August 24, 2007

夏の終わり

午前はともかく午後はとにかくヒマ。極端に患者さんが少ない。
わたしはその時間帯は家にいるので実際にはあまりつらくないが、看護師たちがへたっているのが何となくわかる。「忙しいほうがいいよ〜」とぼやかれても、こればかりはナンともはや・・・ただでさえ暑いのに、一日中で一番暑い時間帯に誰が動くのさ?? 熱中症を起こしそうなほど暑いときには、やたらと動きまわらないほうがよっぽど健康的な気がする。車の中だって死にそうに熱い。街路樹ですら枯れかけているような気がする。
・・・・・とわかっていても、閉めるわけにはいかないつらさ。来ない人をひたすら待つつらさか??(あーつらい)
ここは忍耐強く、何千年もメシアを待っているユダヤ人の忍耐強さを学ばねば・・・
それに比べれば、日中のヒマさなんて・・・と思わなければやってらんない。

地球温暖化と騒いでいても、実際には南の島のほうが涼しいってどうよ?
暑さだけでも試練なのに、どうもこの異常気象という言葉にはまいってしまう。

最近の気になるニュースは、甲子園で佐賀北高校が優勝したことと、中華航空の話題。
強豪を破って、初出場で初優勝。ふつうの県立。久しぶりにスカッとしたニュースだった。
中華航空はなんと言ったらよいのだろう・・・乗客は確かに危機一髪で全員無事だったけど、一歩間違えば大惨事。最後まで残っていた機長は果たして英雄なのだろうか? 日本だったらこの辺で、航空会社の危機管理についてのバッシングがメインになるところが、逆に機長の英断がトップニュースとして台湾では話題になっているらしい。何となく釈然としないけど、台湾からの観光客が減るよりもましな気もする。
が、しかし、わたし的には中華航空には乗りたくないが。
関空への臨時着陸も、名古屋空港で35分間着陸できなかったことが原因らしい。それを燃料不足と伝えるか、安全を考慮した機長の英断ととらえるかでは、ずいぶんニュアンスが違う。

報道の仕方一つ比較しても、同じ出来事がまるで違う出来事のよう。一つわかったのは、日本の報道はネガティブな側面ばかり伝える傾向があるということ。そんなニュースばかり眺めているから、異常気象なんていう言葉が先行するのかも。

***

娘はウキウキしながら研修旅行へ行ってしまった。京都と奈良で歴史のレポート。
ベトナム帰りの患者さんが2名。食あたり。ベトナムの油は濃厚らしい。
ミャンマー人が日本の企業に勤めて海外赴任ってどこへ行くのだろう?
濃厚な時代。

投稿者 Blue Wind : 12:35 AM | コメント (0) | トラックバック

August 22, 2007

時間減少

近頃、自分の時間が極端に減った気がする。
自分の時間というのがどういうものなのかわからないけれども、おそらくは好きなことをやっている時間のことなのかもしれない。好きなサウンドを聴いたり、ウェブで遊んだり、・・・?

仕事はおもしろくない。
楽しいこともあるけれども、気を使う場所でもあるし、明るくても暗くてもどこかうしろめたさがあり、結局マネージメントを1人でやっているせいか、保険診療は別として、自由診療などはこれでよいものかと思案するところはほかの商売と同じ。それでいて、そういうものだとすっきり割り切れない職種でもあり、そういうものに巻き込まれてしまったことに対する後悔も多々ある。今さらぼやいても仕方がないけど・・・

ある開業医の先生が言っていた、「病院勤めの頃は患者を待たせる側だったけど、開業したら待つ側なんだよ」と。看護師ですら、「忙しいのは苦にならないけど仕事がないのがつらい」と言う。

皆、忙しい生活をしていたのだと感心してしまうが、おそらくはそうやって気が張り詰めていたほうが気がまぎれるのかもしれない。余計なことを考える時間もする暇もないし、毎日やることが山ほどある。

