August 04, 2009

ビール瓶ラムネ

絵も毎日描かないと下手になる、と娘が言う。そう言いながらも毎日描いているわけでもなく、一応、スケッチブックを持ってバリ島へ行ったらしいが、わたしは娘が描いている姿を見たことはない。

娘は、このところデッサンの夏期講習へ行っている。7時半に終わる予定だが、一人ひとり講評をするため、レッスンが終わるのは8時過ぎ。描いた絵は持ち帰りなので、わたしは車で娘が出てくるのを待ちながら、今日はどんな絵を描いたのか楽しみにしている。

気に入った絵が描けたときには、家に戻ってからもずっと笑いが止まらない顔をしている。自然と笑みがこぼれる。

が、しかし、「ビール瓶ラムネ」を描いたときには、ずっと泣きそうな顔をしている。「ビール瓶ラムネ」というのは、わたしのネーミングで、要するに失敗作なのだそう。やけに大きなラムネ瓶に見え、わたし的には、こういうラムネがあったら買いたいわ〜と思ってしまう。普通のラムネよりもずっと大きいラムネ。

微笑んでいる牛骨をみたときにも、何となくポエムな気分になった。無機質でおどろおどろしがちな素材だが、何となく微笑んでいるように見えて、「僕は微笑みを忘れない」と骨が語っているように見える。死んでも微笑んでいる牛の骨って、なんかポエムなのよね・・・

昨日はポリゴンで、今日はその石膏像。石膏像を描くのは初めてだと思うけど、かなり上手だった。静物画のほうが難しいのだろうか。

が、しかし、デッサン科に替わって以来、ずっと鉛筆デッサンばかり。

家では宿題をやるだけで勉強もしないし、デッサンも描かない。イラストやマンガの絵、ウェブで遊んでいたり、ゲームをしたり、テレビのバラエティを観ているだけ。

が、しかし、近頃あきらめている。美大のカタログを取り寄せて以来、わたしは何かを悟った。

日常生活を見渡せば、人間の作るもので誰かがデザインしていないものなどめったにない。飲んだら捨てる牛乳パックも鉛筆も電話もテレビもパソコンも誰かがデザインしている。街を歩けば、デパートのロゴも車も建物も道路標識も、元をただせば誰かがデザインしたもの。

そうやって考えたら、わたしには遊んでいるようにしか見えないことでも、それを生業として食べている人たちは多いわけで、ある意味、遊びは学業よりも大切かもしれないと考えることにした。それに、上手に描けた石膏デッサンよりも、「ビール瓶ラムネ」のほうがわたし的にはずっと面白いわけで、娘には申し訳ないが、世の中ってそういうものではないかと。

一生懸命にデッサンをやって必死に美大に合格して、あげく「ビール瓶ラムネのほうが面白いよ」と言われたら、急にヤル気をなくす人と、ノリノリでやっていく人と、その差は大きいと思う。

もっともわたしが何か言っても関係ないだろうが・・・

(ダニエル 2. 1-18)

投稿者 Blue Wind : August 4, 2009 02:47 AM | トラックバック
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