わせに、躓きもせず、さらさらと聞き流していたような気がする。
先週は、職員のお子さんが急病で、代わりに急に出勤しなければならなくなり、すっかり勉強会のことを忘れてしまっていた。(すみません・・・今週はどうなるのでしょうか)
死後も生きるということが希望なんだなぁ・・・と、なんとなく無気力なあたし。
疲れてるのかな。
だからなんなのさ、というのは、いかんなぁ。
近頃、多すぎ・・・
特に、若い子。
看護師が採血しようとすると、腕が切り傷だらけとか。
多すぎ。
ちなみに、バイトの院生Fに訊いたら、「多いんですよ・・・」という具合。
学生は欝チェックを毎年受けるらしい。
それにひっかかるとカウンセリングルームへ。
院生Fがほかの子に訊いた話によると、「すっきりするから」やるらしい。
自殺するなら手首だろうが、そうじゃなくて腕を切っている。
つまり、本気で自殺するとかではなくて、むしゃくしゃするとスパッとやる。
そのうちそれがクセになり、腕が切り傷だらけ。
いいんだけどね、別に。
ある日、受付でずっといちゃもんをつけている人がいて、看護師が応対しているところにわたしが呼ばれた。で、しばらくすると、おとなしくなって帰って行ったので、みんなが不思議がる。
要するに、だま〜〜〜って立っていただけなんだけど、どうして黙って立っていただけで帰って行ったのかを説明するのがめんどうなので、「こころがないから」と答えておいた。こころがないから、みんなが反応するのをみて、反応するような言葉を発しているだけのことなので、ロボットのように無反応でいたら自然と消えるだけのこと。
それだけなんだよね・・・
看護師のFちゃんが、「ああいう荷物の多い人はナイフとかを持っているんですよ」などと言うから、大騒ぎ。別にテロリストには見えないけど・・・
今日の子は吐き気が止まらないというから奥で点滴しようとした看護師が腕をみて、「あの人おかしい」と呼びに来た。普通だったら誰かに薬局へ行ってもらって薬を先に飲んでもらう。でも、彼女一人だけだったので、代わりに誰かが行こうと思って声をかけたのだけど、なんか通じない。で、「あの人おかしい」と。
でも、今日の子は、そんなにおかしいわけではなく、話が通じないわけでもない。「(点滴が終わるまで)寝ててね」と言ったら、おとなしく寝てしまった。なのに、看護師が様子をみに行くから、また「吐き気がとまらない」のくりかえしになる。
この前の子は、喉の奥がつかえている、の一点張りで、うちに来る前に耳鼻科で診察を受け、それでも治らないから胃カメラをしてほしいと言う。実際に本人の目の前で何もないことがわかっても、それでも治らないというから変だ。で、精神科の受診を勧めたら、すでに通院しているという。(先に言え、それを!という感じ)
そういう時代なんですかね・・・
エアパシフィックが来年の3月をもって日本への直行便の運航を停止することになった。その代わりに香港へ飛ぶという。
そういえば、去年の夏はガソリン代の値上げで航空運賃が跳ね上がり、旅行のキャンセルや近場の旅行に切り替える人たちが多かったという話。わたしはぎりぎり3月中に航空券を買っていたので、ここ数年のレベルで納まった。フィジーへの旅行者もずいぶん減ったらしい。
それでは、タヒチはどうかといえば、タヒチへの旅行者の口コミ情報によると、アジアへ行くのと変わらないなら無理にタヒチに行く必要を感じない、とまで書いてある。ニューカレドニアなら、もっとほかの地域のほうが充実しているような気がしなくもない。
なんか、こう、想像もしていなかったところで、世の中の不景気を感じてしまう。
国内の物価が安いので、近頃では海外で買い物することもめっきり減った。娘が小遣いでロングブーツを買ってきて、昔だったら1万円以上したであろう品物が2000円程度で買えることに驚く。どうせ中国製だろうとは思うが、食べものではないし、本人が気に入っているのだから別に・・・
気にしない、気にしない。
もともとほかに楽しみもないし、旅行が好きだから行くわけだし、わたしがあれこれ考えたからといって世の中が変わるわけでもないし、自分のことだけで精一杯。
Fさんはスリランカ銀行に預金があり、利息だけでもスリランカへの航空運賃が出るという話だし、Mさんはフィリピンに送金したら円高でいつもよりも金額が増えて喜んでいる。娘は小遣いでブーツを買って喜んでいるし、わたしひとりが南太平洋は高いとぼやいている。