June 24, 2005

ブック・バトン

もう、研究を離れて10年以上になり、その間のわたしはどこか書物に対しては魂の抜け殻であり、思い出すのは青春時代に読んだ本ばかり。スピリッツの伝達なくして書物ほど邪魔な代物はないだろう。重いし、場所をとるし、それでいて捨てるも買うも風まかせのようで・・・

アメブロにブログをつくって唯一素晴らしいと思ったのは、ぐたさん みたいに根っからの本好きとの出会いかもしれないです。正直言って、わたしの好きな本とか思い出の本は文学ではなく研究関係がほとんどで、そういう意味でなかなか書評を書く気にはなれません。つまりは封印した過去を紐解くのはかなりしんどいのです。理由はいくつもあるけど、いまだに心の整理がつかない。仕事という以上にスピリッツそのものだったから。

純粋に本が好きだったわけじゃないですからね・・・要するに、活字はコピーの中にあり、みたいな生活だったし、むしろ本の形をとったものは終わったものとしての認識しかなかった。

再び、ブック・バトンがやってきたようで・・・
ほんと、ぐたさんは懲りない。(笑)


Q1:あなたの本の所持数は?

わからないです。数えられない、すでに。本棚だけでも10本。そのほかに籠やダンボールが15個くらいあるし、テーブルの下や中、収納できる椅子の中にも。屋根裏にも未読の文庫ばかりを入れたものがあったはず。これは引越しした時のまま箱も開けていません。今月だけでも気がつけば20冊増強しているわけだし、これをどうやって数えて整理したらよいのかまるで検討もつかない。

だから、自然と文庫や雑誌、マンガの類は読み終わると処分してしまいます。プレミアを考えるともったいないけど、暮らしていけないですからね・・・捨てないと。

Q2:今読んでいる本は?

『不在の神は<風>の中に』をまだ読み終わっていません。それとは別に途中になっている本が数多あり、今、わたしのパソコンの隣にはこのほかに聖書、『モーリヤック著作集2』、『釈超空短歌綜集』とパズルが数冊。パズルと聖書は毎日開いています・・・(汗

Q3:最後に買った本は?

最近買った本という意味かな?(笑)
買ったわけではないけど、一昨日くらいに届いた結社誌が一番新しいかな。雑誌だけでも毎月10冊以上届くじゃないですか・・・昨今。でも記憶に新しいのは『モーリヤック著作集』と遠藤周作シリーズでしょうか。わたしにしてはめずらしく気合が入ってますから、今回。

アマゾンのギフト・カードをささやかながらもゲットしたので、来月はシモーヌ・ヴェイユを取り寄せようかと思っています。

Q4:よく読む、または思い入れのある本5つ

よく読むのは聖書かな・・・やっぱ。それでもいまだに読破していないという。『アートバイブル』を含めると5冊が常時置いてあります。どこが違うかというと、翻訳が微妙に違うし、解説があったり、旧約がついているかどうかでも違うし・・・でも、一番よく使うのは作歌のために買った聖書です。日本聖書協会の『新共同訳 聖書』。

それだけでも5つだよなぁ・・・と思いつつ、『ゲーテの自然科学論』、『ニューロンから脳へ』、ジンバルドーの『現代心理学』は外せない。ゲーテの色彩論は最初、学部の頃に富家先生からお借りして、かなりショックを受けましたから。黎明期で何もないところから始めたんだな・・と思ったらすごくずしんときた記憶がある。

『ニューロンから脳へ』 もすっかり旧くなってしまったけど、これが最初に出たときのインパクトはすごかったですからね。野澤先生のところへ持って行った記憶が。あの先生にしてはめずらしく少年のようにきらりんと眼が輝いたのを覚えています。大抵はね、顔は微笑んでいても厳しい眼をしていて、退職して名誉教授になってからじゃないかな・・・本当の意味で柔和な顔になったのは。それくらい厳しかった。

ジンバルドーの『現代心理学』は内容自体は旧くなってしまったけど、入門書オタクのわたしとしてはほかの入門書にはない匂いを嗅いでいた。どこが違うかというと、姿勢なんだと思う。大抵は心理学の入門書と言うと心理学そのものを説明しようとしているんだけど、ジンバルドーの場合はどこか有名な実験だけを並べながらも、根底に人間に対する深い好奇心というものがあり、その好奇心が平和利用されることを願いながら題材もピックアップされていたような記憶がある。微妙なところなのよね・・・うまく説明できない。

このほかにも、ミラーの心理学の入門書も面白かった。『心理学の認識―ミラーの心理学入門』 。自由なのよね・・・黎明期の人たちの自由さはどこか手技・手法・手続きでがんじがらめにされた精神を解放してくれる。

文学関係はそのうち考えよう・・・

あ、あと、『マン・ウォッチング』も外せない。これは弟に勝手に持っていかれてしまった。今って新書しかない? アマゾンで検索したらとんでもない表紙が出てきてしまった。趣味わりぃ〜! でも、内容は同じだと思う。おもしろい。手軽に楽しめる人間観察。

・・・・・というノリで書き出したらキリないね。バカバカしいほど面白い本はある。

ただ、何と言うか、スピリッツの問題なんだと思う。

それで、これだけ読んでいて結局聖書だけあればいいなぁ・・・というのが本音中の本音なのです。学問も文学もどこか源流をたどれば人間にたどり着き、そのミステリアスな存在に対しての問いかけから人生が始まり終わる。だから書物は読めば読むほど混沌としてくるだけで、結局はあらゆる源に聖書がある。今の時代はどうやってもその影響から無関係ではいられないですからね。なんせお寺や神社のおみくじの中にも聖書の言葉が書かれているという・・・ってことは、おおもとはどこか一つだったのかもしれないし、それがどこかで繋がっていたとしてももはや今の時代のわたしたちにはわからない。

それでいて聖書は何度読んでもさらなる発見があり、その深さははかり知れない。

ほんとに抜け殻だったんだよね・・・活字に対して。何を読んでもつまらない、面白くない、虚無。もちろん、コミック的な面白さや手軽な楽しさはあるよ? でも、そんなものをすべて投げ捨ててしまいたいような衝動もあるくらい抜け殻だった。人形の笑みみたいなものかな。

虚無を埋めるために読書があるとすると、それはもはや聖書でないと埋まらないだけなのかも。

ただ、背景として人間という媒体がいるとすれば、ひとりひとりに聖書があり、それをどうやって拾っていくか?という楽しみも近頃覚えたばかりでして・・・そういう意味で良書をピックアップして読みこみたいですね。なんでかというと、わたしはまだ生きているから。トーチなんだろうな・・・それが。消してはいけないものもある・・・だから読み、だから書く。

コヘレトから抜け出せないわたし・・・

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今回、バトンはパス。
自然とTBが飛んでくるくらいのほうが気楽でいいです(笑)。

投稿者 Blue Wind : June 24, 2005 11:33 AM | トラックバック
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