が、しかし・・・
わたしは違うもん。
そうやって気が張るような生活はストレスだらけだし、できれば自由に過ごしたい。ただ何をしたい、というわけではないけれども、何となく毎日が過ぎてゆき、ヒマならヒマなりに結構やることも多い。家にいて何が楽しいのかわからないと言われ、そうやって言われればその通りなのだが、時間が余るからといって特に退屈するわけでもないし、少なくてもヒマだけど退屈していたわけではない。むしろその逆。家にいるほうが退屈しないですむ。

仕事は退屈だ。
毎日決まった時間に決まったことをやるだけだし、その時間がヒマだからといって勝手に抜け出すわけにもいかない。楽しくないわけではないが、時間に拘束されているという意識が頭のどこかにあり、それが仕事というものなのかもしれないと、近頃になってようやくあきらめに近いものを感じ始めた。

だったらどうやったら楽しくなるかを考えているのだけど、あまり楽しそうにしていると変に思われそうだ。医療の人たちは忙しくしていればいるほどいつも誰かのために何かをしているという意識がほかの仕事よりも高いと思う。社会に貢献したいという気持ちがなければ続かない仕事なのかもしれない。

が、しかし、開業ってどうよ?

どうやったら患者さんが来てくれるかをまじめに考えているのは、わたしだけかもしれない。何かどこか感性が違う。
少しゆっくりそういうことを考えたいのだけれども、あまり考えるとウツウツしそうだ。
今まで忙しかった人たちが、そういうことに慣れるまで、3年くらいかかるのかもしれない。

投稿者 Blue Wind : 03:17 AM | コメント (0) | トラックバック

August 19, 2007

暑かったのだろうか・・・

ちょうど一週間グアムへ行って来た。雨季で、前半はお天気に恵まれず、スコールだからすぐに止むだろうと思っていたけど、最低でも数時間は降り続く。このためうだうだしながら部屋でテレビを観ていたら、釧路で40度を越す猛暑だとニュースで言っていた。その時は、「へぇ〜」と思っただけ。

海に近いのに風がないせいか、本当に雨が降っているかどうか、外へ行かないとよくわからない。バルコニーへ出ても濡れるわけでもないし、蒸し暑さは日本と変わらない。夜通し落雷があったみたいだけど、音が聴こえるほうがめずらしい。空が光っているのに音がしないのは、窓の向こうの大半が海だからか。

混みあう季節のはずなのに、ビーチもプールもショッピングセンターも空いているし、そういう時に混雑しているのはショッピングモールのフードエリアだけかも。ほぼ満席の状態が慢性的に続いている。大半は地元の人たちで、家族や友人で何時間も座って話している気配。

タモンは街中に日本語と韓国語の看板が目立ち、ホテルのテレビも日本語と韓国語の放送が流れていた。ランチ付のジェットスキーのツアーに行ったら、ランチのメニューがスペアリブと白米で、つけあわせにキムチが2品とノリのようなものが1品。不思議な取り合わせだった。

鉄板焼きの店に行ったが、メニューには日本語で和牛と書かれていたのに、どう考えても和牛とは思えない。理由は少し臭みがあったから。マスタードを出された。ポン酢もどきで食べるよりもマスタードで食べるほうが美味しかった。味噌汁もインスタントっぽかったし・・・それでも混んでいるところが不思議だった。

スーパーで買った卵の黄身の色が日本と違う。日本の卵のほうがオレンジがかっている。味も淡白。消費期限も書かれていない。グアムの料理は塩味が薄く、濃厚に甘いものが多い。暑いのに汗をあまりかかないのにはそのせいかもしれない。いや、実際にはあまり暑くなかったのかも・・・

***

夜、成田に到着。外は涼しい。
が、しかし、家に戻ったらエアコンが故障したのではないかと思うほど、蒸し暑かった。

翌朝、熱中症で56人が亡くなったという報道が・・・
看護師に訊いたら、わたしたちがグアムにいる間、連日猛暑が続いていたそう。で、空がオレンジ色になるほど(?)の落雷があり、ちょうどそれが終わった頃に涼しくなり、涼しくなった頃にわたしたちは戻ってきたらしい。

