July 15, 2005

『俳人のためのやまとことばワンポイントレッスン―俳句・俳諧の日本語』 林義雄著

一体どうしたのでしょう?
わたしは俳人になろうとしているのでしょうか?

いいえ、違います。単に懐かしかったんです。本屋で見つけた時。

めちゃくちゃ懐かしいですね、林義雄先生。大学で講義を受けたわけではなく、高校生の時に、旺文社の主催する受験合宿があったんです、栂池で。たしかその時に古文を担当なさっていたのではないかと。

どうして覚えているかというと、国語の辞書か何かにサインしてもらったんです。「先生、サインしてくださ〜い!」というノリ。特に意味はなく、何となく記念に一言書いてもらおうと思っただけのような記憶があります。

その合宿にしても、高3の頃。たまたま夏休みの前に友達に誘われて参加しただけ。というのは、その頃は特にわたしは外部大学を受験しようと思っていたわけでもなかったし、逆に誘ってくれた友達のほうが意外で、「へ〜」という感じで感心してしまった。

実際には、友達同士で旅行へ行く、というノリに近かった、ということに気づいたのは参加してからだけど。なんせ場所はスキー場。夏とはいえ、なかなか自由な雰囲気。17歳の夏には刺激的だったかもしれない。結構、全国から集まってきていて、友達もでき、わたしは影響を受けやすい性格なので、そのまま付属の女子大へ進学するのがいやになってしまった。逆に一緒に行った友達のほうはその後受験をやめてしまった。なんかね・・・いつもきっかけは些細なことなんだろう、何かをしようと思うのは。

『俳人のためのやまとことばワンポイントレッスン―俳句・俳諧の日本語』 は、まるでその時の講義のよう。ちらっと目を通しただけでも予備校のテキストのよう。古文のテキストは大抵は古文が書いてあり、必要な部分は自分でノートをとらなければならない。文語や歴史的仮名遣いを覚える。古典文法。幸いこの本は予備校のテキストではないので解説が書いてある。

考えてみれば、短歌を詠むのに近頃では文語や文法、あるいは歴史的仮名遣いといったややこしいものを使う必要性はないのだけど、たしかに「けり」や「かな」で切ったうたに口語が混じっているほうが変なのかもしれない。自分的にはあまりそういうややこしいことは考えないけど。一首の中にひらがなと漢字とカタカナが混じっているのと似たような感覚でしか捉えたことがない。

でも、そういった屁理屈は別として、知識としてきちんと違いを把握しておくのは大切。わたしは、「しづもる」という表現が好きなのだけど、実はこれが比較的新しい用語だということを初めて知る。平安時代から使われている言葉だろうと17世紀に入ってから使われるようになった言葉だろうと、明治時代に出現した言葉だろうと、現代においてはすでに旧いには違いない。でも、そういう旧い言葉が今でも生きているのが俳句であり短歌。どうして旧い言葉を使うかといえば、ニュアンスとしてほかにぴったりな言葉がなかなか浮ばないということもあるし、そういう意味では死んだ言葉ではない。

日本語学には興味はないけれども、一度きちんと文法という視点で言葉を眺めてみることも何かに役に立つかも。文語を使うとか使わないとか、その手のややこしいことを考える前に、シンプルに何かを学べるということは素晴らしい。さっぱりしているもの。作品としての優劣ではなく、感性でもなく、単なる文法から考える。

短歌より俳句のほうがさっぱりしていると思うことがある。近頃、本屋へ行くとやたらと俳句の本が増えた。もしかすると短歌よりも人気があるのかもしれない。その理由は季語ややまとことばを使うことにより、案外簡単にそれっぽい句を詠めるからかも。・・・・・・と言ったら叱られるかもしれないけど。季語にまったく頼らず詠うというのは案外疲れる。

投稿者 Blue Wind : July 15, 2005 06:38 AM | トラックバック
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