November 24, 2006

『グレート・ギャツビー』 スコット・フィッツジェラルド著 村上春樹訳

スコット・フィッツジェラルド, 村上 春樹, 村上春樹

グレート・ギャツビー


タグを打ち込むのも面倒になってしまっているのに気づく。
毎日やっているから毎日できるのであって、たまに画面に向かうようになるとすべてがかったるい。
それでいて、こんな時間にまで起きているというのは、朝から出勤する意思が欠如し始めたからでもあり、そのうちまた家でだらだらとした生活に戻るのだろう。それが素晴らしいとは思えないが、少なくてもお天気を気にするように来院患者数を気にするような生活からは逃げ出したいと思うほうがまともな気がするし、デパートへ行き、銀行へ行き、その客足を探るように暇な時と忙しい時とを店員と立ち話をするようになる、というのはどうも気が引けるのである。(病人は少ないほうがいいに決まっている・・)

天邪鬼というものはとことん天邪鬼であり、電子カルテを導入し、やたらとスピーディなチェックイン・チェックアウト。来院患者数も少ない。その上、数少ない常連さんは来院すると診察券も出さずにチェックインし、そのまま処置室へ行ったりする。たまに待っているのは小児科の患者が多い時で、不思議なことにほとんどのお子さんたちは本を持参している。

といった具合だから、待合室にこんな小説を置いても、誰も気がつかないだろうと思いながらも、仕事の合間に本くらい読んでいてもいいだろうと思いつつ、生真面目な受付の女の子は本など読まないし、暇な時には、医師も看護師もまるで文学には興味がなさそうに、もっぱら談笑にふけっている。

そこで、誰も読まない本を(最初からわかっていたはずだ・・)、わたしは書類と一緒に持ち歩き、長めのランチを食べながら暇をつぶしている。看護師たちはお弁当持参。わたしは外でランチ。それが素晴らしいとは思えないけど、わざわざお弁当をつくり、気を使いながら一緒に食事をして、休憩時間をつぶすのはもったいない。

が、しかし、受付の子に、「外食はお金がかかるし・・」と言われ、おそらくはそういうことのために彼女は学校が終わってからアルバイトをし、週末までバイトをしていたから、「今の仕事をするようになってから楽になりました」と言われてしまうと、学生時代はそれが当たり前だったと思いながらも、返答に窮したりしているあたし・・・
そのくせ、「わたしにはお弁当をつくってくれるお母さんがいないから」と言って逃げる。

どうでもいいような気がするし、それでいて、今頃になり看護師が、「(うちのダンナが)ほかの職員と一緒にご飯を食べないのは自宅へ帰っていたからだと思っていました」と言う。・・・・・いや、そうではなく、単に病院の食堂のご飯が美味しくなかったせい、と答えたかったが、事実はそれとも違い、「食が細いから、そのことを指摘されるのがいやみたいです」と、わたしはダンナの台詞をそのまま伝えた。

が、しかし、正確には、そういうこともあるだろうけど、本当の理由はずっと職場に束縛されているのが好きではないから、というのが大きな理由であることをわたしは知っているし、ひとりで食べたいものを食べに行く、というのがそれなりのストレス発散だということも知っている。なぜなら、わたしも同じだからだ。

つまらないことかもしれないが、そうやって他人に説明するのが困難なことを、あっさり共感できるからこそ長年一緒に暮らしているような気がする。ほんとうにつまらないことなのに。

*******

『グレート・ギャツビー』を読もうと思ったのは、その冒頭を読んだからでもあるし、その冒頭から連想するのはどこかの地方都市の裕福な家庭に育った若者の苦労話とサクセス・ストーリーを思い描いたからでもあるし、それでいてアメリカ東部を舞台としながらもそこに集まっているのは西部の出身の人たちばかりだし、どこか地面に足のついていない様子が気に入ったからかもしれない。

そう・・・
どこか地面に足のついていない生活。
もっぱら、それはそれで意外でもない展開。意外でもない展開が、無機質な視点で語られている。フィッツジェラルドの人物描写は面白いし、かくも美しく自然や風景が描写されているのとは対照的。自然が美しく文学的に描写されるほどに、人間の行動が奇妙にも微妙に波乱を含んだまま好奇心をそそられる存在となる。

もし、わたしが若ければ、もっとストレートな描写や展開を望んだかもしれないが、単なるゴシップとなるようなストーリーをドライなものにしている美しい描写が快適に感じられた。

そして、わたしはまた地面に足のつきそうにない、不真面目な生活に戻りそうな予感がしている。何が不真面目というわけではないが、来院患者数をカウントするような生活よりも、不真面目な書評を書いているほうが、何となく救われそう。(うそぶく)

投稿者 Blue Wind : 02:28 AM | コメント (0) | トラックバック

November 20, 2006

微妙な気分

受付で雇った女の子が、ひとり暮らしをしたいと言う。
わたしはひどく驚いたが、考えてみれば、彼女は毎日山の向こうから通勤しており、距離にして、埼玉県から都内まで車で通勤しているのと変わらない。交通手段が車しかないために、あるいはバスがあるのかもしれないが通勤には適さないだろうし、高校を卒業したら車で通学していたため、あるいは通学・通勤には車というのが当たり前の土地柄のせいか、わざわざ通勤のためにひとり暮らしをするなんて愚かだと、わたしは彼女に言った。

