June 07, 2005

ブラザー・サン シスター・ムーン

ちょうどローマの方角だったと思う。アシジのホテルのレストランに座っていた時、娘が空が光ったというので周囲を見まわすと、夕立を心配してほかの客たちが立ち上がったり空を眺めていた。わたしはちょうどそちらの方角には背を向けて座っており、半信半疑だった。不思議なことに、光ったのだから落雷の音がするはずなのに何も聴こえない。

無意識のうちにそんなことを考えながら空を見ていると、雲に覆われた方向に小さな青い稲妻が見えた。ところがいくら待っても音がしない。周囲のざわめきも一瞬沈黙するくらい静かな時間だった。

3度目の稲妻が光った頃には、安堵が広がり、何事もなかったかのように夕餉のざわめきが続いていた。周囲はイタリア人ばかり。もしかすると彼らにはめずらしいことでもないのかもしれない。アシジのあまりにも広大な空を考えると、遥か遠くの町で轟いているはずの雷鳴も音が届かないだけのことで、筑波山から眺める富士山のようなものなのかも。

とは言うものの筑波山からでもさすがに東京や横浜の落雷が見えるわけもなく、何気なく広がるアシジの空の大きさに参ってしまった。


ビデオ : ブラザー・サン シスター・ムーン
DVD : ブラザー・サン シスター・ムーン


アシジの空の不思議さはそれだけではない。

アシジは中部イタリア、ウンブリア州というところにある。聖フランシスコの町。かつて観た映画のタイトルが、「ブラザー・サン シスター・ムーン」。その意味がアシジに行ってわかった。

映画だけでは、空の広さがわからない。

わたしは、聖フランシスコが聖人だから、太陽が兄弟で月が姉妹なのかと勝手に考えていた。こういうアニミズムのようは発想はキリスト教では好かれないのではないかと思うんだけど、聖フランシスコは太陽を兄弟と呼び、月を姉妹と呼び、生き物すべてを愛していた。

アシジの空を眺めているうちに、日没の時間、空が真っ二つに分かれ、右手には太陽が沈み始め、左手には月が浮んでいた。それはちょうど昼と夜とが同時に存在しているのを眺めているようで不思議な光景だった。

ところが翌日、やはり日没の時間、わたしたち家族は同じレストランのほぼ同じ場所に座って空を眺めていたのだけれど月の位置が昨夜とは違う。とても不思議な気分だった。

その翌日、日没を過ぎ、空がすっかり暗くなり、食事を終えて部屋へ戻ろうとすると、ホテルの犬が玄関の前に寝ていたのでしばらくベンチに座って娘が犬と遊んでいるのをぼ〜っと眺めていた。すると、目の前にいきなり外灯が点った気がして夜の道路の上を見る。夜なので最初気が付かなかったけれども、そちらの方向にあるのは山の陰であり、外灯などあるはずもない。

数秒ほど眺めているうちに、満月がいきなり空へぐんぐん上昇し始めた。外灯だと思ったのは山影から出る月の明かりで、わたしは月の出というのを見たのが初めてだったので、そのスピードに驚いた。落陽もあっけないけど、月の出もあっけない。月の出の時間がその日によって違うことを知る。(本当?)

酷く戸惑ったものの、ややこしいことを考えないのがわたしの特徴であり、とても不思議な月のことを考えて帰国便に乗り、疲労も手伝ってか機内の窓が閉めきられほとんどの乗客が寝ている時間うとうとしていると、娘が不意に窓を開けた。暗い機内の中で、不意に娘が少し開けた窓から見えたのは、飛行機の翼の上に平行して並ぶ巨大な月。青い空に白くてまるい巨大な月が浮んでいる。あんな間近に月を見たのは初めてだった。


(⇒トラステへのTB : 第29回 神秘体験)

投稿者 Blue Wind : June 7, 2005 01:11 AM | トラックバック
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