May 06, 2007

『転がる香港に苔は生えない』 星野博美著


星野 博美
転がる香港に苔は生えない

ゴールデンウィークを過ごすのに、分厚い本を選んだ。
時間を気にせず本を読んだりネットをしたり、そういう主婦ライフをずっと剥奪されているため、この数日はずっと活字を読んでいる。

どうして活字を求めるのか?

感想としては、まずはちょっとした気分転換のため。それから、自分の日常を見つめなおすため。誰かのことを考えるため。自分について考えるため。
休息や息抜き。

当たり前のことだけど、外に出れば自分と違った価値観や生活をしている人たちと一緒に何かをしなければならないわけで、これが仕事以上にストレスとなる。自分がストレスを感じているということはほかの人たちもストレスを感じているのだと思うし、数の論理が働かない職場のため、どうしても異分子としてはどこかでガス抜きが必要な気分に陥る。

それがどうしてこの本なのかよくわからないけれども、わたしが感じている息苦しさはおそらくはアジア的息苦しさなんだと思うし、年上の世代の人たちと一緒にいるといつも感じてしまう息苦しさ。

どちらが正しいかということではなくて、いつも上へ上へと進もうとする香港的な息苦しさは20世紀後半の日本の息苦しさでもあり、もしかするとそういう息苦しさが当たり前なのかもしれないし、他愛もなく好きな時間に起きて寝て本を読んでいられる気ままさとは相容れないからかもしれない。

中国人のノンフィクションは面白い。何となく日本と似ているからかもしれないし、他人の人生や生活を眺めることにより、自分の生活を考えてしまうからかもしれないし、自分が何を不満に思っているかがわかるからかもしれない。

別にわたしにとって香港が中国に返還されようがされまいがどうでもいいことで、むしろこの何年かの間にリゾートへ行けば大抵は中国人の団体や韓国人がやけに目に付くようになったことが逆に不思議でもあるし、当然のことのような気もするし、ただ、つい最近まで台湾人かと思っていた中国人のツアー客が本当に中国人だということを知らなかったので、あのかつての農協を思わせる人たちとビュッフェでは一緒になりたくないとか、その程度の興味でしかない。

ある若者が言うには、「中国人や韓国人は昔の日本人みたいだから嫌い」だそう。
その親が言うには、「昔の日本なんて知らないくせに。」

その話を聞いて、わたしはそのお嬢さんが何を言いたいのかがすぐにぴんときたが、いざそれを母親のほうに伝えようとしてもうまく伝わらない。そこでわたしは何となく国籍の見分け方みたいなことを大雑把に話す。たとえば、空港でずっと列をなして大家族で移動しているのが中国人で、韓国人はカップルや核家族で来ている人たちが多いし、日本人に似ているとか。違いと言えば、日本人は髪の毛を染めているし、出入国カードをなくして微笑んでいられる若者も日本人、とか。
すると、韓国人が日本人に似ているのは、かつて日本の植民地だったからだと言われ、韓国人が聞いたら怒るだろうなぁ・・と思いながら話を打ち切る。なんか、こう、もともとの日本という国がいかに大陸と似ているか?ということを知ったらよくもわるくもショックを受ける世代の人たちに何を言っても無駄なのは今までの経験上理解している。

あっさり語れば、ある若者が言う昔の日本人というのは、親の世代以前の人たちのことを暗喩しているわけで、親からすればもっと昔の日本人が身近にいるためにまさか自分がその中に含まれているとは想像もしていない。

長寿社会ってすごいと思う。
姑さんが、年中、「長生きなんてしたないわ」とこぼす。そのたびに、「いや、充分長生きしていると思いますけど」と言うわたしもわたしだけど、視点が違うのだから仕方がない。わたしからすると、そのうちひ孫まで生まれるだろうに、と思ってしまうし、姑さんにしてみれば、高層マンションでひとり暮らしをしているため、どうもぴんとこないらしい。というか、もはやひ孫までいくと、自分の支配からまるで外れてしまうために興味がないのかもしれない。

なんか、こう、常に新しいものを求め続けるエネルギー。古いものを破壊して新しいものを建ててしまうエネルギー。それが発展なのかどうかは知らないが、そういう時代に生まれ育ったがゆえに、前にも後ろにも進めない。そういう気がする今日この頃。

投稿者 Blue Wind : May 6, 2007 02:38 AM | トラックバック
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