April 13, 2005

21世紀的本音伝達無責任世界

久しぶりにホリエモンの声を聴く。つまりテレビを観ていたわけではなく、テレビから勝手に流れてきた声が耳に入った。怒っているわけでもなさそうだ。怒っているという解説のアナウンスが入っていたけど・・・記者に説教しても無意味だろう・・・たぶん。ホリエモンの語る、「あなたたちは」という表現は取材記者に向かってのたまっていたわけで、一般の視聴者を意識しているわけでもなさそう。

つまり、「一般の視聴者に対しては、自分のブログで書く」と言いたかったらしい。そうなると視聴者という表現ではなく、読者と言うべき。

視聴者というのは、2つに分類される。つまりは、能動的にその情報を知りたいと思っている人々と、わたしのように受動的に聴いている者と。すでに、構えが違う。このことは意外と重要で、少なくてもネットの場合、読者というのは受動的に存在しているわけではなく、むしろ能動的に存在しているため、そのことに慣れていると、取材記者に話すのもいささかうんざりしてきても人間なら当たり前。だったら、ホリエモンのブログの記事を読むかと訊かれても、株価には興味がない。自分がライブドア株を持っていれば別かもしれないけど・・・

わたしが興味を持ったのは、ライブドアの株価ではなく、「自分のブログに書きます」と言い切ったホリエモンのことば。

自分の言いたいこと、伝えたいことを他人を媒介として伝達するより、自分のことばで語れるほうがどれほどマシか。受け取り方によっては、「もうあなたたちは必要ない。帰ってくれ」と言っているかのようであり、少しも怒っていなくても怒っているかのようにマス・コミ側の人たちが感じたとしても無理はない。

怒ってはいないのである。だって、言いたいことがあるのなら、自分のブログに書けばいいのだもの。

・・・・・・・・逆に、取材記者のほうはどうなんだろう。そのことに対して何か言いたくても、書けない。もしかすると書けるのかもしれないけど、公共性ということを考えると、記者の意見を記事にしたところで、そういうノリはいささか週刊誌のようで、面白いかもしれないけど、いささか信憑性の欠如を常々感じるわたしとしては興醒めの観を否めない。

*******

怒りと言えば、『怒りブログ。』で、「ネットでは本音が見えない」という記事があったが、インターネットは一方通行社会であり、確かに感情や情動などを伝えるには適していない。が、しかし、本音という部分では逆に顔が見えない関係性だからこそ本音が見え隠れしている世界でもある。

ついでにもっと書いてしまえば、中国の反日デモこそ本音の見えない世界だろう。教科書問題がどうたらこうたら、謝罪がどうたらこうたらと、このところ日中関係の悪化が懸念される。でも、その話は以前からずっとあったことで、これに対しては国内でも世論の分かれるところ。

が、しかし・・・・

どうして、今になってデモが発生するのか、というところがわたしには理解できない。このところ、日本からの企業進出が活発になってきているのが原因なのかもしれないし、それを受容するか否かは中国政府の責任である。その怒りの矛先が日本大使館というのはどうも納得がいかない。

もはや、デモや暴力行為に頼る時代ではない。それは以前からずっと感じていることで、やっぱ、あれが悪かったのではないかと日本政府も反省するべきである。つまり、自衛隊のイラク派兵問題。

そうなると、いたずらに「反日」ということばを書くのを控えるべきである。そういう意味では、わたしも「反日」かもしれない。

・・・・・・・・・・・どっちにしろ、もはやわたしは、「民間レベルで」という欺瞞が嫌いである。

一つ分かっているのは、国際世論というのはアメリカだけのものではなく、リチャード・ギアがなんで日本に来てまで、わざわざ反中感情を煽るような発言をして帰ったか、ということすら、わたしはうんざりなのである。単純明快に考えて、単なるイデオロギー戦争なら、20世紀で終わりにするべき。

次のアメリカのターゲットが北朝鮮となる可能性を考えると、中国が日本に対して危機意識を持つのは当然だろうし、それに対してヨーロッパがさりげなく中国を支援しているところがさらに不可思議な世の中。

アメリカと中国が喧嘩したら?

知らん・・・・

投稿者 Blue Wind : April 13, 2005 12:45 AM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?