まどろめば誰そ知るらん吾がこころ聖書のなかに目あり耳あり
冬バラの勢いの下倒れたる自転車のカゴ土を被りつ
少しずつ遠まわりせし道筋に楓散りゆき楓舞い吹く
木枯らしの気まぐれなるか流れ星雲のうえには流れんものを
見えずとも遠き流星落ちたれば地上に吾ら雲を眺めん
(ヨハネ 4. 35-38)
今日は、堅信式だった。
代母が病気で出席できず、代わりに母校の大先輩が代母を務めてくださった。昨日はお葬式だったにもかかわらず、6年ぶりの堅信式ということで高校生くらいの子たちが多く、いつもより賑やかだった気がする。
緊急連絡網の登録をしていなかったので、わたしはお葬式には出席しなかった。と言うのは、単なる言い訳か。
実は、木曜日に間違えて勉強会があると思い、教会へ行った際、お葬式があることを知る。名前を言われても誰のことかわからず、高齢者の方が亡くなったのかと思っただけだ。だが、実際には、少々心当たりがある。献堂式の際の実行委員長をしていて、今日、いつもいるはずなのにいない人、と言えば、あの人しかいない、と思う。それを考えると、お葬式には行くべきだったのかもしれない。あるいは、お手伝いとか?
何のインフォメーションもないのに、深く考えるのはやめた。
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去年は、まるで知らない人だらけだったので、案外、気楽だった。洗礼のときの写真を今日渡され、いなかったから渡せなかったと言われたが、御ミサにはぽつぽつ行っていて、いなかったというわけではない。代父がくすくす笑っていたが、わたしは存在感があるときとないときの落差が大きいらしく、イベントも好きではないし、仕事中に声をかけられるまで、誰も路傍の石に気がつかなかっただけだ。
堅信式は、結婚式の次に疲れるイベントだった。
でも、お葬式の後だというのに、たくさんの祝福をいただき、神に感謝。
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で、宿題。
聖書の中から、好きな言葉を選んで、司教様に葉書を送る。宿題は嫌いだが、皆がやる、あるいはやったというので、わたしも適当に選んで、すでに投函してしまった。読むのは新約聖書だけでよいのではないかと、誰かがアドバイスをしてくれたが、わたしは好きなのは、やはり詩編とコヘレト。聖書は毎日読んではいるが、あるいは、正確には毎日開いてはいるが、好きな言葉となると思い浮かばないことに気づく。
見よ、どれも空しく
風を追うようなことであった。
(コヘレト2. 11)
あなたに向かって両手を広げ
渇いた大地のようなわたしの魂を
あなたに向けます。
(詩編143. 6)
沈黙のぽつりぽつりと降る雨の音重ね聞く夕暮れる傘 (白石)
好きな言葉を選んで、その後にその理由を書かねばならないというので、久しぶりにうたを詠んだ。ヘンな結句の短歌だが、おそらくは、傘は教会を無意識のうちにイメージしているのだと、詠んだ後に気づく。
雨の日の夕暮れなんて、ヘンなのだ。渇いた大地のような魂に対する返歌。わたしの魂は渇いた大地のようなのに、恵みの雨の音が聞こえるのは傘のおかげで、それでいて、わたしの渇きに対する過保護な傘。
それが教会。
教会からもらった葉書は1枚。
書き直そうかと思ったが、迷う前に投函してしまった。
傘がないと困るのだけど、音だけ聞こえてもなあ・・・・・というのが、今の心境なのかもしれない。
(エレミヤ51. 49-50)
十字軍の本を読んだせいか?
エルサレムに行ってみたい。
凱旋門、子等駆け降りる階段の手すり求めて、足音は消ゆ
案内の表示従い迷いゆくルーブルの階段の道同じ彫刻
夏の雨無情なまでに降りつづき河は揺れまじゆるき流れは
夜はなき夜中となりき裏路地の人の流れの吹きだまるカフェ
騒音と轟音と鐘、遊覧船、退屈せしは窓を開け、閉す。
モネ傘やモナリザ傘やきのこ傘、くるくる歩く港の雨道
ノルマンディ磯の香りのなき海の緑のしぶきセーヌ流れん
太陽がオレンジ色に昇りゆき雨雲のなか包まれし晴れ
(ヨブ34. 28)
大粒の雨に誘はれゆくゆくは大粒涙ぬれゆく小窓
遠まわり近まわりしてそら風はゆくすえの道雨にたくさん
かきまぜぬコーヒーはただ苦ければ沈殿シロッププリズム発す
ほうらほら雨はちらほら降るままに外にゆかむとすればこそ、雨
かきまぜろ! いや、もう少し、もう少しだけ待ってみる、プリズムの味
天国に人集まれば多数決われもわれもと先急がんかと
プリズムの壊れてもなおにがにがし氷の音は浮き立つ僕
(イザヤ10. 8)
今はただ風のつよきに驚きつ、再び風よ吹くままに吹け
夕まぐれ星ひとつ光る空の闇広がるままに見つめてみれば
夜は闇、星は光りつ。昼は空、星はまぎれつみえぬばかりか
こだわりは手さぐりで消え隣人はいづことなしかおとづれて消ゆ
ことのはは未熟なれどてのひらにのせてはこびぬ煙よりまし
カレンダーいつしか消えてもちかえる人の多さに節約を知る
正月は派遣村のニュースから慣れてゆく音批判する音
仕事などいくらもあると皆が言う。でもダメだろうなと皆が言う。皆って。
新年はとりのこされてありがとう。一年がまだ終わらぬように。
一年が期日のなかに過ぎゆけば年明けぬまま越せぬ風の音
(イザヤ 48. 1-6)