January 01, 2004

小野小町と平安朝

レンタルショップの払い下げCDを大量でゲットしたせいか、日頃あまり聴かないジャポップを聴くようになってしまっている。元日に平井堅を聴きながらサイトを更新していると、本当に今がお正月なのか悩む。新春スペシャルに(ほんとか?)、百人一首でもと思って歌を眺めていても気が乗らない。元来、自分が和歌や日本の古典があまり好きではないと本能のように感じるルーツがこの辺にあるような気がするくらい気が乗らない。
陽成院の「筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる」という歌は嫌いではない。でも、エピソードがすごいもの・・・動物をたくさん飼い、蛇に蛙を、猫に鼠を、最後には人まで・・・となって退位させられてしまったとある。お正月早々に、こういうのをカルタとして遊んでいるわけですね・・・わが国は。そういうことを鬱々しながら考えると、自分がどうして和歌が嫌いなのか説明するまでもないような気がするくらいだ。なのに、どうして短歌を詠んでいるのか、これまた人生のあやとしか考えられない。

大晦日をどうして格闘技で迎えないとダメなのかよくわからないけれども、今朝ダンナがスポーツ紙を買ってきていた。テレビを観ていたはずなのにまるで覚えていないらしい。(あほ!) まあ、酔っ払って眠いのをヘロヘロになりながら我慢しながら観ていたわけだから、それも仕方がないのかも。
それにしても、K1。あっけなく曙は負けた。
あの負けっぷりの気持ちよさは曙の現役時代からだから、さほど気にならない。でも、不意に思ったのは、「明日の取り組みはないんだな」ということ。大相撲なら15日間続くので、今日負けても明日がある。横綱が負けたら負けたで、それこそ金星だから勝ったほうはうれしそうにしている。だから、負けても爽快感すらある。でも、ボクシングやほかの格闘技には明日がない。トーナメントや団体戦なら別なのかもしれないけど、大相撲というのは個人技の世界でありながら団体の世界なのだということを改めて感じてしまったのです。

短歌と詩の違いにも似ていると、ちょっと思った。
歌人は一人の世界だと思ってきたのだけど、実はそれは大相撲のようなもので、土俵の上は一人だけど、序二段あたりの体育館相撲の閑散とした様子から始まり、それこそ幕内くらいにならないと一般的にイメージするような相撲の形態にはならないような階層化された集団社会なのかもしれないと思った。相撲も和歌も団体競技ではないけれども、決して一人の世界ではないというところがとても日本的?
詩は、どちらかというとボクシングやほかの格闘技に近いのかもしれない。明日がない。一人なら一人の世界であり、横綱でさえ全勝優勝というのはめずらしいのだからという甘えがゆるされない。
甘えだろうか?
相撲は厳しい世界であるには違いないけれども、それでいてどこか負けに対するキャパがある。うちのダンナでさえ、「曙は次にはやってくれる」などと、あの惨敗ぶりを見てもそういう調子だもの。まあ、現役を離れて、復帰2ヶ月でまるで違う競技への挑戦だし、相手がボブ・サップ。考えてみたら無謀だったのかもしれない。それでも、あの負けっぷりは観ていて逆にさっぱりしてしまった。

