December 23, 2004

風狂の歌人

娘がわたしのお誕生日にくれた短歌の本は、『声に出して味わう日本の名短歌100選』。檀ふみさんの朗読CD付き。まだ聴いていない。万葉集から近現代の歌人の歌を収録している。短歌の魅力は、一重に詠み人しらずとか、山崎方代さんのような風狂の歌人にある。
詩でも八木重吉さんのように、亡くなってから作品が世に出るということはめずらしくない。つまりは、生きている間の独り言が亡くなってから発見される。生活から来るしみじみとした想い。

そういうことを考えると、休日の昼下がり、リビングのテレビの音を背に、こういう話を書いている自分はアマちゃんだと思う。そういう平凡な自分がいて、それでいてどこか風マニアな自分も存在している。


忘れもしない2001年2月5日、初詠み。(CGIに日時が記録されていたからである。)

時はなおガラスのように崩れゆき轟きを泣き震撼に泣く

これってね、恋の歌なんかじゃないんです。たまたまそういう歌ばかり集めているところに投歌したせいで、そうやって勘違いする人もいるかもしれないけど、実はわたしの人生・生活からくる悔しさ。

ある日突然、ダンナの神戸の実家が震災で焼けて、義父が癌で亡くなり、自分の母親までくも膜下出血で倒れ重度の障害者となり、姑さんは鬱病になるし、子どもはまだ赤ちゃん、ダンナは仕事・仕事・仕事。
そういう悔しさを詠んだ歌。

いざこれからという時にすべてを失ったという愚痴っぽさを短歌でカモフラージュしている。


星一つ見えない夜の暗闇に指先沈め砂文字をかく

2首目。これは、砂漠で暮らすランボーをイメージして・・などと優雅なことを語っているけど、実は、「バーチャルの闇」を詠んだ歌。


どちらもその時の心境が自然と歌になっただけ。


本音を語ると、短歌なんて嫌いだったし、いまだに『百人一首』ですら覚えていない。『サラダ記念日』ですら読んだことないし、要するにまるで興味がなかった。

この手の短歌がどういう部類に分類されるのか、わたしにはわからないし興味もない。

ある日、結社に加入するメリットとして、1200人の固定読者がいるという説明を受けた。・・・・・・・なんと語ってよいのか迷うべきだった。

その時、わたしがあっさり語ったのは、例えばガイアックスのサイトのトップページに歌を貼り付けてログジャンプすれば、一日500人以上の「読者」が確保できることになる、ということ。

桁が違う。

数にこだわるわけではないけれども、すでに作歌が日常生活になっているために、毎月数百首の歌を詠みこむ。


ある日、「孤高の歌人になれ」と言われた。

どうせなら風狂の歌人のほうがいい。


さてさて・・・
マリちゃんを送りにゆかねば。


■関連書籍

著者: 荒木 清, 佐佐木 幸綱, 檀 ふみ
タイトル: 声に出して味わう日本の名短歌100選
著者: 八木 重吉
タイトル: 八木重吉詩集

投稿者 Blue Wind : December 23, 2004 07:10 PM | トラックバック
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