July 14, 2005

『なんとなく、クリスタル』 田中康夫著

田中康夫の『なんとなく、クリスタル』 を読んだことがありますか〜?
わたしは無いで〜っす!!

買ったんだけどね・・・流行っていたから。
高校生の頃だったと思う。

当時は、サーファー・ルックとかハマトラとか、わけのわからん流行があり、その流行の一つにこの小説があったんだけど、カタカナが並んでいるだけで、どこからストーリーが始まるのかまるで理解できないまま最初の数行を読んだだけで放り出したまま消えてしまった本。

その前後に、The Mamas & the Papasの『California Dreamin'』 が流行っていて、この曲が『恋する惑星』という香港映画の中で流れていたときには、ちょっとのけぞってしまった。
踊るフェイ・ウォン・・・
その後、レンタルショップでフェイ・ウォンのCDをレンタルしたけど、どこがよいのかまったく理解できなかった。(ファンの人、ごめんなさい)

はっきり言って、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』って小説なのか?
わたし、今でも信じられない。それくらい意味不明のカタカナの羅列本だった。

でも、流行ってイヤね。知らないってことがイヤなのよ。だから、読んでいる人が多かった気がする。その後一斉に学生がブランドバッグで通学するようになり、それ以後とそれ以前とでは学生のイメージすら変化してしまった。

それで、どうしても『なんとなく、クリスタル』が好きになれず、ある日突然何を思ったのか、スタンダールの 『赤と黒』 を買って読んでいたのを覚えている。特に意味はなかったんだけど、何となく古典が読みたくなった。

その辺の気分の変化というのがすでに時代が『なんとなく』という言葉に汚染されていたような気がしなくもない。ただ、気分だけで・・・とか。そういうことが許される時代だった。特に誰が何を訊くこともなく、何となく、というセリフだけが独り歩きしていた気がする。

スタンダールの『赤と黒』も大してストーリーも覚えてはいない。でも、主人公の野心と挫折があまりにもシンプルで、わかりやすい小説だったような記憶がある。赤が象徴するもの、黒が象徴するもの、みたいな世界。

意味不明な言語の羅列を眺めているより、何か別の象徴を求めていたのだろうか。いや・・・そうではない。わたしには単なるカタカナの羅列をすらすらと読み、うんちくを語る人たちが理解できず、それでいて何となくうらやましかったのかもしれない。

松田聖子のデビュー。もう、ああなるとわたしの理解を超えていたため、そうやって時代がわたしの理解を超えてゆくことに対し、危惧すら感じていた。すべてがノスタルジーなんだけど、80年代ってどうしようもない時代だったのかもしれない、とちらっと思う。

投稿者 Blue Wind : July 14, 2005 02:31 AM | トラックバック
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