September 13, 2003

集まると見れば離るる大空の雲にも似たるひとごころかな(明治天皇)

すごい・・・
6歳から詠み始めて、9万3032首。
明治時代が何年続いていたのか、祖母の生まれ年を思い出す。
たしかぎりぎり明治生まれという話だったから、43年とか44年だったような・・・
1日50首くらいお詠みになっていたのかも・・・
比較してはいけないけれども、1日10首くらい詠んでいただけでも決して少ないとは思われないわけだから、その数がいかに膨大であり、空前という形容詞が理解できますね・・・まさしく。
結局、歌というのは舞い散る言の葉の世界なのかもしれないとふと思う。
生涯で2首か3首くらいよい歌が詠めればよいと言われている理由も何となくわかる。

短歌が生活や日常と密接な関係があるのではなく、舞い散る言の葉の世界だから、日常を詠んでしまうというだけのことなのかも・・・

毎日毎日詠み続けていると、最初のうちは何となくネタがあるのだけれど、そのうちにネタが無くなってくる。
題詠というわけではないけれども、返歌をし合いながら詠み続けていたからお題に困らなかっただけであり、これを自分で続けるとなるとそれこそあらゆることを歌にしなければ歌など続けられないような気がする。

しかも、決められた文字数で概念やら気持ちやら描写やら情景やらを写すわけだから、暗黙の了解だけではなく、ごく自然に掛詞などを使うようになっていったのではないかと思うほどだ。
技法というのは先ではなく、常に便宜的に使われるようになるだけのような・・・
つまりは、それだけ舌足らずな世界であり、舌足らずであるからこその舞い散る言の葉なのよね・・・
かといって考えすぎればリズミカルに詠めなくなってしまう。
気分が乗ればそれこそすべてが歌になる。
さらさらさらさら言の葉が揺れては消えていくだけのことであり、それを留めるから短歌になるだけの話であり、そのリズムが単に57577であるだけのことのようにすら思える。


集まると見れば離るる大空の雲にも似たるひとごころかな(明治天皇)

をさなくてよみにし書を見るたびに教へし人をおもひいでつつ(明治天皇)


9万3032首の中から、自分のこころにやってきた御歌2首也。

投稿者 Blue Wind : September 13, 2003 03:05 PM
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