July 23, 2005

徒然ブログ

真夜中を過ぎても娘が起きて勉強をしている。その横でわたしはこの『日記』を書いている。ブログというのはどうやら日記のことらしい。

が、しかし・・・・
ウェブ日記というのは果たして日記なのだろうか?

わたしが初めて日記をつけたのがいつか思い出せないのは夏休みの絵日記の宿題を間際になって適当に書いて提出する習慣が長かったからかもしれないし、はたまた小学生の頃初めて入選した書道展の帰りに父に日記を買ってもらったことをよく覚えてはいるけれども、その日記を実際に使ったのはその数年後のことであり、いつも日記が最後まで埋められることがなく新しいものに変わっていったからかもしれない。

学校へ日記を提出するという宿題は変だ。

変だと思いながらもとりあえず宿題なので提出する。そうやって宿題として提出する日記と、自分が密かに書く日記とはまるで性質の違うものであり、そういった傾向はどうもブログ社会にも存在しているような気がする。

他人に見せるための日記というものがあるとすれば、まさしく夏休みの宿題文化なんでしょうし、隠れて書いた日記がその後根掘り葉掘り出現するのは詩人の日記などが存在するからなのかもしれないし、日本文学の場合、日記そのものが文学であるらしく、日記というのが徒然なるままに書くものであるという暗黙の了解も日本の伝統文化の一つなのかもしれない。

日記なんてものは自由なんだろう。

家計簿を見ればその日に何をしたかわかるし、主婦の場合家計簿をつけているだけで立派な日記になる。わたしの場合、今はつけていないけど。その日の出来事を記憶に残すだけなら家計簿ほどわかりやすいものはない。

短歌のブログをつくるということは、短歌でその日の出来事を記録していくということなのかもしれない。その中にはその日の出来事もあれば徒然なるままに感じたことも含まれているかもしれないし、考えてみれば、うたというのもそういうものなのかもしれない。

それでいて、文芸とか創作とか・・・

作品があり、その裏に日記がある、というほうがナチュラルな気がするのだけど、日記文学というカテゴリーが存在するため、その辺の基準が非常に曖昧になる。

ブログ発祥のアメリカではブログというのはニュースが主体らしい。9.11テロ以来、反戦の機運が高まる中、個人でニュースや意見を発信し、もはや一方的に与えられる情報では満足できなくなった人たちがブログをつくり急速に広まった。その中で小説を書いて発表する人たちも出没したり、ブログの使い方自体が多様化し、それが日本に伝わると古来からの日記文学の影響を受けてさらに多様化していく。

わたしの隣では娘が相変わらず明日の塾のための宿題をやっている。

やっと終わったようだ。
わたしもこれを投稿してしまおうっと。

投稿者 Blue Wind : July 23, 2005 12:36 AM | トラックバック
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