February 09, 2006

『コンニチハ世界の子どもたち』 田沼 武能著


田沼 武能
コンニチハ世界の子どもたち

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この本は写真集。たぶんこの本だったと思う、としか言えない。ずいぶん前に買って、すでに誰かに差し上げてしまったので、手元にはない。

子どもって何ナノかな・・・と思う。
子どもというと、あるイメージがあって想像しているけど、世界の子どもたちはあっさりそのイメージを破壊してくれる。それこそ宝石で飾られた中東の女の子もいれば、谷中の商店街でゲームをしている日本の小学生もいるし、裸でジャングルの川遊びをするパプア・ニューギニアの子どもたち、南米のストリート・チルドレン、あるいはちびのくせしておとなの持つような立派な剣を腰につけた目つきの鋭いベドウィンの男の子。

その昔、子どもという概念はなく、小さなおとなとして子どもが扱われていたことを考えると、子どもとはまさしく次世代に生きるおとなとしか思えない。

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先日読んだ『日本人とユダヤ人』の中で、しきりに遊牧民の生活が書かれており、日本が世界の別荘のように平和でのんきな国なのは遊牧民と接触がなかったかららしい。つまり、安全と水はタダだと思っていたし、城壁のない都市というのがめずらしい? 城壁どころか、鍵もないとかね・・・その昔は蚊帳の中で窓を開けたまま寝ていたとか?

行ったこともない国を偏見で見てしまいそうだから、真に受けたくない話だが、遊牧民というのは略奪も生活の手段らしい。農家が刈り入れを済ませると次に彼らの略奪が始まる。農家を襲って殺し、収穫物や家畜を奪う。

聖書の中にも奴隷の話はたくさん出てくるけど、この奴隷という概念も遊牧民を理解していないと理解できないらしい。つまり、ヒト家畜。家畜が生活の糧。そのためヒトの売買も成立する。

伝統や文化というけれど、それが民族であり、国家であるというのはどうも。アベルとカインの話から始まり、すべての民族のルーツは一つと語る一方で兄弟は他人の始まりどころか諍いの始まり?

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旧約から新約へ。
福音か。

宗教が原因で戦争が起きると勘違いしている人たちは、聖書を旧約から新約まで読むべき。わたしも今日に至るまでいろいろなことを勘違いしていたらしい。生活が違うから、理解できないところがたくさんある。

投稿者 Blue Wind : February 9, 2006 12:05 AM | トラックバック
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