May 05, 2009

苛苛と混沌

なんかイヤなんだよね・・・ このところフツフツ腹の立つことばかりで。

一番うんざりしているのがやはりMさんのことで、今まで彼女が口にしてきた悪口が彼女の身に降りかかりつつあり、それとわたしとは何の関係もないと思うのだけど、どうも逆恨みされているようで気持ち悪い。

”貧しい人”の定義って何だろう?

一般論としては貧乏な人のことなんでしょうけど、本当に困っている人とそうでもない人がいて、よくわからない。

例えば、ワクチン1本のことでも不足していると文句言われてしまう。本当に困っている人というのは、もし髄膜炎になったら抗生剤も効かず死んでしまうかもしれないお子さんで、そちらを優先にして何が悪いのかわからない。でも、自分の子が心配な親は、怒る。「あなたのお子さんはもう大きいし、健康だし、順番を待っていても大丈夫ではないですか?」と言っても文句を言われる。理屈じゃないから仕方がない。

どうでもいいや・・・

文句言われるのも仕事のうちだ。

テレビのインタビューで、香港のホテルに缶詰にされている外国人が、「ロビーに2分座っていただけで隔離されている」と文句を言っていたけど、わたし的には運が悪かったとしか言えない。新型インフルエンザの恐怖は香港が一番よく知っているかもしれない。

そうやって考えると、腹が立っているのは本当はわたしではなく、他人であり、その怒りが向けられるから自分が怒っているような気がしているだけなのかも。あっちもこっちもアンラッキーな人たちがいて、文句ばかり。そういうのは神さまに文句を言ったらいいと思う。でも、神さまには感謝して、わたしには文句を言う、というのはどうなんだろう?

あほらしくて、やってらんない。

そーゆーことか。

あほらしくてやってらんない人たちに、カトリックがどうたらこうたら言われて、フツフツしているのかもしれない。

「あなたたちの神さまに言いなさいよ」と言いたいのだけど、同じ神さまなのか?

本当に?

一つ気がついたのは、やっぱり宗教が違うと、同じ神さまでも違う神さまのようで、わたし的にはこのところせっせと聖書を読んでいる。やっとエゼキエル。偶像崇拝とかエルサレムの滅亡とかメシアのこととか。

ネットでイスラエル旅行記を検索して読んでいるのだけど、ガリラヤ湖の魚はまずそうだし、遊覧船はアラブの曲ががんがんに流され、金色のドームや嘆きの壁やさまざまな教会が密集しているのを見ると、何となく今のわたしの混沌とした精神状態そのもののような気がしてくる。

苛苛する。

人それぞれなんでしょうけど、なんでガリラヤ湖でアラブ民謡ががんがんに流れているのかわからん。わたしはあの手のサウンドは好きなんだけど、どうも無神経な気がして苛苛してくる。

受洗の前まではまるで気にならなかったのに、近頃、苛苛する。逆に、宗教というのを醒めた目線で眺めるようになってしまった気がする。受洗の前に神父さんが、宗教というのは服を着替えるようなものだと言っていたのを思い出す。

台湾人の先生が日本国籍を取り、日本人になった。Mさんは盛んにフィリピン人のことをバカにするのだが、日本語も話せないようなあのご主人が日本人になることはないだろうと思う。でも、日本がアメリカの植民地になっていたら、日本人はアメリカ国籍になっていたのだろうか。

エゼキエルを読みながら、母国を失ったユダヤ人たちが再びイスラエルを建国し、そして今の状態。

今の状況ってどういうことなのかと、”沈黙する神”の意味が少し理解できる反面、どういうことなのかしらんと、再び考えるのであった。

(エレミヤ 1. 14-15)

投稿者 Blue Wind : May 5, 2009 03:31 AM | トラックバック
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