やまとうたは
人のこころをたねとして
よろづのことのはとなれりける
----歌というのは、人の心の深いところの種となり無限の言の葉となっていった。
世の中にある人
ことわざしげきものなれば
心におもふことを
見るものきくものにつけて
いいだせるなり
----世の中の人たちはあれこれ考えすぎ。
何かを見たり聞いたり心に浮かんだことが自然と言葉となっていってしまう。
花になくうぐひす
水にすむかはづのこゑをきけば
いきとしいけるもの
いづれかうたをよまざりける
----花に鳴くうぐいす、水の中に住むカエルの声を聞いてごらん。
生きているものはどうやっても歌を詠まないではいられない。
ちからもいれずして
あめつちをうごかし
めに見えぬおに神をも
あはれとおもはせ
をとこをむなのなかをも
やはらげ
たけきもののふの心をも
なぐさむるは
うたなり
----力もないのに世界を動かし、目に見えない悪魔でさえも悲しみを知り、
男と女の仲も和らげる。
戦う者の心でさえも癒すのは歌だ。
このうた
あめつちのひらけはじまりける時より
いできにけり
----歌は世界が創造された時に生まれた。
しかあれども
世につたはることことは
ひさかたのあめにしては
したてるひめにはじまり
あらがねのつちにしては
すさのをのみことよりぞおこりける
----けれども、一般論としては、天の言葉としてはシタテルヒメに始まり、
鉄を伝えたスサノオノミコトが詠み始めたということになっている。
ちはやぶる神世には
うたのもじもさだまらず
すなほにして
事の心わきがたかりけらし
----神の時代には歌の文字も定まらず、素直すぎて、
それが歌であるのかどうかもわからなかったらしい。
ひとの世となりて
すさのをのみことよりぞ
みそもじあまりひともじは
よみける
----人の世となって、スサノオノミコトによって31文字で詠まれた。
かくてぞ
花をめで
とりをうらやみ
かすみをあはれび
つゆをかなしぶ
心ことばおほく
さまざまになりにける
----やがて、花を愛で、鳥を羨み、霞を憐れみ、露を悲しむようになり、
心を伝える言葉が増え、さまざまになっていった。
とほき所も
いでたつあしもとよりはじまりて年月をわたり
たかき山も
ふもとのちりひじよりなりて
あまぐもも
たなびくまでおひのぼれるごとくに
このうたも
かくのごとくなるべし
----遠きところも最初の一歩より始まり年月を費やし、高き山も麓の塵ひじからなり、
空の雲さえたなびくまで生まれ昇れるように、歌もきっと今のようになっていったのだろう。
なにはづのうたは
みかどのおほむはじめなり
あさか山のことばは
うねめのたはぶれよりよみて
このふたうたは
うたのちちははのやうにてぞ
手ならふ人の
はじめにもしける
----難波津の歌は、帝の即位を祝福したのが最初であり、
安積山の言葉は采女が戯れに詠んだものであり、
この2つの歌は父母のように文字を覚える人が最初に覚える歌となった。
(----以下、管理人)