June 12, 2005

”インドの老婆”

うちの近所に、わたしがこの前”インドの老婆”と名付けた猫が住んでいる。どうしてそんなつまらない名前を思いついたかと言えば、たまたま娘を学校まで迎えに行く途中に通った道路に彼女?が寝ており、違法駐車をしている車の陰でゆうゆうとこちらを睨みつけていたから。

あの猫があんなに貧相でやせっぽちなことに初めて気がついた。ほとんどベージュに近い白猫で、顔の一部に赤毛が混じっている。大抵は夜に徘徊しており、昼間姿を見せることのほうがめずらしい。近所の公園付近や空き地の中に寝ていることが多い。

公園の前を徐行しながら走っていると、ゆうゆうと前を横切るいやな猫。大抵は夕暮れ時に出没するため、今までまじまじと眺めたことはなかった。

どうしていやな猫かというと、母が昔よく言っていたから・・・猫に前を横切られると縁起が悪いって。わたしはそれを信じているわけではないけど、猫が横切ると願い事が叶わないとかね・・・そんなことを言われたら誰でもいやになるだろう。

逆に考えると、猫が目の前を横切るとき、わたしは今自分が何を願っているのかを考えるようになってしまった。

それがまたいやな感覚。何を願っているのかを考えるまではいいんだけど、たまたま思いついたとして、母的ジンクスから言えば、それが叶わないんだから・・・だったら何も思いつかないほうがいい。

よく行くペットショップに、アビシニアンがいる。ペットショップだからいつも犬や猫はそれなりにいるんだけど、何となく気になる猫。ひそかに飼おうかと思っているけど、そのうち売れてしまうだろう。ルディという色なのかな・・・まるで野良猫カラーで、なんであの猫があんなに高いのか不思議になる。まるでうちの近所の野良に対する冒瀆のような気がするくらいだ。

まだウッドデッキがあり、裏の奥さんが存命だった頃には、うちの庭にはシロという白猫がよく寝いていた。今はでっぷり太り、ご主人が家のなかで飼っているらしく、めったに外には出てこない。出てきたとしても抱っこされていたりして、あんなに猫を飼うのをいやがっていたのに不思議になるくらいだ。

シロもいい加減に高齢だろう。最初は野良猫で、それでいて餌はキャットフードしか食べないと裏の奥さんが言っていた。残り物など出しておいても魚を出しておいてもまるで食べないらしい。可愛い顔をしていたのでそれなりに餌場あるせいかと思っていたけど、いつの間にか裏の家の猫になっていた。

シロとインドの老婆を比較しても仕方ないけど、どっちもおそらくは年寄りだからね・・・何となく比較してしまう。色も白だし、どっちも。そこにさらにペットショップのアビシニアンを加えて考察するに、やっぱ猫にも人生ならぬ猫生があるなーと思ってしまう。

初代マリアの葬儀の帰り道、前を走っていた車が犬を轢いた。大通りの中央分離帯から犬が飛び出してきた。ひき逃げ。うちは隣の車線にいたのであっという間に通過。轢いた車のすぐ後ろにダンプが走っており、とてもじゃないけど現場に戻る勇気はなかった。

その時も複雑な気分だった。マリの死で悲嘆にくれていたのに、ひき逃げされた犬を見て、複雑な気分に襲われていた。もしうちの車が轢いていたらどうだったかな・・とか。当日の火葬には間に合いそうにない。しかも、まだ息があったとしたら? 

マリはうちの子だから・・・って思った。

わたしは決して博愛主義者ではない。マルクスも嫌いだ。インドの老婆を見ても可哀想だとも思わない。でも、マリも可哀想だったけど、ひき逃げされた犬はもっと憐れだった。

インドの話を考えると鬱々するでしょ?

そういう時には、わたしはインドの老婆のあのふてぶてしい顔を思い出すことにした。やっぱ、野良だからたくましいし、やせっぽちでもビクともしない。それでいて騙されて、弱っているのかと思ってしまうくらいゆうゆうと道路に寝ている。

ペットショップのアビシニアンもそれなりに憎たらしい。にゃあと小さな牙を向けてくる。おそらくは飼えばわたしの目の前をゆうゆうと横切り、好きな場所に寝転び、どうせオトと喧嘩ばかりしているだろう。ちなみに、マリがわるさんぼうですぐにオトを噛もうとちょっかい出すためにオトはかなり我慢している。そのうち家中を走り回って、近頃うるさい。オトを叱ろうとすると、どうも悪いのはマリのほうみたいで・・・

わたしの使う”人間臭い”という言葉は、まるで彼らのためにあるかのよう・・・

投稿者 Blue Wind : June 12, 2005 01:11 PM | トラックバック
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