March 13, 2009

まだまだ勉強

教会は疲れるなぁ・・・

疲れると思いながらも行っている。

どうして疲れるのかといえば、仕事よりもある意味しんどい。まあ、慣れるまでは仕方がないのかも。

それはある意味、とても単調であり、シンプルであり、複雑。人がいるようで人はいず、人がいないようで人がいる。神さまと人と自分との三角関係。ハイダーのバランス理論を思い出す。どこかに一つでも負の関係があれば、バランスを取ろうとしてもう一つ負の関係が成立しやすくなる。三角関係は難しい。

わざわざそういうところへ行く、というのも、考えてみたら変な話だ。神父さんがインドネシアで洗礼を受けたときは、100人くらい受洗者がいたので、予行練習が大変だったらしい。1週間後にクリスマスがあり、皆で盛り上がったとうれしそうにお話していた。

そういうの、いいよね・・・お祭りムード一色で。わたし、今日、式のときにはここに座って、ここに立って、と説明されたが、何の感慨もなく、枝の日曜日は娘の入学式と重なったので出席できないし、わたし的には、自分の洗礼よりも娘の成長のほうがうれしい。

神父さんの転勤先の山形の教会は、幼稚園だけではなく老健施設もあり、今度はギターを持って行けるとうれしそうに語っていらしたが・・・、そのとき、わたしが思ったのは、つくばの施設だとダメなのか?ということ。そこで、一緒に行って文句を言おうとかと思ったけど、神父さんは転勤だし、わたしの場合は信者だから文句を言う、ということではなく、おそらくは今自分が携わっている仕事の範疇で、それを考えていることに気がついた。ボランティアでも何でもなく、要はそれも仕事の一つだから。

そうなんだよね・・・いやいやながら働き始め、ささやかながらも医療関係の仕事に従事し、肩書きを持って行動している以上、それはボランティアではない。教会の仕事でもない。場合によってはわたしの場合、病院にカウンセラーとして就職すれば、それはそれでまたそれが仕事になっていくだけのことなのかも、ということも何となく理解できるようになってきた。要するに、採用されて働き出して、仕事を覚えていく・・・

前回、勉強会の途中で仕事の電話が入り、それ以来、まったく聖書を使わなくなった。アクティフのことも何も言われなくなった。

とりあえず、仕事が与えられている以上、やっぱり教会で何かを学んで、それを生活の中で実践していく。それが、わたしの場合、未熟なんだろうな。本当は、家で聖書を読んでいるほうが好きなのよね・・・ 教会へ行ったり、仕事をしたりするよりも。24時間お祈りしているほうが楽だ、という意味が何となくわかってきた。というわけで、受洗後も木曜日は聖書の勉強会が続く。人それぞれだから・・・深く考えるの、やめよう。

(エゼキエル 5. 7-10)

ああ、おそろしい世の中。

投稿者 Blue Wind : March 13, 2009 04:47 AM | トラックバック
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