July 23, 2005

PDF出版

エキサイトにブログをつくった。まだ何も書いていない。アドバンス(有料)にグレードアップすると、PDF出版で本をつくってくれるらしい。このサービスは、ニフやティーカップでもしている。エキサイトの場合は、いまだに進行形。

なんか疲れる・・・
出版という形で考えるのなら、毎日1首を詠み、そこにダラダラと日常を書いていくほうがいいに決まっている。なぜなら、そのほうが美しい日記に仕上がるから。しかも幻想的で美しい物語が書かれているほうがいいに決まっている。なぜなら、そのほうが面白いから。

わたしは長い間小説を読む週間が欠如していたため、あるいはもうずいぶん長い間映画にもドラマにも興味の持てない生活をしていたため、そのようにストーリーを追いかけるというのが非常に苦痛になってしまった。

わたしは案外リアリストである。
架空のストーリーを読むほど暇ではない。
それよりも現実にはしなければならないことが山のようにあり、それでいてこのように駄文を打っていられることがわたしの何よりの楽しみであり、ストレス発散である。

アメブロから学んだこと?
それは想像以上に多いかもしれない。

あっさり語れば、とてもたくさんの人たちが出版の仕事に携わり、あるいは本を売ったり書いたりする仕事に携わりつつそれを憂いていること。その原因の一つがIT革命にあること、不景気によりごみ箱や電車の棚の上の雑誌や本がリサイクルされていること、競合する雑誌などがたくさん出版されていること、ゆとり教育により子どもたちの活字離れが進行していること、単にストーリーを追いかけるよりビデオやゲームで楽しむ人たちが増えたこと、ゆっくり本を読んでいる暇のある人たちが減ったこと、その他諸々出版物の全集化や絶版など、欲しい商品が欲しい時にないなど、書いていたらキリがない。

それと同時に、うまく説明できないけど、価値観そのものが商業ベースが主体となり、今の人たちは人生を考えるよりもどうやったらビジネスに成功するかや具体的な人付き合いの方法などマニュアルを求める傾向があり、人間がロボットに近くなりつつある。

そういう社会背景の中で、娘の楽しみは絵を描くこと。
が、しかし・・・・
そういう社会背景の中で、現実的に娘が絵の勉強をしたいとなれば、ごく普通に美大に進学し、留学させるくらいしかわたしには思いつかない。それでいてそうやって苦労した人たちが今は何をしているのか、わたしはよく知らない。

娘にはもっと勉強させなければならないと夫が言う。それは進学のためというよりむしろもっと日常的に勉強することが必要だと言う。わかってはいるが・・・娘はわたしの子である。必要性がないことに熱意を持つような性格ではない。

平凡な日常の中で、一つ絵を描くことが楽しみならそれが素晴らしい。
だるだるに受験勉強の夏は続いていくし、それでいて休みの日に友達と遊ぶ約束をしたり、旅行へ行ったり、そういう日常があるから絵が描けるのかもしれない。絵そのものが目的になってしまったらもはやつまらない。

すべてが道具として手段として存在している。
出版もタダではないことを考えると、記事もそれなりにまとまったものでなければならない。なんて厄介な作業なんだろう。そろそろ短歌も整理する時期なんだろうか。9割を捨てなければならない。テーマに分類したり日記だったりややこしい。記事数300というのが最大。ファイルの大きさを考えて整理せねば・・・

投稿者 Blue Wind : July 23, 2005 03:50 AM | トラックバック
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