December 13, 2004

『エルサレムの詩(うた) イェフダ・アミハイ詩集』 村田靖子編訳

今度のブログは、ジャンルを「本・書評」にしたのだから、何かそれっぽいものを書かなければならない。大体において、書評とか歌評というのが苦手であるにもかかわらず、雰囲気と気分で決めるからこういうことになる・・・

アミハイの詩は、素晴らしいです。ユダヤ人とかユダヤ人問題と言われてもピンと来ないけれども、理屈ではなく、生きた言葉で今のエルサレムを感じることができる。つまりは、大抵のクリスチャンは新約聖書の中で生きているから、「アダムの罪を贖ったのがイエス・キリストである」などと言われてもよくわからない。われらの罪って何のことだろう、とかね。つまりは、どうして、ジーザスがエルサレムを見て泣いたのか、ファリサイ派もアブラハムの時代にはああではなかったとか、しみじみとアミハイの詩を通して、イエスの言葉の意味が少し理解できるようになる。

アミハイ自身は20世紀のイスラエルを代表する詩人であり、今のエルサレムを詠っているだけ。なのに、まるでタイム・スリップしたように過去と今とが交差する町、エルサレム。エルサレムの語源が本当は、イール・シャローム、平和の町だなんて。戦争ばかりしていて少しも平和でないような気がするのだけれど。

『ぼくの心のなかに平和がないから
外には戦争。
ぼくの内なる戦争を 心のなかにとどめておけなかった。』

(アミハイ「エルサレム----シオンの国の詩」より)

帯でこのフレーズを読んだとき、発作で買ってしまいました。
イエスがメシアであるとかないとか、興味のない人たちにはどうでもいいことのように思えることでも、ユダヤの人たちの神への愛やエルサレムへの郷愁を想うと、心の中に素直に響いてくる。彼らにとっては、カトリックとかプロテスタントとかギリシャ正教とか、まったく関係ないんだな・・と思うと、昨今、逆に癒されてしまう。


著者: イェフダ アミハイ, Yehuda Amichai, 村田 靖子
タイトル: エルサレムの詩―イェフダ・アミハイ詩集

投稿者 Blue Wind : December 13, 2004 10:08 AM | トラックバック
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