自分の場合、詩は遅筆だ。めったに書かない。歌は機関銃だ。本当に短歌なのかどうかわからないような歌まで雑じっているけど。
それで、さっきまで百人一首から始まり、小野小町の歌を調べていたのだけれど、おっそろしいほど数が少ない。実際にはおっそろしいほど詠んでいたと思うのに、伝えられているのはわずか。
小野小町伝説なども読みながら、時代が遡るほどに、勝手にあれこれ言われていたのだということがわかる。歌を見たら、それが出鱈目だということがわかるような気がするけど、もう本人はいないのだから返す言葉はないのかもしれない。でも、世の中というのは酷い。
小野小町の歌のよいのは、あの鬱々とした雰囲気なのかも。在原業平に追い掛け回されたとか、あれこれいろいろなエピソードもあるけれど、姉ちゃんとみれば恋文などをせっせと書くようなタイプが単に嫌いだったのかもしれないし、平安朝の自由恋愛とは言うけれど、なんで天皇に10人以上奥さんがいるわけ? 考えてみたらどこにも自由などないではないか。そういう中で人目を偲ぶような歌が多く交わされたというだけなんでしょうし、中にはそういうのが流行していたからという理由で詠まれた歌も多いでしょうし、それでいて、小野小町の歌は好きだ。
一説によると、小野小町というくらいだから、小野さん家のお嬢さんで、更衣だったという噂。つまりは、ぎりぎりのラインで天皇の奥さんだった? 何をもってしてぎりぎりかというと、奥さんの半数くらいは有力な家からの縁組だから、そういう中で末端として縁組がなされる。それでいて、平安朝・・・・天皇は怖いけど、隠れてせっせとラブレター。精神が腐ってしまっても不思議はない。
そういうのが当たり前だと思うには、彼女は田舎育ちだったのかもしれないし、最初からそれしかないと思えば我慢もできたかもしれないけれど、なまじかほかの世界を知っているだけに耐えられないだろうな。
というわけで、都を逃げ出し、田舎へ。そして、そこで純愛。ところが、深草少将との悲恋。99本の芍薬。その時、99首の歌を詠んだというのだけれど、それはどこにあるのだろう・・・


◇小野小町の歌
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に
色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける
今はとて我が身時雨に降りぬれば事のはさへにうつろひにけり
秋風に逢ふたのみこそ悲しけれ我が身空しくなりぬと思へば
みるめなき我が身をうらと知らねばやかれなて海人の足たゆく来る

人に逢わむ月のなきには思ひおきて胸走り火に心焼きけり
わびぬれば身をうき草の根をたえてさそふ水あらばいなんとぞ思ふ
おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我はせきあへずたぎつせなれば
岩の上に旅寝をすればいと寒し苔の衣を我に貸さなむ
九重の花の都に住まわせではかなや我は三重にかくるゝ

◇小野小町の夢六首
思いつつ寝ればや人の見えつらん夢と知りせば醒めざらましを
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき
いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る
うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人目をよくと見るがわびしさ
限りなき思ひのままに夜もこむ夢路をさへに人はとがめじ
夢路には足もやすめず通へどもうつつに一目見しごとはあらず


要するに、小野小町は鬱だったということが何となくわかるでしょ?
そりゃ壮絶な生活の中で、歌を詠うことでしか何も語れなかったのかもしれないし、男嫌いというか・・・要するに、ハートのない歌とか、うわっつらだけの人とか、悲恋とか、鬱々しないほうがどうかしているかもしれない、平安朝は。

投稿者 Blue Wind : 11:08 PM | コメント (0)

September 13, 2003

集まると見れば離るる大空の雲にも似たるひとごころかな(明治天皇)

すごい・・・
6歳から詠み始めて、9万3032首。
明治時代が何年続いていたのか、祖母の生まれ年を思い出す。
たしかぎりぎり明治生まれという話だったから、43年とか44年だったような・・・
1日50首くらいお詠みになっていたのかも・・・
比較してはいけないけれども、1日10首くらい詠んでいただけでも決して少ないとは思われないわけだから、その数がいかに膨大であり、空前という形容詞が理解できますね・・・まさしく。
結局、歌というのは舞い散る言の葉の世界なのかもしれないとふと思う。
生涯で2首か3首くらいよい歌が詠めればよいと言われている理由も何となくわかる。

短歌が生活や日常と密接な関係があるのではなく、舞い散る言の葉の世界だから、日常を詠んでしまうというだけのことなのかも・・・

毎日毎日詠み続けていると、最初のうちは何となくネタがあるのだけれど、そのうちにネタが無くなってくる。
題詠というわけではないけれども、返歌をし合いながら詠み続けていたからお題に困らなかっただけであり、これを自分で続けるとなるとそれこそあらゆることを歌にしなければ歌など続けられないような気がする。

