July 06, 2005

『いつか読書する日』 青木研次著

何なんだ、近頃の『ツボヤキ日記』 は?このところ邦画の紹介が続いている。

邦画だけではなく、わたしは日頃映画をまるで観ない生活をしているため、逆に語れば観ないからこそせめてブログでも? いや、家からすぐのところにレンタルショップがあり、それこそCDやDVDは24時間いつでも好きなときに好きなものを観られる。これで図書館がすぐ近所にあればもっと便利なんだけど・・・

そのくせ、そのうち観ようと思いながらブログを眺めるだけの生活が続く。

その中でもっとも気になるのがタイトルからしていやじゃないですか。 『いつか読書する日』 だって。ビデオやDVDで検索しても見つからないため、原作を。ツボヤキさんの紹介記事は田中裕子主演の映画の話なんですが、50歳まで独身で読書が趣味の女が主人公というのもなぁ・・・設定がすごすぎ。しかも、未読本の多さ。

わたしより上の世代は、年頃の女性が本ばかり読んでいると親が心配したものだった。もっとお洒落したり、デートしたり、女性ならもっとほかにすることがあるだろうというのが世論だったような気がする。おそらくはウーマンリブという言葉も理解している世代だろうし、かといって大学へ進学する人もさほど多くもなかったのでは。理由は高学歴だと縁談と就職に響くから。

そういう中で、ツボヤキさんは不思議がっていたが、わたしには意外と理解しやすい人である・・・この映画の中の主人公は。昭和60年代から働き出すまで彼女が何をしていたか? あのさぁ・・・おそらくは家事手伝いではないかと。売れ残りのレッテルを貼られたまま老いた親と二人暮しをしている人とか、実は案外多い。親を早く亡くしたためちょろっと働きに出る。それが牛乳配達だったりスーパーのレジだったり?そういう生活の中で、唯一の贅沢が読書だったという設定も何となく理解しやすい。だって、勉強を続けたくてもそのまま家事手伝いに入ってしまう人たちもめずらしくはなかった。

中には、親が病気になり、誰が世話をするか? その結果、昔は介護保険なんてなかったから、泣く泣くオールドミスの姉が1人残ってほかの兄弟姉妹はそれとなく経済援助をするだけ、みたいなケースで独身を続けている人もいた。外出もできないから、せいぜい家で本を読むくらいしか楽しみがなかったのでは。

都会の片隅には、案外いるんだよなぁ・・・などということを何となく思い出す。ノスタルジー。行きつけの喫茶店の隣に蕎麦屋があり、世の中がバブルに浮かれている頃、そこの蕎麦屋の娘はたしか売れ残りで暮らしていたはずだけど、向かいに住んでいるのにわたしは彼女を知らない。その隣にはいつ建てられたのかわからない家があり、聞くところによるとおまわりさんが住んでいたらしい。ちょっと通りに出ると、げいのーじんが乗ってきたらしい派手な車が違法駐車している傍で、昭和初期からつづく景色が広がっていた渋谷。古い商店街の本屋が大家さんだった下馬。なんか懐かしい。下馬時代はコープの集まりにまで参加していたし・・・行きつけの喫茶店のおばさんの実家は桜新町で、農家だったんだよね・・・いまだに本家だの分家だのとやっている。そのおまわりさんの古い家や蕎麦屋には黄色い牛乳配達用の箱が掛けられていたのを思い出す。下町育ちの母にとっては世田谷や渋谷の界隈は田舎だったのだそう。

そうやってどんどん変化する街並みや時代に取り残されていくような気がするから不思議だ。

この前、イッセー尾形の舞台がつくばでやるというのでビラが回ってきた。その中で、「ふつうのひと」を募集していた。どういうのがふつうの人なのかわからないけど、説明によると、こたつでみかんを食べているような人なのだそう。ついでに年末には紅白歌合戦を観ている人って書けばいいのに、と思った。


*ちなみにわたしは『いつか読書をする日』の本も映画もみていません。

投稿者 Blue Wind : July 6, 2005 03:05 PM | トラックバック
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