その前に、うちで出すサラリーで、果たしてひとりで暮らしていけるのかどうか疑問だ。せいぜい学生の仕送りと同じようなものだし、学生ですらそれで足りないからバイトするわけで、家賃を払ってまでバカみたいだと思ってしまう。

いや、そうではなく、学生ならばかまわない。とりあえず、親が仕送りするだろうし・・・
が、しかし、若い女の子が働いて自活するって、どうなんだろう。仕事をしているからこそ、親元にいたほうが楽な気がするのだけど。ご飯のしたくもする必要がないし、家賃や生活費もかからないし、その分、何か別のことに使ったらよいとすら思うのだけど。
まあ、親御さんが成人したら好きにしなさいと言っているそうなので、他人のわたしが心配することではないかもしれない。

その前に、就職したらなかなか旅行にも行けないし、休みもないし、それでかまわないのだろうか。
そのことが不思議で尋ねたが、医療機関に就職しようと思った以上それは当たり前だと19歳の女の子に言われ、看護師と一緒に雪が降った日のことを心配している。

看護師は大きな病院での勤務しか知らない。雪の日は逆に忙しく、前日から職員は寮に泊り込んだり、いろいろ工夫して、病院に待機する。

が、しかし・・・
わたしは、あっさり言った。
雪の日は、休んでいいよ、と。

看護師は違う。
雪が降ったら、自分の家に泊まりなさい、と。

診療所は病院ではないので、果たして患者さんが来るだろうか?
おそらくは、雪の日は、問い合わせの電話は多いと思うけど、実際に来院できるのは近所の人くらいのもので、医者が家を出られないほどの積雪ならば当然休みだろうし、職員が不足していても雪だから仕方がないというのが普通じゃないだろうか?
医者が通勤できれば、わたしも通勤できるので、受付の女の子が休んでいても何も困らない、と思う。

今年は医療氷河期で、病院の新卒採用が無いそう。それどころか、リストラが進んでいるそう。
わたし的には、これ以上採用する予定もないし、逆に人手が余っている気がするほど。
忙しい時には不思議と忙しいし、暇な時には看護師たちは掃除ばかりしている。
ナースの賃金は高いんだよなぁ・・と思いながら、こればかりはどうにもならない。

診療所に、聖母像と聖書を持ち込んだ。
すると、看護師から苦情。
マリア像はかまわないけど、聖書はダメなのだそう。
どこがどのように違うのかわからないが、仕方がないので、聖書と気づかないように置き直した。
すると、入り口付近の一番目立つところに、最新式の内視鏡システムの宣伝パネルを看護師が置き、それが現実だとわたしが思っていると、今度はわたしが持ち込んだリースの材料で休憩時間に看護師がリースを作っている。
そういうところが、ナースなんだなぁ・・と思いつつ、自宅にリースを飾ったら何となくさっぱりした気分になった。

別の看護師がオーダーしたワゴンを、わたしは怒って返品した。業者は困ったような顔をしていたが、そういう点ではどういうわけか院長よりもわたしの権限のほうが強い。わたしが払わないわよと一言言うと、実際問題、誰も支払いに行く人がいないのである。そのうち勝手に引き落とされるようになるのかもしれないが、医療材料の仕入れの範疇を超えたものには厳しい。

われながら暴君のような気がしたが、発注の記録にないオーダーは却下することにした。毎日、業者が顔を出し、その都度、口約束で頼んでいるせいか、間違えが多発。それも我慢の限界。

お給料の計算を、受付の子にやってもらった。
「どうして私がやったほうがいいんですか?」と訊かれた。
「そりゃ、こればかりは利害関係の対立がありますから」とわたしは答えた。
彼女はすっきりしない顔をしていたが、絶対間違いはないと言うので、皆が安心していた。
が、しかし、ちゃんと計算ミスをしていた・・・
ので、やはり、ダブル・チェックで会計をすることにした。

病院なら、いやでも救急車でも病人やけが人が運ばれて来る。このため、常に職員は待機していなければならない。そして忙しい。
でも、診療所となるとそういうわけには行かない。一般論として、患者さんに来てもらわなくては立ち行かない。予防接種や健診のほうがニーズが高い。土曜日ともなれば、デパートの開く時間を見計らったように一気に混み始める。それが現実。

あれにこれにと考えていると憂鬱になるので、本屋へ行き、売れ筋の本を仕入れた。
読みたい本を仕入れて、それに診療所のスタンプを押し、経費で落とすくらい、どうということもない気がする。
それくらいの楽しみでもなければ、やってらんない。

投稿者 Blue Wind : 02:17 AM | コメント (0) | トラックバック

November 05, 2006

しごと、やめたい=やめられない

のんびりネットをしている日々が懐かしい。
朝から夜中までしごとしごと。
それがふつうなんだろうか。
開院したて。インフルエンザの問い合わせ。怒涛。
何もインパクトがないより、あったほうがましか。
受付は忙しい。ある意味、診察室より忙しい。けたたましい。やることが多すぎる。
休日もしごと。
しごと、やめたい。
やめた、と、やめたい、では、かなりちがう・・・
しごと、やめたい。(=やめられない)、という意味だということを知る。

投稿者 Blue Wind : 02:37 AM | コメント (0) | トラックバック