March 14, 2005

奇異

この前、クルマで公園の前を走っているとき、カーラジオからパンダの話が聴こえてきた。住宅地の公園の前の道は一部舗道に石のタイルが貼っており、徐行しなければならないように工夫してある。まるで砂利道の上を走るようにクルマが揺れるため、でこぼこ揺られながら途切れ途切れでラジオを聴いていた。19世紀に中国にいた宣教師がパンダの毛皮を本国に送り、その時にパンダの存在が西洋に知られるようになったというお話。

情報伝達という面でも、異文化・異国という点でも、何となく感慨深い。

パース在住まさぴんさんの視点はいつも日本文化に対する屁理屈であり、バレンタインデイ、ホワイトデイ、加えてたまごチョコのイースターなど、イベントにまつわるものが多い。これに対して、Luluさんは、タンザニアに腹を立てながらもタンザニアへ住み着こうとしている。そのせいか、逆に愛国心まで感じてしまう・・日本に。

たまに思うんだけど、どうして中国にパンダが住んでいたり、パースに黒鳥がいたり、白ゴキブリがいたり、タンザニアの青い海やめずらしい動物たちには腹を立てないのに、人間や文化のこととなるとこうもおおげさに腹を立てるのだろうかと。

こういう傾向は何も海外に限ったことではなく、国内でも変わらない。北と南では売っている魚の種類が違うのは当然だし、野菜も微妙に違う。季節になれば、この辺ではあんこうが売られている。昔は、水菜もイタリアンパセリも牛筋も売っていなかったけど、近頃ではニーズがあるせいか大抵のスーパーには置いてある。

それでいて、その昔、市内の某スーパーで冷凍のワニ肉が売られていたのを見たときには驚いた。ニーズがあればちまたに溢れるのだろうか・・・・こわい。ワニ肉を常食で育った人たちには申し訳ないけど、わたしの脳には食糧としてはカウントされていないようです。それでいて、そういう感覚は差別や偏見なのだろうか?

奇異という感覚はどこか難しい。伝統文化に携わる人たちは、常に奇異との戦いのような気がすることがある。だって、歌舞伎だってヘンでしょ? 男の人が女性の役をしていたり、派手なメイク。今なお奇異を芸として伝えている。

作歌をするようになり、この世界もなんだかヘンだ。近頃では外国語でも俳句のような語数律で詩を詠む人たちが存在するらしく、それはまるでロック・グループのキッスが歌舞伎役者のメイクをパクッていたのを眺めるようなもので、日本だとデーモン小暮とか? 似ていて非なもののような・・・

奇異なものに対しては、拒否反応が発生して然り。それでいて伝統文化に対する拒否というのは概してさらなる反感を買いやすい。このため、奇異をブラボーにしてしまう人たちがアーティストと呼ばれる。異文化を母国に伝える人も、母国の文化を他国に伝える人も。

そうやって考えると、アートとは朱鷺やパンダや黒鳥なのかも。奇異。文化は難しい。

今日、また発作でMJC(Mission Japan Club)にメンバー登録してしまった。伝える難しさを学ぼうと思って・・・日本文化の一つとして和歌を詠んでいくか、はたまた宣教の難しさを異文化に学ぶか・・・のっちもむずかしくって。和歌を新しくしていくことより、和歌のよさを伝えることのほうがむずかしい気がする。それでいて和歌の中に何を詠んでいくかはもっとむずかしい。

投稿者 Blue Wind : March 14, 2005 02:41 PM | トラックバック
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