December 17, 2004

お題とテーマ

今、わたしはトラックバックを覚えたので、トラックバック短歌、つまり、投歌をして遊んでいる。本当は、トラバ短にしたかったのだけど、これでは検索に引っかからないので、諦めてトラバ短歌にした。自分で言ってみて、トラバタンのほうが言いやすい。

いや、いっそのこと誰もわからなくてもトラバタンにしてしまおうか・・・

まあ、そんなことはどうでもいい。

わたしは、いまだにお題ってよくわからない。でも、俳句のサイトへ行って、ピンと来た。「ああ、お題、かあ・・・」みたいなシケた気分。トラックバック・センターへ行き、もっと理解した。つまり、お題がないと盛り上がらないから、お題なんだなぁ・・・と。

こういうお題で作文を書けとか、寄席とか、いわゆるお題。「座布団何枚持ってけ」の世界。
題詠マラソンのお題も、単にそういうニュアンスだったのかと何となく理解する。あまり馴染みがないせいで、よくわからなかった。

近頃ならテーマという言葉のほうがお題の意味に近い気がする。

短歌の場合のお題というのは、文字通り、「夢」なら「夢」という漢字が含まれていればよかったりする。夢中、悪夢、その他諸々基本的にその歌の中に文字が含まれていればよい。

例えば、題詠マラソンのお題の中に、「海老」というお題があった。「地中海老人つどう教会は白い柱と真っ暗な闇」という具合に詠む。歌としてはつまらないかもしれない。でも、「海老」ではなく、「地中/人」という具合に2句にまたがっても連続してその文字が含まれていればルール違反にはならない。

ところが、「捨て台詞」を「捨てゼリフ」と詠み、ルール違反を指摘された。サイバー上で詠んでいるために、勝手に変換されてしまい、自分がルール違反をしているという自覚はまったくなかった。

サーフィンしているうちに、「新月と冬の寒さ」というお題を見つけた。これってね、以前のわたしだったら通過していたと思う。つまり、意識の中ではこちらのほうがまさしく「お題」だからだ。

今の時代は、「お題=テーマ」と受け止める人たちのほうが多いから、短歌みたいにその語句そのものにこだわるというのは、本当は変なのかもしれない。これにはれっきしとした理由があるのかもしれないけれど、わたしにはわからない。

「東」という漢字を、東京、東雲、etc.という具合に、あれこれイメージすれば結局は同じことをしているのかもしれないけど、歌人がお題を提示すれば、「新月と冬の寒さ」は、新、月、冬、寒など、あるいは、せいぜい新月くらいに分割されてしまいそうな気がする。

「新月と冬の寒さ」がお題なら、普通は、それっぽくそれをイメージすればよい。まさしくそれが普通のような気がする。

サーフィンしているうちに、おや、とか、あれ、って思うことが多い。BBSなら通過したかもしれないけど、トラックバックというのは相手のサイトに掲載するのが目的ではないから気楽。なんか、遊んでしまう・・・

投稿者 Blue Wind : December 17, 2004 02:13 PM | トラックバック
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