June 12, 2005

『「深い河」をさぐる』 遠藤周作著 (2)

日曜日、暑い。
どうして入梅するとこんなによく晴れるのだろう。
朝から庭仕事をやり、一息つく。

遠藤周作の『「深い河」をさぐる』 をパラパラめくる。
どうも最初から読もうとすると読む気がなくなることに気づき、パラパラと興味のあるところだけ拾い読み。

「奇蹟は何を教えてくれるのか?」という章を読む。理学者・医学者の青山圭秀さんとの対談。サイババの奇蹟や、アガスティアの葉に書かれた予言について。

サイババはあまりにも有名だけど、アガスティアの葉のほうがインドっぽい。今から何千年も昔、アガスティアという聖人がシヴァ神から世界の将来について聞いてヤシの葉に記したものらしい。予言というとノストラダムス的なものを連想してしまうけど、アガスティアのもっともらしいところは個人についての予言というところかも。

タミール語で書かれた予言書を専門に読む家系が何千年も続いていて、行くと親指の指紋を照合して本人かどうかを確認するという・・・

はあ?(さすがカースト制・・・と言うべきか)

何千年も昔に書かれたものなのにすでに指紋が記され、しかも青山さんの場合、家族の名前から仕事からその予言書を読みに行った年齢までピタリ当たっている? それだけではなく、いつどのように死を迎え、次に生まれ変わるのがいつどこかまで記されているらしい。

倉庫のなかに何十万巻もの予言書があり、おびただしいほどの人たちの人生が予言されているらしい。占いのようなものなのかも、と思っても、占いと決定的に違うのはそれが個人の記録ということであり、指紋から名前からそこへ訪れる時期まで記されているのだもの・・・占ってもらおうとしてそこへ訪れるのとはまるで意味が違う。

しかも、青山さんの場合、科学者だからね・・・本来ならそういう神秘主義を否定する立場にあるような気がするのだけれど、研究を通してますます神秘な世界にのめりこむような感覚も理解できなくもない。それくらい生命はミステリアス。

サイババといい、アガスティアといい、インドはどこまでもミステリアス。でも、逆に考えれば、神秘主義を最初から認めていれば大抵のことは驚くに値しない。インドの人口が10億人として、地球上の人口が62億人程度らしいので約6人に1人がインド人ということになる。すべてのインド人が神秘主義を肯定していると仮定すると6人に1人が信じていることを簡単に否定するというのも変な話である。

結局、環境因子や受けた教育で凝り固まった脳で考えるから世界がひっくり返るような驚きに満ちあふれるわけで、最初から柔軟な思考を保っていれば大抵のことはそんなものかもしれないと通過してしまう。

----インドへ行ってみたい?

行こうと思えば可能だろうけど、今は積極的に行きたいとは思わない。特に深い意味はないけど、そういう気がする。去年のイタリアも、最初はフランスへ行く予定だったのに、いろいろあって(ダンナの休みの都合待ちをしているとか・・)、気が付けば条件に合う航空券がペルージャ往復しか取れなかった。ダンナが遅れて到着することになり、香港で酷い目にあって以来夜の大空港を彼は嫌う。そういう点ではわたしよりだらしがないと思うのだけれど・・・

要するに、青山さんの場合も急にインドに行きたくなり、無理に口実をつくって出かけた。そういう感覚ってうまく説明できないけど、そこへ行く運命のようなものに引き摺られているような気さえする。まあ、何千年も昔の予言書にすでに彼がそこへ何歳で行くことになっているのか書かれていれば、予言書が先にあり、それに適応した人間が後から出現すると考えたほうがわかりやすい。

聖書もそうだし・・・


■関連書籍


著者: 青山 圭秀
タイトル: アガスティアの葉

投稿者 Blue Wind : June 12, 2005 11:27 AM | トラックバック
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