それにしても寝ているうちに熱中症になるというのがいまいちわからず訊いたら、日射病と熱中症の違いを教えてくれた。日射病というのはいわゆる日射病で、罹ってしまったら水分を取ったり、クーラーで体を冷やしたり、あるいは脱水を起こしていれば点滴をするが、熱中症というのは外気の温度が高温のために体温が異常に上昇しているのが原因なので、うっかり点滴したりするとそのまま死んでしまうそう。だから、氷で首の後ろやわきの下を冷やしたり、濡れた毛布をかけたり、ひたすら体温を下げるしかない。処置がまるで違うので、うっかり間違うと大変なことになる。

この前、バスの中で熱中症を起こしていた赤ちゃんの場合も、職員が日射病と熱中症とを取り違えていたため起こった悲劇だそう。日射病ならエアコンで冷やしたりすると良くなるが、熱中症の場合はそんなことでは治らない。血液の温度が上昇しており、それが原因で一瞬にして亡くなってしまうそう。

何となく、デカン高原の話を思い出した。大昔、インドのデカン高原では毎年100人以上の死者が出て、人々は水をかぶりながら寝るという話を読んだことがある。その時には遠い国の出来事だと思っていたが、それこそ暑い夜には水風呂にでも入って体温を下げるしかないのかも。が、しかし、グアムの夜のプールは日中よりも生ぬるかった。

投稿者 Blue Wind : 04:59 AM | コメント (0) | トラックバック

August 11, 2007

『沈黙』 遠藤周作著

この本を読んだ後に、ドラマ『はだしのゲン』を観たせいか、踏絵という発想と非国民という発想が連動し、集団と個の違いや、信念や心情や、それを拷問や死刑を含めた意味での暴力でねじまげようとする時代背景や、その他諸々宗教って何なのかとあらためて感じたのでした。

この小説の主人公は背教の司祭なのだが、ユダになぞらえるようにキチジローが出没する。彼は弱いがゆえに踏絵も踏むし、誰をも裏切る。それでいてずっと転んだ司祭のそばでずっと生涯を終える。それでは転んだ司祭が本当に棄教したのかと言えばそれもどこか中途半端で、キチジローですら時代が時代なら単なる陽気な切支丹にすぎなかったのかも・・・という小説本文中の回想もどこかシニカル。生まれた国によって自然と宗教が決まってしまうというのも事実だろうし、それを無理にねじまげようとすると、非国民的な集団からの逸脱とみなされる。それでは本当に宗教によって国がキープされているかと言えば、本当は違うのかもしれない、という疑念がいつもつきまとう。

お盆の季節になると、人は戦争を思い出し、ほかの蝉がうるさく鳴く中で、羽を広げて道路に落ちている蝉を眺めることになる。おそらくは自然死なのかもしれないし、アクシデントがあったのかもしれない。蝉の一生は短く、夏とともに彼らの鳴き声も聴こえなくなってしまう。それでいて、夏になると再び蝉のうるさく鳴く暑さを迎える。

自民党が大敗した。おそらくは年金のことよりも、「しょうがない」発言のほうが静かな影響力を持っていたような気がしてならない。憲法改正や教育基本法の改正のほうが遥かに人の気持ちの中に波が引くような感情をもたらした。怒りではない。ただ、静かなる否定。むしろ、無視に近い何かすら感じた。

毎年毎年蝉の鳴く季節を迎えると、蝉は死に、また蝉の季節が訪れることに気がつく。

暑い季節、教会へ行くと、娘が言うのは、「わたしはクリスチャンではないから行きたくない」という台詞と、「この教会はいつも誰もいないね」という言葉。人の気配のない教会にも慣れてしまい、それでいて入り口が封鎖されているわけでもなく、ただ、人は皆それぞれ忙しいのだという気持ちにさせられるだけ。それでも何か行事があるときには誰かいるのだろう。が、しかし、誰もいないというのもさっぱりしていていいものだ。神さまとだけお話できる。

誰もいない教会に慣れてしまいそうだ。それでも踏絵の時代に比べれば実に平和。

投稿者 Blue Wind : 12:55 AM | コメント (0) | トラックバック