December 31, 2004

ラブレターの添削?

アメブロにブログをつくって3週間になる。そろそろ慣れてきて、アメブロ内を散歩。いきなりトラックバックが飛んできて驚く人もいるのだなぁ・・などと、たしかに検索にも出難く、ひそやかにやろうと思えばいくらでもひそやかにやれそうなアメブロ内での露出を考える。

一番簡単なのは、トラステへ行き、お題を拾う。それに関連したネタをアップすれば誰も驚かないし、逆にアップするだけでトラバが飛んでくる。こちらからもトラバすれば相互リンクになる。これこそブログの醍醐味のような気がする。これで、YAHOOやGoogleなどの検索に引っかかるようになるとなおさら楽。

ところがあまり理想どおりにはいかないので、アメブロの検索を使う。これでキーワードを打ち込み、関連のありそうな記事を見つける。これがなかなか面倒な作業。

例えば、時事ネタを打てばいくらでも関連ブログが現れる。「スマトラ沖地震」とかね。ところが、「短歌」や「歌人」で検索しても、数が少ないのとあくまでもパーソナルなスタンスでブログをつくっているせいか、いきなりトラックバックを飛ばしても驚かれるということに気が付いた。

これなのよね・・・いつもこれ。

これってインターネットだからこれなのではなく、短歌にはいつも同人とかサークルというニュアンスが伴う。その大型化したものが結社や雑誌。作歌に関しては、歌人は一人の世界だと思っているので、作品発表というニュアンスがピンと来ない。歌をやりとりしていても、基本的にはそれぞれが自分の世界に揺られているだけだと思っているからなおさらかもしれない。

歌人の小林信也さんのサイトに、小説という短歌のコーナーがあり、恋歌などがアップしてある。これって、最初に見たとき衝撃でしたね〜♪ 恋歌が衝撃的だったのではなく、それを「小説」とカテゴライズしているところがなかなか衝撃的だったわけです。

短歌は基本が写実だと知ったのはその後なんですけど、自分の歌は「記憶の砂」だと日頃から思っているわたくしとしては、なおさら迷った。例えば、プーケットの津波被害を見ているうちに歌が浮んでくる。それは架空の世界かもしれないけれどもまったく架空の世界ではなく、かつてその地に立ち、その場で感じた風景などがフラッシュバックして自然と浮んでくる。

今現在の姿ではないかもしれない。でも、南国のスコールや雨季のタイの波の様子や、屋台など、いろいろな風景が浮んで、そこに微かなイマジネーションが混じる。

短歌は語句が少ないために、その一言を表現するためにあらゆる選択を瞬時に行う必要がある。だから、あくまでも写実に徹するか、抽象的な表現を含ませるかはその時々の気分次第のような気がしてしまう。

ネットは恋歌が多いと、よく言われる。若い頃ならせいぜい恋の歌くらいしか浮ばないのではないかと思っていたけど、実はそうでもなさそうなことに気が付いたのは最近。こういうのは好みの問題であって、年齢の問題ではないらしい。

自分的には、なんで女同士で恋の歌をやりとりしてるんだろーと不可思議になりながらも、しょせんネットは一人の世界、短歌は一人の世界と割り切って、恋愛観というか、愛と恋の違いとか、過去の記憶とか、あまり深く考えず詠んでいたこともある。
逆に、仮に相手が異性であったとしても、仲良くなったりすると、ぷぷぷ・・という感じで、とてもじゃないけど互いに恋歌なんてやりとりできないっすよ、ってなる。特に、奥さんがテキストを見張っていると思ったらなおさらかも。
そういう意味では、互いに不毛で非現実的で、生産性はなかったかも。

でも、個人の内面世界という点では、どうなんだろう・・・森瑤子さんでも、「まったく経験したことのないことは書けない」と書いていたから、現実と非現実と、それがどこまでがリアリティなのかまでは誰にもわからない。

ところが、実際には歌人の世界は大真面目。いきなり短歌をメールで送ってきて、「選歌してください」というノリのほうがニュアンスに近い。さすがにわたしのところにはそういうメールは来ないけど、メジャーになるほど多くなるのかも。感想まで書いている暇はないから、○とか△をつけるらしい。
たぶん、恋歌なんかも○や△をつけられるんだろうなーと思うと、ちょっと可笑しい。ラブレターを添削する人はいないと思うんだけど、そういうことを大真面目で皆でやっているというところが歌壇なんだなーという気もする。
まあ、セクハラ短歌を送ってきて、返歌しないと怒り出すというよりましな気がするけど。

大真面目なんだよなぁ・・・

その微かなる匂いをアメブロの読者に感じた。発信する側としても真面目なんだろうけど、読者としても真面目。トップランカーのブログなどを眺めていると、あのおっそろしいほど長い活字を毎日読みに来ている人がいることに驚く。目からうろこ。

あくまでも小説を書きたい、という一言でアメブロでは書評のジャンルでがんばるという切込隊長ブログの言葉を読んだ時、来年からジャンルを変更しようか迷っていたわたしは腹が据わる。小説を書くわけではないけど、短歌のブログだから書評のジャンルでいいのである。
芸能人のブログがないからアメブロにしたという点でも、まったくの同感であり、そうやって何となくノラクラしているうちにこのようにテキストが長文化していってしまう。

でもね・・・・この夥しいほどの活字中毒者のブログを眺めていると、わたしはまだまだ甘いことに気が付く。

文学の人間は、石川啄木のように傍若無人でかまわない。

こうやって、わたしは次第にアメブロに洗脳されていく。


----ハイパーリンク貼れよ〜。>わたし
----やだ。めんどっちー。

投稿者 Blue Wind : December 31, 2004 01:00 AM | トラックバック
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