July 07, 2005

無駄こそすべて

そういえば、わたしも学生時代、考えた気がする。英語はともかくどうして古文や漢文を勉強しなければならないのだろう?って。あっさり語れば嫌いでもやらなければならないのは受験があったからで、その後国文や史学を専攻するのでないかぎり、まるで役に立たないまま忘れてしまっていた。

そうやって考えると、わたしは役に立つ勉強をしたことがあるのかどうか懐疑的だ。それでもうんざりするほど英訳を受験勉強でやったおかげで、それがかろうじて大学院へ入ってから役に立った。でも、もしも進学しなかったらもっと実用的な英会話をやっておいたほうが役には立つだろう。

でも、よく考えてみたら働いたこともなければどれもこれも役には立たない知識ばかり。それでよくこの年まで生きてこれたのか不思議かもしれない。

母はそういうことを否定する人ではなかったので、今は役に立たないと思うことでもそのうち役に立つこともあるかもしれない、とよく言っていた。人生は思いがけないところで思いがけないことが役に立ったりするものらしい。そうやって考えると、まさか自分が歌人になるなんて予想だにしたことがなかったため棄てられていた知識ももしかすると少しは役に立っているのかもしれない。パソコンにしてもそうかも・・・まったくもってして苦労の種というか、いやいやながらやっていたことが忘れた頃に役に立ったりする。

そうやって考えてみると、わたしの無駄な知識はわたしに利をもたらしてはくれないけれども理をもたらしてくれているらしい。

投稿者 Blue Wind : July 7, 2005 12:30 AM | トラックバック
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