February 08, 2006

アブラハムと紀子さまご懐妊の夕べ

聖書を、文学として、歴史書として、読んだことがなかった。

なんで不意にそういうことを考えたかというと、バルバロ神父さまの聖書を読んでいるうちに、少し読んで、注釈を読み、ひといきつき、背中でニュースを聴き、その壁の向こうにはバッテリーが上がってしまったためエンジンをかけっぱなしの車が停まっており、これでは買い物にも行けないと思いながら夕方になってしまったからである。

つまり、うたを詠むためのモードではなく、日常のあわただしさに紛れながら面白いから続きが読みたくなってしまう本を読むモードで、聖書を読んでいることに気がついたから。

面白いんだよね・・・
聖書を読み始める前にイスラエルの歴史から始まり、それを読んでから創世記へ。そうすると、これは民族の歴史書であり、今もなお生きている人たちの歴史だということに気づく。それは、古事記や日本書紀みたいなもので、混沌としていながらもその当時の人たちの生活の様子が見えてくる。

そんなことをしているうちに、ちょうどアブラハムのところを読んでいると、テレビから紀子さまのご懐妊のニュースが聴こえてくる。例の法案はどうなるのだろう?・・・と思ったとたんに国会のシーン。まあ、法案は出されても、決議されるにはまだ早すぎる。それどころか、憲法改正の話すらなしくずしになる可能性もある?

いや・・・・法案自体は提出されるだろう・・・・・・小泉首相だもの。紀子さまのご懐妊と法案の提出とは別問題と言われてしまうと困る。まあ、それはそれで正しいのかもしれない。それでいて、ことなかれ主義でなしくずしになっていくほうが日本的という気がしてしまう。

なんか、後継者争いみたいじゃない?
それをあからさまに国民に問うという姿勢には慣れていない。

万世一系と国政か。
鎌倉時代に始まった政教分離。明治でとんでもないことになり、昭和。そして、平成。

聖書と枕草子をかわるがわる読んでいます・・・

投稿者 Blue Wind : February 8, 2006 01:11 AM | トラックバック
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