しかも、決められた文字数で概念やら気持ちやら描写やら情景やらを写すわけだから、暗黙の了解だけではなく、ごく自然に掛詞などを使うようになっていったのではないかと思うほどだ。
技法というのは先ではなく、常に便宜的に使われるようになるだけのような・・・
つまりは、それだけ舌足らずな世界であり、舌足らずであるからこその舞い散る言の葉なのよね・・・
かといって考えすぎればリズミカルに詠めなくなってしまう。
気分が乗ればそれこそすべてが歌になる。
さらさらさらさら言の葉が揺れては消えていくだけのことであり、それを留めるから短歌になるだけの話であり、そのリズムが単に57577であるだけのことのようにすら思える。


集まると見れば離るる大空の雲にも似たるひとごころかな(明治天皇)

をさなくてよみにし書を見るたびに教へし人をおもひいでつつ(明治天皇)


9万3032首の中から、自分のこころにやってきた御歌2首也。

投稿者 Blue Wind : 03:05 PM | コメント (0)

August 28, 2003

古今和歌集 仮名序 口語訳

やまとうたは
人のこころをたねとして
よろづのことのはとなれりける

----歌というのは、人の心の深いところの種となり無限の言の葉となっていった。

世の中にある人
ことわざしげきものなれば
心におもふことを
見るものきくものにつけて
いいだせるなり

----世の中の人たちはあれこれ考えすぎ。
何かを見たり聞いたり心に浮かんだことが自然と言葉となっていってしまう。

花になくうぐひす
水にすむかはづのこゑをきけば
いきとしいけるもの
いづれかうたをよまざりける

----花に鳴くうぐいす、水の中に住むカエルの声を聞いてごらん。
生きているものはどうやっても歌を詠まないではいられない。

ちからもいれずして
あめつちをうごかし
めに見えぬおに神をも
あはれとおもはせ
をとこをむなのなかをも
やはらげ
たけきもののふの心をも
なぐさむるは
うたなり

----力もないのに世界を動かし、目に見えない悪魔でさえも悲しみを知り、
男と女の仲も和らげる。
戦う者の心でさえも癒すのは歌だ。

このうた
あめつちのひらけはじまりける時より
いできにけり

----歌は世界が創造された時に生まれた。

しかあれども
世につたはることことは
ひさかたのあめにしては
したてるひめにはじまり
あらがねのつちにしては
すさのをのみことよりぞおこりける

----けれども、一般論としては、天の言葉としてはシタテルヒメに始まり、
鉄を伝えたスサノオノミコトが詠み始めたということになっている。

ちはやぶる神世には
うたのもじもさだまらず
すなほにして
事の心わきがたかりけらし

----神の時代には歌の文字も定まらず、素直すぎて、
それが歌であるのかどうかもわからなかったらしい。

ひとの世となりて
すさのをのみことよりぞ
みそもじあまりひともじは
よみける

----人の世となって、スサノオノミコトによって31文字で詠まれた。

かくてぞ
花をめで
とりをうらやみ
かすみをあはれび
つゆをかなしぶ
心ことばおほく
さまざまになりにける

----やがて、花を愛で、鳥を羨み、霞を憐れみ、露を悲しむようになり、
心を伝える言葉が増え、さまざまになっていった。

とほき所も
いでたつあしもとよりはじまりて年月をわたり
たかき山も
ふもとのちりひじよりなりて
あまぐもも
たなびくまでおひのぼれるごとくに
このうたも
かくのごとくなるべし

----遠きところも最初の一歩より始まり年月を費やし、高き山も麓の塵ひじからなり、
空の雲さえたなびくまで生まれ昇れるように、歌もきっと今のようになっていったのだろう。

なにはづのうたは
みかどのおほむはじめなり
あさか山のことばは
うねめのたはぶれよりよみて
このふたうたは
うたのちちははのやうにてぞ
手ならふ人の
はじめにもしける

----難波津の歌は、帝の即位を祝福したのが最初であり、
安積山の言葉は采女が戯れに詠んだものであり、
この2つの歌は父母のように文字を覚える人が最初に覚える歌となった。


(----以下、管理人)

投稿者 Blue Wind : 01:55 PM | コメント (0) | トラックバック