結婚指輪で思い出すのが、ICUの星野 命先生。献体の話をしながら指輪を眺めている姿。結婚指輪と献体がどうして結びつくのか・・・記憶って不思議。
その昔、わたしが学生時代、独身の頃。どういう経緯でそういう話になったのかは思いだせないけど、授業中に献体の話になった。星野先生は死んだら肉体は単なる屍だから献体の手続きをしたいと言う。ところが妻が反対するからできないと指輪を眺めながらお話されていた。
「妻が泣くんですよ」
何気ないセリフだったけど、グサッときた。
その後、その話を当時医学生だったダンナに話した記憶がある。彼は解剖のことをゼクと呼ぶ。解剖実習のことではない。ゼクというのは案外簡単なものらしい。病巣部を採り出しホルマリンの中に入れ、その後に新聞紙を詰めておく。
献体というのは解剖実習用。
日本人の死生観からすると、死体にメスを入れるのを嫌がる人たちが多い。だから、臓器移植でも提供者が少ない。それは生まれ変わりを信じているのか、それとも仏様だから嫌なのか。
父が亡くなったとき、見送りにきてくれた看護婦さんが泣いていた。半ば病院を住まいにしていた父はとても人間臭い人であり、情にもろい人でもあり、めそめそとしてしまう。それでいて、組織を採るだけだと知っているのでゼクには協力した。生きている間にも4回もオペをしたわけだし、死んでからならなおさら痛みすらない。
移植に反対する人たちは多いけれども、わたし的には滑稽だと思っている。それは宗教とか主義とか医療などの問題ではく、金、という点であまりにも滑稽。
移植手術にいくら掛かるか?
2000万円掛かるとして、そのオペが成功するとは限らない。しかも成功したとしても予後がよいとは限らない。子どもだとすれば親は何をさしおいてでもやりたいだろう。でも、それが高齢の親だとしたらどうだろう?
でも、世の中にはいるのである・・・家を売ってでもやりたいと言う人が。でも、その話は結局親子で話し合ってボツになったらしい。お金がありあまっているのならやればいいけど、家を売って、というのは・・・もちろんその話の裏にはいろいろ相続をめぐる骨肉の争いがあり、一筋縄ではいきそうにないから売ってしまおうと思ったのかもしれない。
星野先生は結婚指輪をかっこよくはめていたけれども、ゼクをする立場のうちのダンナは結婚式の時にはめていただけ。わたしは毎日はめている。それでも妊娠中、ある日指が痛くなり、慌てて外した。石鹸をつけてむくんだ指から無理やり・・・あまりの痛さに涙が出た。その話を看護婦さんにしたら、どうして外しておかないんだと笑われた。指輪が抜けなくなり、それでいて妊娠で指がむくんで指の先が充血してしまい、中にはペンチで指輪を切った人もいるらしい。
わたし自身は、結婚指輪はすでに指の一部のようになっている。それでいて毎日はめているのでそれなりに傷んでくる。ダンナの指輪は使わないから傷まない。ある日、引越しの片づけをしている時、ダンナの指輪が出てきた。それを眺めてわたしが考えたのは、自分の指輪が古くなったらダンナの分をサイズを詰めてわたしが使おうかな・・・ってことだった。
(トラステへのTB : テーマ 「結婚指輪はつける? つけない?」)