March 28, 2005

生まれて死んで、普通に生きて

わたしは、母が仕事をしていたのがすごく恥ずかしかったんです。時代が違うと言われてしまえばそれまでなんだけど、わたしの子どもの頃には、母親が働いているというはとてもめずらしく、離婚したとか、独身とか、経済的な理由で共稼ぎとか、学校の先生とか、限られた理由で仕事をする人たちが多かった。

「父と母は喧嘩ばかりしていた」と書いて思い出したのは、大雑把に言えば、母がキレる理由は、父に、「少しは母親らしいことをしろ」と言われた時だったと思います。

慣れていたけど、母親が酔っ払って帰ってくるのが一番いやだった。父は逆に体質的にアルコールを一滴も受け付けず、それで付き合いと言えば麻雀などのギャンブルが多かった気がする。飲めないのだから仕方がない。弟もそうで、本人は、「コーラ飲んで酔っ払うから」と笑ってごまかすくらいアルコールがダメ。

それなのに、母はお酒に強く、接待だの会社の女の子を連れて飲んできただの、どこかの会社の営業みたいなノリで帰ってくる。普通だったら離婚のような気がするんだけど、父が文句言っても、「じゃあ、あなたが死んだらどーするの?」と平気で切り返す。

普通じゃないわけさ・・・

つまり、普通の家庭のお母さんたちがちょっと家事の合間にパートに行くなどというノリではなく、小さくても自分の会社を経営しているわけですから、日々是闘い。

もーいやでいやで・・・

父じゃないけど、母が離婚するって喚いても、わたしが平気で父と残ると言い切ったとしても何も困らない。だってお手伝いさんにお給料を払えばいいわけでしょ?(父が・・) それなら母親なんていなくてもいいし、わたしにはわたしの生活があるし、勝手に離婚するならすれば?みたいなノリ。

「なんであたしがあんたについて家を出ないとダメなのよ?」

って平気で母に対して思っていました。

母親ってバカだからね・・・子どもはいつも自分のモノだと勝手に考えている。母親らしいことなんて何もしなくても、そういうところは女なんだよね・・・わたしだってわが子は自分のものだと思っているし、それが正義だと思っている。だって産んで育てているのはわたしなんだから。

正直、娘が幼稚園くらいになり、「お父さんとお母さんとどっちが好き?」と訊いて、「同じくらい」と言われた時にはわたしはかなりぶんむくれた。それまでは、「お母さん!」って言っていたのにと思ったら裏切られた気がしたほどだ。

こうしたわたしの不平はどこか時代錯誤のようでいて、逆に今の時代では多すぎて問題にもされにくいような気がしている。わたし自身はもしかすると子どもが産めないかもしれないという不安を抱えていたから、特に結婚したいとも思っていなかったし、子どもも欲しいとも思っていなかったため、淡々と自分のことをやるように自立の道を模索していた。

が、しかし・・・

自己実現とか、家事や育児が嫌いとか、仕事のほうが楽しいというのであれば、やはり結婚などするべきではなく、世の中にはそういう人たちもいる、ということで終わってほしい。

こーね・・・なんであたしのほうが少数派なわけ?

ジェンダーがあーたらこーたらなんてどーでもいいです。わたしは生まれ変わっても女に生まれたい。悔しかったらわたしみたいに一度も働いたこともなくのほほんと生きていってみろと言いたい。全然平気なのよね・・・ダンナが日銭を稼いでくるのは当たり前だと思っているし、昔からデートで割り勘なんてヤツとは2度と付き合わなかったし・・・へいちゃら。

分からないな・・・これが仕事をしているのが少数派だったら、わたしも仕事しているかもしれないし、単に天邪鬼だと言われてしまったらおしまい。

なんでまたこんな記事を書こうと思ったかというと、『NEET』にコメントをいただいたから。日教組の指導方針とわが家の指導方針が違っていたからといって何を気にしろというのだろう?

結局、子どもを持って考えるのは、男の子でも女の子でもどうにか親から独立して家庭を持って子どもを育てられるように、というのが最終目標。もちろんそうはならないかもしれない。それでも、人間も生物である以上、親っていうのはそういうものなんじゃないかと。なんで、こんなにややこしいのだろう・・・

投稿者 Blue Wind : March 28, 2005 03:19 PM | トラックバック
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