少しのんびりしたいと思って、御ミサはさぼり。
その代わり、バルバロ聖書はようやく格言の書までたどりついた。聖書全体の4分の3が旧約聖書なので、いつになったら読破できるのだろう・・・謎。
少しのんびりしたい、というより、少し自由になりたい、というほうが本音に近い。
御ミサの間、わたしはほとんど祈っている。しまいには歌うことすら苦痛になり、賛美歌もかったるい。本当は、行きたくないからかもしれない。でも、来週からは入信式が始まり、式次第のコピーを渡されたため、一応は目を通す。
御ミサの間中、わたしは黙祷をささげる人になる。
特に意味があるわけでもなく、わたしという人がごく自然に行う行動であり、その瞬間、億劫になりながらも皆と同じ行動をとろうとするのだが、それが酷く苦痛であり、苦痛を抱えながら御ミサに出席することがさらに苦痛となり、それならさぼったほうがまし・・・
受洗が早すぎたのだろうか。
父さんは受洗しないのだろうかと訊いたら、「まだ早い」と言われた。早い・・・というのは、おそらくは姑さんのことを気にしているからか、あるいは、何か決めるまでにずっとうだうだ考える人なので、ずっとうだうだ考えて、癌でも見つかったら、それがトリガーになるかもしれない。癌家系だし・・・
でもね、一人で教会へ行くって、さびしいよ。
が、しかし、とりあえず自分で決めたことだから仕方がない。わたしは一人暮らしの老婆のように、教会へ行き、ひねた根性でずっとお祈りをしている。
さびしいが、しかたがない。自分で決めたことだから。
まあ、その罪滅ぼしというか、たまには教会をさぼり、娘の塾の手配をしたり、準備をしたり、一日ぼーっとしているのも気分転換になる。お彼岸以降、ずっとスケジュールが入っている。娘が春休みになり、デッサンのほうも春期講習があり、勉強のほうも少しはがんばってもらわないと。姑さんに言わせると、それはあまり生産性のない考え方らしいけど、本人がやりたいのなら仕方がない。その後のことは親の責任ではない。おとなになれば、自分のことは自分で考えて決めるだろう。
もう、春・・・
(ローマ 1. 8-15)
この、ちぐはぐ感・・・
ずっとこれが続いている。
投稿者 Blue Wind : March 17, 2009 02:59 AM | トラックバック