Kamomeさんの「短歌に恋する」、という感覚に触発されるわけではないけれども、短歌なんて自由でいいような気がする。残念ながら、わたしには「○○さんのファンでそのままXXXへ〜♪」というノリがないだけ。
恋に恋してふわふわ〜っていうタイプじゃないもの。
どちらかといえば、恋と、恋することとは違うんだな・・・などと冷めた視線がわたしの特徴のような気がするし、アンニュイに浸りながら、ボッサでも聴いて、『春夫詩抄』など読んでいると和んでしまう。
ところが、以前このノリで詠んだ時、やたらと歌が甘ったるくなりすぎ、自分でも自分っぽくないと反省したことがある。
歌のことだけ考えていると楽しいのよね。
いつからかな・・・
なんとなくひとりが気楽だと思うようになったのは。
ネットが荒らし騒動でややこしくなったせいかもしれないし、それがかったるくて結社へ行けば結社なりの厳しさもあり、そのどちらにもうんざりしてしまった。
「わたしはもともと歌人じゃないのよーー!」
って、声を大にして叫びたくなった。
それでいて、歌は相変わらず日課として続けている。
時にネット歌人、時にカフェ歌人。
でも、どうなんだろう・・・考えてみれば不思議な世界。同人とか結社とか、いつも誰かが所属を気にしている。好きな歌人がいて、その世界に飛び込むというほうがナチュラルなのかもしれない、と不意に思った。それでいて、そういうのって何もない自分。
何もないから、歌集を読まないとかあれこれ思われるらしい。それはそれでかなり迷惑な幻想。そうやって思われたとたん、わたしはもしかすると短歌が好きではないのかもしれないという気分になる。
家にいて気楽なのは当たり前だけど、カフェもそれなりに気楽。スタバだったらまた違うかもしれないけど。いつも行くカフェは、すでにわたしの顔くらい覚えていてくれる。だけど、何も言わない。よく知った店でも、誰もわたしのことを知らないというのはすごく気楽。そこで好きな詩集や歌集を読みながら、何となく作歌していたり・・・
静かなコミュニケーション。
誰かが忘れた頃に、不意に歌集を出すかもしれない。あからさまに歌人になるより、不意に知らない人に渡してみたい、わたしの世界。
投稿者 Blue Wind : March 7, 2005 11:48 AM | トラックバック