August 20, 2005

『希望のニート 現場からのメッセージ』 二神能基著

今回、グアムでうだうだと日に焼けながら読んでいたのは、『希望のニート 現場からのメッセージ』 (二神能基著)。モーリヤックとどちらにしようか迷いつつ・・・

感想としては、ニートになるのはあながち彼らの責任ではないかもしれないということ。誰が悪いと言うより、まずは就職難が背景にあり、普通に大学を出ても就職が難しいというのに、途中でそういう軌道から外れてしまうと親子して立ち往生してしまうのも無理はない気がする。

他人事ではなく、例えば、若い頃うちのダンナが大学を辞めてしまったら今頃何をしていたかわからない。医学部は厳しいから毎年自主退学や放校になる学生はめずらしくない。卒業しても国家試験に合格しない人もいる。もう一度人生をやり直すには疲れていすぎ。

というわけで、すべてのニートがそういう人ではないけれども、高校や大学を中退したり、引きこもりになったり、さらなる就職難。それでいて親が自分の好きなことを探せと言う・・・目にしているのは厳しいサラリーマンライフの晩年を迎えた父親? 母親の心配そうな顔?

しかも、せっかく就職したのに途中で退社してしまったり・・・実は、そちらのほうがもっと深刻らしい。なまじか大きな会社に就職し、そこからさらに再就職先を探すというと、今度はプライドが邪魔をしてそのまま引きこもってしまったり・・・

さらに女性の場合も、再就職が難しいがゆえに妥協した結婚はしたくないとばかりに晩婚化が進む。

著者の二神さんの場合、自身が高校を中退し早稲田大学に進学。その傍ら学習塾や幼稚園を経営。しかも、あっさりそれを捨ててニート歴も長い。そして今はニートのための寮をつくったり、NPOを主宰したり忙しい。

本音を語ると、深く共鳴共感しつつもわたしの場合、娘がいなかったらすでにどうでもいいようなことのようが気がしている。自分に置き換えるにしてもわたしの場合、すでに充分にババアになっているし、今さら就職がどうたらこうたらなど考える気もなく、それでいて何かあれば働かなければならないのだろうし、その時のことはその時になってから考えたらよいとばかりに生きている。

それでいて、今のような窒息しそうな社会が素晴らしいとは思えないし、だからこそ若者は転職を繰り返すようになってしまったのかもしれないし、カラパゴス諸島のウミイグアナとリクイグアナの交配が新種のイグアナを生み出し、彼らがウミイグアナの鋭い爪を持ちリクイグアナのようにサボテンを食べ、親や先祖に足りないところを補いながら生き延びていく姿を思い描いているほうが楽しい。

一つわかっているのは、このままの社会では日本人の数は確実に減少し、そのうち朱鷺のように絶滅してしまうだろうということ。そういう中で、どうやって生き延びていくかは一つの進化の過程なのかもしれないし、地球ですら危うい時代、すでに100年後の世界がどうなっているかも想像できない。

それでいて窒息しそうな社会からの脱出は案外簡単だった。

普通に生きること。

投稿者 Blue Wind : August 20, 2005 02:30 AM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?