いやはや、さっさと音楽にジャンルを変更してしまいました。なんか不思議なんだなぁ・・・そーいえばアメブロガーになって以来、サウンドネタからは離れてしまっている。理由の一つにずっと以前からサウンド・ブログを独立させてつくろうかと迷っているうちにそのままになってしまっているからでもある。
初期の頃から、・・・・つまりわたしがサイトもつくれないのにサイトつくりに励んでいた頃、ネタの一つにサウンドがあり、毎日おっそろしいほど聴きまくっていたから、そのうちいくつかをピックアップしてマニアなところを公開していたような気がする。
それこそ、飽きちゃってるから世界中のサウンドを聴きまくるわけ。気に入っていたところではアフリカ系とかね・・・なんか斬新でフレンチポップという感じで一時期はすごくはまってしまっていた。ハワイアンからガムラン、ラテン。なんでそんなに聴かねばならないのだろうというくらい一年間は聴きまくっていた。もっとかな・・・すでに忘れた。今は人生が短いことを知り、できれば好きなサウンドに溺れているほうがいい。
あせるな、あせるな、ゆっくりやろう。
そう思って、さっき短歌のカウント用のCGIに短歌をアップし、先月はさぼっていたことを知る。目指すところは石川啄木の傍若無人であり、短歌や日記というのはそういうものだから面白いわけで、あっさり語ればジャンルのためにブログがあるのではなく、わたしの作歌のためにジャンルがあるのである。
大抵は、ロックやポップスを鳴らしながらPCをオンし、作歌している。以前はその後に聖書を開いていたという・・・
音楽を聴きながらだと読めない・書けないという話も聞くのだけれど、わたしの場合まったく逆で、音楽がないと読めない・書けない。音楽そのものは単なるBGMなんだろうし、それがわたしの脳裡から余計な部分をカットするらしく、そのためにサウンドがあるような気がするくらいだ。それでいて、そういう周辺情報というのがわたしの気分を左右し、それによりトーンが変化してしまう。
つまりは、言いたいことがあり、それをストレートに書けば単なる説明文であり、そのまま書いたのでは単なる欺瞞だ。そこを周辺からの刺激により緩和させ、気がつけばだらだら勝手に手が動く。それが駄文であり、短歌であり、そのようにわたしのブログは構成されていく。
だから、大切なのはジャンルやテーマではなく、どう言ったらいいのだろう・・・そこから離れた周辺部分にあり、そこからの刺激がわたしをわたしから切り離し存在させているような気がすることがあり、むしろそういうことのためにだらだら書いているような気がするくらい。
ということは大切なのは読者でもなく、わたしでもなく、むしろ単なる電子に置き換えられた時間の経過こそがわたしのブログをわたしの思考の一部として存在させているという事実かもしれない。このため、感情的な事柄を書いたとしてもわたしは少しも自分が感情的になっているとは思えず、それはむしろ思考から発した感情であるため、書いているわたしはとても冷めた目で電子文字を眺めている。
単なるジャンル変更の理由がとても長くなってしまった。
直接的なトリガーは、ぐた である。
あれ、なんでそんなにウケルの?
なんか、冗談かと思ったらマジにウケテルらしい・・・??
変だ。
ってことが、トリガー。
この、電子コミュニケーション特有のあやふやさがあるからネットはこんがらがった糸のようになってしまう。
いや・・・・・わたしはずっと単一の行動をしているつもりなので、わたしがサウンドオタクであることは知られた事実だと思いこんでいる。
ところが現実は違うらしい。
なんでそんなにウケルのさ?
理由は、わたしがアメブロに「短歌のブログ」をつくったことにあるらしい?
いや・・・・おそらくは、ロック聴きながら聖書読んでるのよ・・・ってことがすごく変なんだろう。
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この話は、ぶっくらしょ・ぐたからクレームが入り、ボツになりました。
もしかすると、古今和歌集強化月間に入るかもしれません・・・(汗